長いこと横浜に住んでいながら、三浦半島に向かう京浜急行線には、いつぞ縁がなかった。
梅雨らしいじめっとした雨もやみ、目的の駅を降りる頃には日差しも見え始めた。
初めて降りたその駅は「按針塚」。「金沢八景」から三つ目の駅だ。
あいかわらず「唐人お吉」研究は続いているが、はたして日本人と西洋人のエピソードを掘り進めていくうちに、徳川家康に可愛がられて旗本にまでなったイギリス人の船乗り、三浦按針ことウイリアム・アダムスに行き着いた。ペリーが来る、253年も前の話だ。
今から33年前にアメリカで作られて話題を呼んだ「SHOGUN 将軍」というドラマは、この按針をモデルにした話で、なんとこの春、フォックスがリメイクして2014年に公開することを発表した。
「安針塚駅」のある横須賀市逸見は、按針が家康から与えられた250石の領土があった場所だ。
駅から安針塚のある「塚山公園」までの道のりは思った以上に険しかった。
後で地図を見て知ったが、按針塚がある場所は、「按針塚駅」と隣の「逸見駅」のちょうど中間。しかも山の上だ。
「按針塚駅」から行くと、公園の裏手から上がって行く感じになる。
そもそも、この「按針塚駅」という駅名は、昭和9年の開業時には「軍需部前駅」だったらしいが、その後、軍施設の所在を明らかにすべきでないという理由で、強引に「按針塚」となった。
つまり実際には按針塚の最寄り…というほど近くはない。
住宅街をぬけ、20分近くひたすら急坂を上っていく。すでに日差しは強く、暑い、暑い。
ようやく城のようなトイレが見えて、公園に入ったことがわかった。
間違いない。
さて目的地は…あの上らしい。
説明書きを見る。
階段を登ると大きな石碑があって…。
さらにまた長い階段が…。
ゴールは近い。
…到着。
按針塚は、領主だった按針夫妻の“墓”とも書かれているが、按針が56歳で亡くなったのは九州の平戸で、納骨された墓がそこにある。
領地だったここにあるのは厳密に言えば供養塔。
「徳川様への恩に報いるため、永遠に江戸を見守ることができる場所に墓を建ててほしい。」という按針の遺言によって建立されたものらしい。
見渡せば、遠くに海も見えるし、のどかな棚田もある。
按針亡き後、日本人との間にできた息子が、三浦按針の名を継ぎ、二代目の領主となったというが、その後の記録は見つかっていない。
家康が亡くなって、鎖国政策が進み、按針も、その一族も不遇にさらされたようだ。
現在、この場所は県立公園として整備されているが、長い鎖国時代には忘れ去られていて、明治初年にイギリスの研究者がこの地に按針塚があることを発見したらしい。
公園の先に「港が見える丘」という見晴らし台があった。
軍艦が停泊した横須賀港が見渡せる。地平線の先は東京湾だ。
今なお軍事基地の跡が、そのまま残っているという猿島。ここにも、ぜひ行ってみたい。
さかんにシャッターを切っていると写真好きのおじさんが話しかけてきた。
天気がいい時には、ここから対岸にスカイツリーを見ることができるらしい。
おじさんが撮ったというスカイツリー写真も見せてくれた。
なるほど…按針の供養塔は確かに江戸に向かって建っていた。
帰りは、ひたすら下がる。
来た道と同じ道を戻るのでは面白くないので、ひとつ先の「逸見駅」をめざすことにした。
階段を下りきったところに、大正時代の按針塚補修工事の時に建てられたという道標があった。
この辺りは、まだ古い家屋が多い。軍の施設に近かったはずだが、戦争では焼けなかったようだ。
このアパートは江戸時代からある…わけはない。
「逸見駅」近くの「鹿島神社」。
按針の息子が社を増築したとか。
氏子には漫画家も大勢いそうだ。
さらに、その近くにある「浄土寺」。
寺のホームページには、按針の菩提寺と書かれていたので訪ねてみたが、とくに何の説明もない。
本堂のわきにある、この建物は何か按針チックな感じがしたが、何だかわからない。
来年、新しい「SHOGUN 将軍」が流行る頃までには、駅前から按針塚まで行き方を示す地図と、菩提寺・浄土寺に、せめてホームページに紹介されている程度の説明はほしいな。
それにしても暑かった。もう、夏だな。
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