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第141回
< シンガポールに行っていた醍醐が帰って来ました >
「醍醐さん、帰っていらしたのね」
花子が亜矢子が無事に戻ったことを喜んだのも束の間だった。
「醍醐さん?!」
玄関先で佇む亜矢子は青ざめた顔で、花子を見るなり、その目をうるませた。
「はなさん … 」
「醍醐さん、どうしたの?」
* * * * * * * * * *
「 … ごめんなさい。
突然、泣き出したりしてしまって … はなさんの顔見たら、何だか安心して」
亜矢子は涙を拭った。
「いつお帰りになってたの?」
「少し前に … 昭南市は戦闘が終わっていたから安全だったわ。
結局、戦地らしい戦地は見ずに帰って来たの」
まるで何かに怯えているかのように、小声でうつむき加減に話す亜矢子にいつもの明るさの欠片もなかった。
「 … でも、戦争とはどういうものなのか、少し分かった気がするわ。
死って遠くにあると思っていたけれど、すぐ隣にあるものなのね」
* * * * * * * * * *
数日後、梶原が聡文堂を休業するという報告のため村岡家を訪れた。
「もちろん、再開したあかつきはまた原稿お願いします」
「はい是非 … 英治さんも青凛社を再開するつもりですから、印刷の方もぜひお願いします」
先はまったく見えない毎日だったが、梶原も花子たちも希望は捨ててはいなかった。
「あの … 醍醐さんとはお会いになりましたか?」
「そういえば日本に帰って来たようだね ~ 連絡あった?」
「ええ、先日いらして … 」
梶原は何か話を聞いたのか訊ねた。
花子の脳裏に亜矢子の虚ろな顔が浮かんだ。
「 … 余り話したくないようでした」
「そう … 」
「あんなに明るかった醍醐さんから表情がなくなっていて … 向こうで何があったんでしょう?」
* * * * * * * * * *
「ご家族から伺っただけなんだが、帰りの船で随分怖い思いをしたらしい」
梶原の話では、亜矢子が便乗していた船団がアメリカの潜水艦の魚雷攻撃に遭って、かなり沈められたようだった。
「沈んだ船の乗客は海に投げ出された。
だが、いつ次の攻撃が来るか分からない状況で、とても船を止めて救うことはできない … 」
亜矢子が乗っていた船は … 海に漂いながら、必死に助けを求める人々を見捨てて、逃げるしかなかったのだ。
「醍醐君、帰国してから部屋に閉じこもってしまって、誰とも会おうとしないそうだ」
花子はそんな状態の中、会いに来てくれた亜矢子に対して何もできなかった自分がはがゆかった。
< 醍醐から笑顔を奪ってしまうほどの戦争の悲惨さを、花子も初めて身近に感じたのでした >
* * * * * * * * * *
そんなある日、甲府から吉平がやって来た。
「おお、美里、直子 ~ ぐっどあふたぬ~ん!」
縁側でビンに入れた玄米を棒でついていた孫たちに向かって、いつもの調子で挨拶した吉平を花子は慌てて諌めた。
「ぐっとあふたぬ~ん、お祖父やん」
「直子ちゃん、英語は使っちゃダメ」
年長の美里も直子に注意したが、肝心の吉平は首をひねっていた。
「お父、とにかくよく来てくれたね」
花子に歓迎された吉平は庭の片隅を耕して作った僅かばかりの畑に目をやった。
「ほう、えらく立派な畑作ったじゃん ~ 草取りけ、ああ、精が出るな」
花子は雑草を手にしながら、気まずそうに答えた。
「あっ、ううん違うの … 今夜のお汁の具を探してて」
「えっ?!
話には聞いてたけんど、東京はほんなに食うもんに困ってるだか?」
「うん、配給の量も減ってきてしまって … 」
花子は顔を曇らせたが、吉平はうれしそうに笑った。
「ほれじゃあ、やっぱし持ってきてよかったじゃん」
* * * * * * * * * *
縁側に腰を下ろした吉平は懐から小袋を取り出してみせた。
「ほれ、米じゃ」
それもひとつだけでなく小袋は手品のように次から次へと現れた。
「白いお米だ!」
袋からこぼれた白米を見て直子が声を上げた。
「こんなにたくさん?!」
花子が驚いていると、今度は同じように小分けにして紐で結ばれた味噌が出てきた。
「味噌じゃ、ほれっほれっ」
* * * * * * * * * *
「お父?!」
その後、吉平は花子と英治を伴ってかよの店を訪れた。
「ふたりとも元気そうじゃんけ ~ 」
カウンターの中でせっせと働く、かよとももの姿を見て安堵したようだ。
「お陰様でなんとかやってる。
甲府は変わりない? お母は元気にしてる?」
ももの矢継ぎ早の質問にも笑顔でうなずいた。
「あっちは皆元気だ」
* * * * * * * * * *
「 … お父がね、お米と味噌を持ってきてくれたの」
花子が小声でかよに話すと、英治がそっと紙袋をカウンターに置いた。
「て ~ こんなにもらっていいの?」
「遠慮なん、しなんでいい。
ほれから、こっちはうちで造ったブドウ酒じゃん」
吉平の懐はどれだけ物が入るのだろう … 新聞紙で包んだビンを取り出した。
「えっ、お父、ブドウ酒なんて造りはじめたの?」
「声がでけえっ」
* * * * * * * * * *
ももの声に反応したかのように、客席を占めていた軍人たちが一斉に席を立った。
吉平は慌ててビンを隠そうとしたが … 取り越し苦労だった。
「かよさん、ごちそうさん」
食事を終えた軍人たちはそのまま店を出て行ってしまった。
* * * * * * * * * *
空いたテーブル席に移りながら吉平は言った。
「かよ、コップくりょう ~ このブドウ酒、英治君にも飲んでもれえてえだ」
「お父、そのブドウ酒、本当に飲めるの?」
花子は疑わしそうな顔で覗きこんだ。
「バカにしてもらっちゃあ困る … 徳丸んとこにゃあ負けんだぞ」
「それは楽しみです」
英治は吉平につき合って隣の席に座っている。
「いいけ、かよ … ブドウ酒、あんな軍人なんぞに出すんじゃねえぞ」
コップを運んできたかよに吉平は釘を刺した。
「え、なんで?」
「あいつら、甲州のブドウ酒、根こそぎ持っていって … どうせ夜な夜な宴会でもやってるずら」
「そんなこと軍人さんに失礼だよ。
お国のために働いてくださってるのに」
かよは反論したが、吉平は譲らない。
「ほりゃあ、俺たちも一緒じゃん」
「お父は何も分かってない!」
かよには珍しく声を荒げた。
「ふたりとも落ち着いて!」
ふたりの間にももが割って入り、英治はブドウ酒の栓を抜いて吉平に勧めた。
「さあ、お義父さん飲みましょう」
かよはプイッとカウンターに戻ってしまった。
「うん、これは美味いですね ~ 」
英治にぶどう酒を褒められ、吉平はご機嫌だ。
* * * * * * * * * *
「ああ、そうだ … 今日は、かよとももに相談があって来たの」
花子は思い出したように言った。
「相談?」
「お父がね、甲府に疎開して来ないかって」
「甲府には食いもんはある … 東京から疎開してきている人もいる。
食べ盛りのボコにためにも、皆で甲府に疎開してこうし」
花子は美里を甲府で預かってもらおうと思っていることをももに伝えた。
「8月には生徒たちの集団疎開の計画もあるみたいだから … 」
「そう … お姉やんはどうするの?」
ももに訊かれて、花子は自分は東京に残ると言った。
「英治さんも仕事があって東京を離れる訳にはいかないし、うちには大切な本もたくさんあるし …
かよはどうする?」
「私はいかない」
考える間もなくかよは答えた。
「何でだ ~ 大した配給もねえに、店やっていくのも苦しいら?」
確かに吉平の言う通りなのだが … かよにはこの店を離れたくない理由があった。
「私にとって、この店は命より大切なもんだ。
物不足で大変だけど、何とかやってく」
それを聞いて吉平も口をつぐんでしまった。
「私は東京に残って、この店を守る」
肉親であっても口を挟む余地がない、かよの固い決意だった。
* * * * * * * * * *
結局、甲府には、美里と直子、子供たちだけを疎開させることになり、花子がふたりを実家まで預けに連れてきた。
「お祖父、お祖母やん来たよ ~ 」
元気いっぱいで家の中に駆け込んできた直子を、ふじと吉平は喜び勇んで出迎えた。
「待ってただよ ~ 」
「ごきげんよう」
< 美里と直子が安東家にやって来るのははじめてです >
「さあさあ、上がれし、上がれし」
ふじが子供たちに家に上がるように促した。
「 … ふたりとも、その前に」
花子はふたりに目で合図した。
「はいっ!
今日からお世話になります ~ よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
しっかりと約束してきたのだろう、美里だけでなく直子も一緒に、ふじと吉平に向かってきちんと頭を下げて挨拶した。
* * * * * * * * * *
「て ~ よく出来たボコたちじゃんけえ」
感心しながら入ってきたのは、リンと朝市だった。
「美里ちゃん、直子ちゃん、よく来たじゃん。
ふたりの転校の手続きはもう済んでるだよ」
花子は朝市が学校に居てくれると思うと心強かった。
「朝市先生、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ふたりに丁寧に挨拶されて、朝市は照れくさそうにお辞儀して返した。
「て ~ よく出来たボコたちじゃんねえ」
リンが繰り返し感心していると、吉平が得意げにうなずいた。
「ほりゃあ、俺の孫たちだから当たり前じゃん」
「また始まっと」
ふじが茶々を入れ、一同が大笑いしているところに、甚之介と武の徳丸親子がやって来た。
* * * * * * * * * *
「ごめんなって」
「武 … 徳丸さんもご無沙汰しております」
武のくせにいつの間にか鼻の下に髭なぞ生やしていた。
「おう、疎開してきただけ?
東京はえらく大変みたいじゃんな」
花子とひとしきり挨拶を交わした後、甚之介は台所の方へと足を運んだ。
「徳丸さん、また何の用で?」
ふじが訊ねた。
「今日はおまんとこのブドウ酒、全部引き取りに来ただ。
隠してるブドウ酒、全部だしちゃあ!」
甚之介から頭ごなしに言われた吉平は不満ありありの顔でうそぶいた。
「てっ、何で知ってるだ?」
「軍に供出しろ!」
甚之介が言うには、敵の潜水艦を捜す機械を作るのに、ブドウ酒の成分が必要なのだそうだ。
そんな理由を耳にして、吉平は鼻で嗤った。
「ブドウ酒で潜水艦を捜すだとお?!」
< てっ、ブドウ酒はそんな使い道もあったんですね? >
「この非国民があ!」
「ああ、供出すつのは当たり前じゃんけ!」
「さっさと渡せ!」
親子そろって、吉平を責め立てた。
* * * * * * * * * *
「渡せねえ!」
「お父!」
「あんたまたほんなこん言って!」
花子とふじが嗜めたが、吉平は聞かない。
「さっさと出さんと、おまんの息子の憲兵だって、捕まえに来るかも知れんよ」
リンの脅しも効果はなかった。
歳を取った吉平は、誰もが手を焼くほどの頑固者になっていた。
「決められた分は供出してるら!
残った分、自分で飲んで何処が悪いだ?
お国のため、お国のためって … 俺もお国の中のひとりじゃん」
「何を訳の分からんこん言ってるだ!」
業を煮やした甚之介が大声を上げたが、吉平は知らぬ顔で水瓶に腕を突っ込んだ。
「てっ?」
水瓶から取り出したのはブドウ酒のビンだった。
吉平は栓を抜き、おもむろにビンに口をつけてラッパ飲みした。
「あ ~ 美味え」
頭を抱える一同。
* * * * * * * * * *
「まだいっぱい隠してるずら?!」
「ああ、隠してるさ」
抜け抜けと答えた吉平は、甚之介の目の前でもう一度ブドウ酒のビンを呷った。
「あ ~ 美味え」
「やめちゃ!」
しかし吉平が素直に止めるわけがなかった。
「やめちゃあ!!」
< このふたりの関係は、戦時下でもちっとも変わりませんね。
… ごきげんよう、さようなら >
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※甚之介が言っていることはあながちウソではなかったようです。
戦時中のワイン造りの奨励 ...
