6th シングル『ガールズルール』収録「他の星から」
参加メンバー:伊藤万理華、井上小百合、斉藤優里、桜井玲香、中田花奈、西野七瀬、若月佑美
この楽曲といえばPVの世界観が独特でまたライブでも人気の楽曲である。
参加メンバーを見て思ったがもう残り一人になってしまったのか。
先に自分が考えた答えを述べよう。
この楽曲のテーマは『静かなサイレントマジョリティー』だ。
意味がダブってしまっているように感じるがとりあえず進める。
まず『サイレントマジョリティー』といえば、欅坂46のデビューシングルとして、世間に非常に強いインパクトを与えた。
また最近ではアメリカ大統領ドナルド・トランプ氏がTwitterで『SILENT MAJORITY!』と呟き話題にもなった。
そもそもこのワードは1969年のニクソン大統領の発言に遡る。
意味は「物言わぬ多数派」とあり、積極的に発言しないが大多数である勢力のことである。
楽曲『サイレントマジョリティー』では、ニュアンス的に同調圧力の下、権力を握った大人(親だったり教師、政治権力を指してると思われる)存在に屈せず自分らしさを取り戻さねばならないという意味合いが込められている。
この意見には様々言われることがあると思うが、現実世界でのこの姿勢に自分は否定も肯定もしないでおこう。
話を戻すと『サイレントマジョリティー』は『動的なサイレントマジョリティー』だろう。というか直接的なのだ。
それがこの曲の良さなのだ。
つまりは「他の星から」は超比喩的なサイレントマジョリティーの存在を訴えているのだ。
それでは考察していこう。
1、微かな違和感
皆さんは生活しているときにふと違和感を感じることはないだろうか。毎日「見ていた」はずの景色がなんだか違うように感じる。こんなとこにこんなものあったっけ?こんな建物あったっけ?
多分私たちは「見ていなかった」のだろう。というか「関わろう」としていないのだ。無関心なのだ。
これは他者に当てはまる。友人や毎日会う人とは「関わっている」。つまりは感情や思考、行動を考え、相互作用を持ちうる。それは好きだったり、嫌いというこちらの感情を誘起する。
有名な言葉がある。「愛の反対は憎しみではなく無関心です。」マザーテレサの言葉だ。
これは主観の話だ。客観的に自らを見たときどうだろうか。他者と関わらないように仮面を被っているのではないだろうか。
この考えを社会にまで拡張する。必ずなんらかのコミュニティに属さねば生きられない。大きく言えば国家、自治体、小さいところでは学校や家族。そして現代ではSNSを通じた身体距離を取っ払ったグループを持つ。
それぞれは違うものだが、大きな差異はない。
ではもし関心を持つことを積極的に行う、もしくはこの曲のように無関心に気づいたらどうだろう?
「街の作りも(人々も)ジオラマみたい」「誰もが同じ与えられた仮面で表情がない」
没個性で、無関心の存在を指している。これは好きでやってるのではないだろう。同調同圧がもたらすのだ。
ではここに全くの異分子の存在、「ノイジーマイノリティー」が紛れ込んできたらどうだろう。
これまでとは全く逆の態度を示すのかもしれない。少し出た杭は打ちやすいが、出過ぎた杭には何もできない。では関わらない方が身のためだと思ってしまうのだ。そしてそれを迎合してしまうのだ。受け入れを飲まざるを得ない状況を作ってしまう。
「妄想なんか誰も気にしてない しあわせに思えるんだったら知らない間に滅亡してたってみんなと一緒なら楽しそう」
「サイレントマジョリティー」が淘汰される瞬間だ。それは幸せな変化かもしれないし、それは危険をもたらす変化かもしれない。
よく「サイレントマジョリティー」になってはいけないというが、真にそうかは懐疑的だ。サイレントな理由を無視しているからだ。十分な知識もなく騒ぎ立てる連中を時々見かける、彼らにとってこの時代は非常に生きやすい時代なのだ。
SNSは使い方さえコントロールすれば大きな武器となる。武器は守るものにも何かを壊すにも便利だ。
それっぽいことを発信し、現状に不満を唱え、煽る。これだけで盲目的に動いてしまう人間がいる。十分なエビデンスもないのに、そして専門家でもないのに声の大きさだけは一流。そんな奴には絶好の環境なのだ。メディアリテラシーの名のもとみたくない情報を捨て、都合のいい情報の切り抜きをする。
全く楽なお仕事だ。
2、具体的変化
「世界の危機ってこと私にはわかるけど ああそれより三味線のお稽古に遅れそうなの」
「当たり前は(当たり前は)怖いものだ いつもと同じが好きだ(はい)変化は嫌い 都合の良いロープで縛られよう」
変化を拒む様子が顕著に出てる。変化をしないことは楽なのだ。ほっとけば進むのだから。そのかわり他者がもたらしてくれる変化は楽なのだ。やってくれるのだから。でももう手遅れなのかもしれない。世界の危機なのかもしれない。
「遠い星から来た(初対面)未確認たち(侵略かもね) 誰かがきっと心配してくれるでしょ
法律がどう変わっていい 紀の善であんみつ食べられればそれ以上の贅沢は望まない」
この国特有の誰か任せが出てきている。自分で動こうとしない。「サイレントマジョリティー」となっている存在が描かれている。
ほんとうか?
マジョリティーはマジョリティーなのだ。この国にはまともな選挙システムがある。そこには少なからず反映される。時として恐怖を与えるのは「ノイジーマイノリティ」なのだ。選挙システムにケチをつけ、不正が行われている、絶対におかしい結果だ、陰謀論を唱える勢力を見かけた。証拠はなんだろう?昔、どっかの宗教団体がそんなこと言ってる映像を見た記憶もある。
彼らに甘んじ始めた時こそ本当の危機でないだろうか?
エビデンスもなく、声が大きいだけ、それを正当化するマスメディア。それを監視する「サイレントマジョリティー」もときには必要ではないだろうか?
サイレントマジョリティーのままではいけないとの主張もあるがときにそれを疑うことそれも必要ではないだろうか。でないと、他の星のものに気づいたら浸食されているかもしれない。
3、最後に
この文章のエビデンスは?
疑うことをお忘れなきように。