の前に


橋下知事に噛み付いた府職員女性は

中核派


テレビに映った府職員が革命戦士だったという御話

http://tk01050.blog27.fc2.com/blog-entry-234.html

(徒然なるままに@甲斐田新町さん)


あの物言いはすぐにわかりますね^^

しかし、府民無視の労使交渉をいきなり始めやがって・・

という話なのですが

組合は大阪府の緊急事態を全く理解していないようです。


中小企業のサビ残ってどんなもんか知ってっか?・・です。


■北京五輪は中止の方向で^^


北京五輪は一種の中共に対する足枷であるのですが

「時は今をおいてなし」

とする阿吽の反中共の狼煙がチベットで立ったわけです。


ダライ・ラマ14世の画策?

何も出来ないように封じ込めてきたくせに

しゃーしゃーとよく言ったものです。


時の空気が各地での蜂起を促すのは必然であります。


世界各地で中国政府に抗議するデモ

http://www.mbs.jp/news/jnn_3804565_zen.shtml

(MBS)



さて、天安門事件の時には、

我が国中共工作に嵌った連中と、米国務省筋の工作の結果

天皇陛下訪中を画策し、国際世論懐柔に邁進しました。


まさに陛下ご訪中を政治利用する許されざる事態であったわけですが

西側要人の事件後最初の訪中は

国慶節祝賀に参列したアレキサンダー・ヘイグ国務長官でありました^^


時に1989年10月、

まさに”直後”であります。


ところが、今回は北京五輪開催という

タイムリミットがあります。


国際世論の沈静工作とごり押しの外交セレモニーをもってしても

対中批判をかわす”時間”がありません。


中共が対応に苦慮する激動のシーズンを迎えるわけですが

どちらにしろ、”五輪”という、

国際的監視の視線を浴びることを選択したのですから

自業自得の混乱は不可避でしょう。


ところで、「緩やかな民主化」が

我が国にとって喜ばしい選択だと考えている人がいるようですが

そんなことすれば


「侮日で、反日で、表面上だけ民主国家の

わけのわからない覇道国家」


が隣に誕生するだけです。


それこそ我が国活力を毀損するだけ毀損して

あとは融合し飲み込んでしまいます。


我が国に未だにアジア主義への幻想が残っているのは

孫文・汪兆銘の時代の黎明の時代の可能性に対してであり

共産国家誕生後のシナにそのようなものは一片たりとも

残っていないのであります。


孫文については、色々な評価がありますが

少なくともまともな隣国の国家人であり

対等に国家関係を論じるに値する指導者であったのは確かです。


誤解があってはいけないのですが

反日行動を執ったから相手に出来ないとか

親日的ではないから相手に出来ない・・・という評価は

国家間関係に於いてはどうでもいいのかもしれません。


立場を変えれば、

中国から見て、

今の我が国の媚中政治家が我が国リーダーとなって

外交相手国の代表者となったとして

このような、傀儡のリーダーに全幅の信頼など

与えるであろうか・・・ということです。


傀儡であれば都合が良い・・と思われるでしょうが

それはあくまで、外交関係が成立するまでのことであり、

対等な国家関係に於いては

信頼のおける相手ではないのです。


で傀儡・・・ということについて、


影佐禎昭と西義顕証言

(葦津珍彦)



汪政権を日本軍閥の傀儡政権だと公式に決め付けようとしたのは、東京裁判での連合国側の主張であった。汪兆銘の和平工作の最初から最後まで交渉を担当した責任者である影佐中将は、東京裁判の証言台に立ち、汪を兆銘が孫文の遺鉢を継ぐ偉大な革命家であり、いかに中国の独立と尊厳を守ったかを、一つ一つ例証して述べ、その人格の高潔さを讃えた。中国検事がそれでもなお汪の傀儡性を詰問すると、影佐は憤然として、

「貴官は、このような偉大な中国の革命家を、私如き片々たる一武官が指導したり、干渉したり出来ると思うのか!」

と述べた。

孫文の第一高弟として、命をかけて中国革命に尽くした汪兆銘の歴史的業績を知るその中国検事は、一言も無く、影佐の証言の前に沈黙させられたと言う。


孫文にしろ、汪兆銘にしろ、

その言動に、我が国の思惑に反する部分があったとして、

「信頼の置ける対手ではなかった・・・」

などという意見も有るのですが

何を持って、反日親日の分類を企図するのであろうか・・

ということです。


当時、黎明の時代に於いて、

孫文・汪兆銘が、真に祖国中国の前途を思っていたから

我が国は偉大なる両革命家を信頼していたのであって

単なる傀儡であれば、

所詮国家を危うくする存在でしかなく、

所詮は地に足の着かない指導者として遇するしかないということです。


そういった意味では、

蒋介石も対手となりうる存在ではありましたが、

自らの意思によらない振る舞いが、

所詮信用できぬと判断される結果となるわけです。


焦土抗戦か、救国和平か

汪兆銘主席を偲ぶ会



当時、近衛声明により、日本は中国に対し、賠償、領土等について戦勝国として権利を要求する意思の無いことが表明されていた。薫(*道密)や高(*崇武)の報告によっても、この日本の真意が本物であるとわかった以上、現実的には多くの問題があるかもしれないが、中国民衆の困窮を救うために、外交的話し合いの道を開くべきである・・・というのが汪兆銘の考え方であった。


 これに対して蒋介石は、これまでの一枚看板である抗日の旗を降ろせば、中国の統一はたちまち崩れる、共産党はもちろん、広西の李宗仁、白崇嬉も閻錫山、憑玉祥らあらゆる軍閥や諸党派が反蒋の口実を得て起き上がり、内戦は不可避となり、外敵と和平すれば内敵跳梁し、おさまりがつかなくなる・・・という主張である。


 これに加えて米英の思惑がからんでいた。米英にすれば、蒋介石を虜にして、あくまで日本と闘わせるのが何よりの対日牽制策であった。要するに、わずかな援助物資を提供することにより、

「アジア人をしてアジア人と戦わしめ」

ることが出来、自分たちの東亜における支配体制を守ることが出来る。そのためには、蒋介石政権が和平に傾いては困るのである。


これに対し汪兆銘は



米英の尻押しで、よしんば蒋が勝ったとしても、決して東亜の安定にも、中国の民生の救済にもつながらない。


と米英による深謀を正しく見抜いているわけです。


もちろん、それでいて、

我が国に対し、批判も抵抗もしています


つまり、今日日、我が国に対する批判、揶揄・・というものが

祖国を思って言及するのであるのか

単に政治的アジテーとして漏れてくるのかによって

その意味するところは全く異なってくるわけです。


で我が国では、

現在においても、

太鼓持ちの如くにリップサービスをしてくれる相手を

「親日家」

として信頼する傾向にあります。


それは米国にしても中国にしても

どこの国の人物に対してでもあります。


しかし、外交二国間においては

親日知日だけの、歯の浮くような言質で遇するだけの相手など

所詮、信用できる存在ではないかもしれません。


で何が言いたいのかと言うと

この切羽詰った中共の苦境に対し、

必ず、塩を送ることを考えている我が国政治家がいる・・ということです。


彼らにすれば、恩を媚を売るつもりなのでしょうが

一時的に中共の覚えがあったとしても

独裁国家の為政者としては、これほど気味の悪い存在はありません。


北京オリンピックを成功させる会

か何か知りませんが

核ミサイルを向けられている国の政治家が標榜するようなものではありません。


中共にしても、喜びこそすれ

彼らを心の底から信頼することは今後もないでしょう^^