語学についての独り言
最近は翻訳機もAIもある。語学を取り巻く環境は、ずいぶん変わった。だからといって、語学が無意味になったかと言えば、そうでもない。ただ、意味の中身は確実に変わったと思っている。母国語をうまく扱えない人が、英語を話せても、正直あまり期待しない。これは英語の問題ではない。日本語でも同じだからだ。話の筋が通らない。結論が見えない。責任の所在が曖昧。こうした癖は、言語を変えても消えない。振り返れば、学生の頃から、誰かの指示で動く人生には馴染めなかった。言い訳も、誰かのせいにもできない立場にいる時間が長かったからこそ、どう伝えれば相手が動くのか、どこで言葉を止めるべきかを、否応なく学ばされてきた。通訳を挟めば安全だ。だが、安全な言葉は、必ずしも納得を生まない。AIを使いながら、自分の言葉で補足する方が、結果として腹落ちする会話になることが多い。言葉は、口だけのものではない。目線、間、身振り、そして雰囲気。人は言葉より先に、「この人を信用していいか」を感じ取っている。多くの人は、「うまく話そう」とするから言葉をのむ。だが実際には、相手に話させる一言があれば、会話は回る。母国語話者に気持ちよく話してもらい、こちらは要点だけ拾えばいい。英語で仕事をしてきて分かったのは、語学は才能でも武器でもないということだ。怖じけないための支えに過ぎない。ちなみに、語学が一番早く身につく方法は何かと聞かれれば、私は笑いながらこう答える。現地の彼女を作ること。(笑)冗談のようで、半分は本気だ。生活と感情が絡むと、言葉は否応なく必要になる。取り繕いも通じない。孫がいる立場になって思う。語学留学に行かせたい理由も、そこにある。流暢さはいらない。発音も二の次だ。・分からない場所に立つ・怖じけない・分かったふりをしないこの三つを身につけて帰ってくれば、十分だ。語学とは、言葉を増やす勉強ではない。人と向き合う覚悟を鍛える時間なのだと思っている。今日も、そんな独り言。