3月11日、地震のあった日ブログを更新しました。
「怖かった」と。
家族の無事も確認できて、地元宮城の大変な被害状況もまだ知らずもう終わった事として考えていたんだと思います。
翌日、家に帰りテレビをみて「大変な事になっている」と初めて認識。
そして今日まで何をどう言葉として表現していいかわからずブログを更新しませんでした。
私の地元が仙台だと知っている人からは近くの友人も遠くの友人からもたくさん連絡をもらいました。
みんな全然大丈夫だったのに怖くて震えていただけの私に「大丈夫だった?地元の家族も大丈夫?無事でよかった」と言ってくれた。
仙台の家族でさえ、友達でさえ、連絡が取れて一言目に「そっちは大丈夫?」と聞いてくる。
こっちは全然大丈夫なのに。
へんな人達が買占めをしてたり、停電したりすることなんてなんてことないのに。
私はテレビをいくら見てもどうしてもこんな大変な事が私の地元で起こっている事が信じられませんでした。
昨日、仙台でお世話になっていた先輩から地震後初めてメールが来ました。
「私は無事です!
津波で高台に避難するのは初めて。
手前で津波は止まり無事でしたが津波で家を失ったスタッフを思うと複雑です。
今は津波で家を失ったスタッフや未だ親と連絡が取れないスタッフたちのために今できる事を周りと協力しながら元気に働いています。
ご両親は大丈夫でしたか?」
ずっと連絡が取れなかった石巻で家族と暮らす後輩からやっとメールが来ました。
「私は無事です。でも大変です。」
家にまで津波が来てお父さんの安否が取れていないという事を他の友達から聞きました。
大事な携帯の充電を使って、本当に大変なときにメールをくれたんですね。
自分の近い知り合いの近くで本当に起こった事なんだと、初めて実感した瞬間でした。
自分に出来る事を、ここ数日ずっと考えてました。
被害がなかった地域にいたんだしなんでもないんだから、日本復興のためにいつもどおり仕事をしよう。
募金をしよう。
出来る限りの節電をしよう。
祈ろう。
この場を借りて、心配して連絡をくれている皆さんにお礼を言いたいです。
また、何日も放置している私のブログに毎日来てくれたりコメントをくれたりしてくれる皆さんもありがとうございます
私のできることを私なりにやっていきます。