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 うだつの上がらない錆びついた一人暮らし生活に、二つの事象が連続して、身に降りかかった。一つは、中学の友人の来訪。もう一つは、両親の来訪である。

 経緯は省くが、中学の友人の来訪は自身にとっては喜びと捉えられるものであった。彼と共に、夜も更けるような時間までとりとめもない会話を楽しんだ。しかし、その会話を回顧すると自身の汚く澱んだ精神が露呈されていた。彼には、大層な講釈を得意満面に述べていたが、それらはすべて自信がなしえなかったことの延長に過ぎず、「夢」と解釈が及ぶものに違いなかった。

 私が発言して最も自傷的であったのは「俺ここまで頑張ってきたのになあ」というものだ。元来、私の性格はひどく臆病で狡猾で嫉妬深いものなのである。そして、私自身それをよく理解しているので人に対しては汚らしい自身の性情を隠し、穏やかな自分というペルソナを被っているだけなのである。本当の自分をさらけ出せば誰も自分などにはかかわってくれないのだから。

 だから、私はペルソナをかぶり続け、八方美人を貫いてきた。ふと、気が付けば、友人なんかいなかったのだ。自分の友人はペルソナをかぶった偽りの自分の友人。本当の臆病で狡猾で嫉妬深い自身の友人など誰一人としていないのである。

 人に対して被るペルソナは異なる。人によって、面白い自分、真面目な自分、インテリジェンスな自分ととっかえひっかえ演じてきた。勉学で考えれば、浪人をせずに、公立→国立に行くことが親孝行になると考えていた私は極めて盲目的になり、自身の精神の成長を成熟させる前に逃げるように、地方の国立大学に入学した。部活だってそうだ。本当の自分をひた隠し、相手に都合の良い自分を演じることで副部長という役職に二度もついた。必死に頑張って得たものは何だ?功績は得られなかった。足跡が大事などというものは詭弁でしかない。部活の仲間だって偽りの自分の仲間であって、本当の自分をさらけ出したら逃げ出すに決まっている。

 つまり、今まで自分は頑張ってなどいなかったのだ。その時々で都合の良い自分を演じひたすら自己を隠ぺいすることで自衛をしていただけの臆病者だ。これに気づいているのに今まで頑張ってきたという虚言をよくものうのうと吐き出したものだ。

 こんな現実フェアじゃない、なんで俺より頑張っていないやつの方が幸せそうなんだ、もっと俺を見てくれ、薄汚いとののしるだけでも、いいから、存在価値を、、、

 

 臆病故に前進できず、狡猾ゆえに相手の動向を真っ先に考え、嫉妬深さゆえに相手の成功を許せず、自身の弱さを認めたくがないため、逃げる。そんな逃避行を今までもこれからも続けるのだと思うと、、、、、、、、、、、、

死にたくなる

 

 両親の来訪は自身の卑小さを嫌というほど見せつけられた。私の両親は私によらず聖人のように寛大である。あそこまで献身的にサポートしてくれる両親など地球の裏側まで探しても見つからないはずである。唯一の欠点は私が生まれてしまったことだろう。何考えてるのかわからないと必ず思っているのに、優しさゆえにそれを言及しない。私はそれに甘えて全く成長しようとしない。親だからわかるだろうと自暴自棄な信頼押し付けているだけの餓鬼である。本当にごめんなさい、こんな子供に育ってしまったのはすべて私の責任です。許してくれないですよね。許してくれる前提でこんな聞き方をする私は人間の屑ですよね。

 もう友人も両親も帰ってしまった。昏く寂しく気が狂いそうな毎日が始まってしまう。こわい、できることなら、一生布団の中でむせび泣いていたい。俺が生きるのにこの世界は些か残酷すぎるんだよ。泣きながら綴ったこの文章もそろそろ締めよう。
 私は教育者になりたかった。でも、なれない。子供に悪影響だ。児童期にこんな屑に触れてはいけない。私は子どもの笑顔が好きだ。そこに私が抱える邪悪な性情は潜んでいないからだ。私は恋人がほしかった。しかし、それは許されない。私が人を幸せにする権利はないからだ。

 人は誰しもが闇を抱えて、悩み、葛藤し、時には逃げることもある。闇が光と似たような色をしていることが多いから勘違いをする、一寸先は闇だ。紙一重なのだ。そして、いつの時代も隣の芝生は青く、自身は最低最悪なモンスターだ。打ち克つことなどできない。だから、全力で逃げ続けるのだ。死ぬまで闇に追いつかれないように、ひたすら、ひたすら、

逃げるしかないのだ