二種類の自信

 

技術を発揮する権利が保障されている「競争ゲーム」では、量による自信を持つことが可能

 

陸上競技 フィギアスケート 体操 水泳・・・

 

「私はこれだけやったのだから」

 

「私はだれよりも練習したのだから」

 

ゲームでは「自分次第」で、練習したことの全てを実行できる。

 

量による自信。「自分に勝つ」

 

 

一方、「闘争」に分類されるゲームにおいて「量による自信」は嘘である。

 

サッカーという闘争ゲームで本当の自信を構築するためには、理論上「試合における成功体験」を積み上げていくしか方法はない。

 

練習ではなく試合である。

 

成功体験に起因する自信を得るためには、試合において、「失敗するかもしれないこと」時には失敗しながら、成功していかなければならない。

 

サッカーは自分に勝つスポーツではなく、相手に勝つスポーツ

 

日本人が信じている「やればやるほど自信が持てる」という思考態度は、過度な訓練や精神論を助長する。

 

一切体罰や日本的な理不尽な訓練をしてこなかった外国人プレイヤーが、本物の自信を身にまとってピッチに立っていることを知っている。

 

大きな舞台、あるいは大切な局面において自信を持つには、大きな舞台で、大切な局面で成功体験を積み上げていくしかない。

 

そのために「挑戦」や「失敗」がある