お久しぶりに書きます。
もう遅いんで、早速、
タイトルの通りです。
人々はなかなか納得しません。
急に何を言うのか、と思うでしょうが、以前書いた人種差別の記事⇒またまた人種差別
この記事の図で示すように、色んな人がいますし、もっと言うと色んな状態の人がいます。
この色々な人達の納得とは何か、と問わねばならないわけです。
スタープラチナ←この記事ではジョジョの奇妙な冒険での3部主人公のスタンド、スタープラチナについての考察が記載されている。
ここではスタープラチナではなく、記事下に書かれている3部主人公の状況を鑑みていただきたい。
次の様に記載されている。
““第3部の主人公空条承太郎は、生まれ持った「素質」・育った「環境」・そして素質と環境から得た「実力」において、あらゆる人間の中で「最も恵まれた者」である。これらから得られた彼の「完全に近い力」は、人の身でありながら神に比肩する力を持って悪神と戦った神話の英雄のごとく、神にも等しい力を以って世界を支配せんとするDIOに対抗し得る唯一の力となって、人々をその魔の手から守り救うことになる。しかしその力が故に承太郎は、人でありながら人としての性質から遠ざかった存在として生きる宿命を背負うことになる。彼の「全てを高度にこなす完全さ」は、不完全な者たちがまだるっこしく生きる世の中に対する抑えようの無い苛立ちとなって彼をいわゆる「不良」へと成長させる。しかし反面彼は、自分の苛立ちが「たまたま恵まれていただけの者の身勝手な感情」であることも自覚し、その相反する感情と理性の堂々巡りに苛まれることになる。
「恵まれた者」である彼には、「恵まれない者」が生きるための辛さや成長するための努力を、頭で理解することはできても心で実感することができない。彼は「恵まれない者」が努力に努力を重ねてやっと乗り越えられるような事を当たり前に行えるが、それは彼が「恵まれた者」だからであり、もしも彼自身が「恵まれない者」だったとしたらそれを乗り越えられるか、知ることはできないし、自信も持てない。なぜなら今の自分の全てはその実力はもとより心の強さに至るまで「恵まれていた」が故にあるのであり、そんな自分に「恵まれていなかった自分」のことなど想像もつかないからである。
だから彼は、「恵まれない者」が自らの境遇にくさることなく「強くまっすぐ生きる姿」に心を打たれ、渇望にも似た憧れを覚える。恵まれない環境でエネルギッシュに人々が生きるインドを「気に入った」(15巻P151)と言い、チビで怖がりだがいざという時には恐怖を克服できる勇気を持つ広瀬康一を「尊敬する」(39巻P65)・「君と知り合えて本当に良かった」(47巻P23)と言ったのも、そこに「自分には決して手に入れられないもの」を見出したからであろう。そして彼が「学者」という「未開の知識と知恵を切り拓く」道へと進んだのは、それが完全なる自分の実力をもってしてもなお困難で、手応えと充実感を得られる道だったからであろう。””
空条承太郎を、先ほどの記事の図で考えた時、どのような人間とするのか、
洞察力高い、論理力も高い、心の栄養はやや民主的かもしれない、物理的思考展開、つまり情報処理能力も高い。表現としては支配的だ。この様な人間が、『恵まれない者』の感情を理解できるだろうか。
上記考察にあるように、難しいかもしれない、心で理解することは。
そういう人間にとっての納得とはなんだろうか、
我々が問わねばならないのは、そういう事ではないだろうか。
一人ひとりの状況や、状態から生まれる納得を『理解』してやることではないだろうか。
目指すべき問い、正しい答えを得るには、正しい質問(問)から、
問いの部分には立てたのかもしれない。
人は星観て導かれる。しかし足元もまた観なければ。

