ふと、「レミーのおいしいレストラン」の終盤に出てくる、美食家イーゴの言葉が思い出されました。
以下、引用します。(映画の内容に触れています。)
評論家というのは、気楽な稼業だ。
危険を犯すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に、審判を下すだけでいい。
辛口な評論は、書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には、苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にこき下ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が、評論より意味があるのだ。
しかし、時に評論家も冒険する。
その冒険とは、新しい才能を見つけ、守ること。
世間は往々にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。
昨夜、私は新しいものに巡り合った。
思いもよらない作り手による、素晴らしい料理を味わえたのだ。
作品も、その作者も、美味しい料理についての私の先入観を大きく覆した。
これは決して大袈裟な表現ではない。
まさに衝撃だった。
かつて私は、「誰にでも料理はできる」という、グストーシェフの有名なモットーを嘲笑った。
でもようやく、彼の言いたかったことがわかった気がする。
誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。
グストーのレストランの新しいシェフは、恵まれた環境で生まれ育ってはいない。
だが、料理の腕において、フランスで彼の右に出るものはいまい。
近いうちに、また訪ねるとしよう。
今度はもっとお腹を空かせて。
確かイーゴは、レミーの料理を食べて、幼い頃の母親の手料理を思い出し、感動するのでした。
どんなに美味しい料理も、幼い頃から食べ馴染んだ料理には敵わないのかもしれません。![]()
誰が偉大なシェフになってもおかしくない、というセリフも、心に残っています。![]()
