ドクロのハイヒールとオーブのライター、タータンチェックのライダース
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花びらサーロインステーキ(超仮題)序章第一話


「一つめと二つめの花びら『不良娘と暴力少女』」




 今日から始まった高校生活は、あたしにとって昨日までの日々となんら変わりなく、彩りに欠いた日常の続きとなるはずだった。退屈が延長されただけ。中等部から高等部に自動的に進学する我が校で、制服と校舎が変わった以外にどんな変化を見出せというのか。
 卒業するまでの三年間、せいぜい倦怠感を味わい尽くしてやるさ―――なんてひねた考えで入学式に臨んだ。
 そこで渡されたクラス編成のプリント。中等部の最終学年を一緒に過ごしたシホと離ればなれになってしまい、ああこれで最低でも一年間は独りだな、と自嘲気味に口元を歪ませたところで―――その名前が目に付いた。
 目を疑った。
「シホ、ちょっとシホ」
 不満げにプリントを睨んでいる友人の肩を揺する。
「こいつ誰。こんな名前の子、うちの学年にいたっけ」
 おもむろにシホのクラス表を指さす。
「んー、わたしも知らない。高等部からの入学組じゃないの? 今年も二十人ちょっと合格者出たらしいよ。ほら、うちって最近ブランドの割には他大学への進学率が低いじゃん。カネ持ち集めただけのバカ校って思われたくないから、よそから優等生引っ張って偏差値底上げしようとしてるんだよ」
 あたしの表情が露骨に強ばっているのに気付いて、シホは怪訝そうに首を傾げた。
「なに、アキの知り合い?」
「いや―――」
 疑う余地はないだろう。同姓同名だなんて、そんな都合のいい新入生がいるものか。
 頭を抱えてその場にうずくまりたい衝動を抑える代わりに、深く溜息をついた。
「カナ、あんたなんにも分かってない……」
 ……なんで来ちゃったんだよ。





「ねえアキちゃん、泣かないで」
 あの頃、あたしは何かあるとすぐに幼稚園から姿をくらましていた。逃げ出した先は公園だったり、スーパーの立体駐車場だったり、高架下の空き地だったり。がむしゃらに走って疲れ果てた先でうずくまっていたので、特定の場所なんて決めていなかった。ひとりになれればなんでもよかった。
 だというのに、カナは必ずあたしを見つけだした。どこに隠れていようと、カナからだけは絶対に逃げられなかった。
「どうしてこんなとこで泣いてるの。みんなアキちゃんのこと心配してるよ。またいなくなっちゃったって心配してるよ」
 ―――そんなの嘘だよ。絶対に嘘だよ。
 今も昔も変わらない。疎ましく思うことはあって、誰もあたしは受け入れなんてしなかった。いまはそうやって他人から邪険に扱われるのがひどく心地いいけど、あの頃は悲しくてしかたがなかった。
「嘘じゃないよ。ねえ、どうしたの。なんで泣いてるの」
 ―――だって、だって。
「また髪の毛、バカにされたの。今度は誰。ノブ君? それともヒロ君?」
 ―――あたしの頭、錆びてるみたいだって。ちゃんと洗ってないから、汚いんだって。
 異人の血があたしの髪を燃え上がらせた。幼稚園という閉じられた世界では、この赤毛は殊更に目をひいた。あたしは男子たちの格好の的だった。徹底的に拒絶された。
「汚くなんてないよ。アキちゃんの髪の毛、きれいだよ。いつもキラキラ輝いていて、すごくうらやましい」
 あたしの赤毛を優しく撫でてから、花弁の蜜の匂いを嗅ぐように顔を近づけて、最後にそっと髪にキスをする。いつもカナはそうやって慰めてくれた。
 異人の血が混じったあたしを、「おおがねもちのごれいじょう」のあたしを、「しょうふくのこ」のあたしを、まるで腫れ物にでも触るかのように扱う大人は大勢いた。みんなよそよそしく、他人行儀で、作りものの笑顔で本音を隠していた。
 カナだけが自然体で接してくれた。他人の言葉の一切合切が信じられなかったあたしでも、カナだけは嘘をつかないと心を許していた。
「ねえ、アキちゃん教えて」
 カナはいつでも本気だった。疑う余地なんてまるでなかった。
「今度は誰なの。誰が、アキちゃんをいじめたの。誰が、アキちゃんをこんな風に泣かせたの」
 自分で言うのもなんだけど、あたしほど他人を信用しない女はいない。今も昔も、あたしはあたし以外のすべてを敵だと見なしている。
「ノブ君とヒロ君と……それにケイタ君? ユウ君もそうなんだね。その四人なんだね」
 そんなあたしでも、カナだけは信用せざるを得なかった。
「うん、わかった。じゃあもうちょっとだけここで待っててね。必ず迎えに来るから待っててね」
 ―――どっか行っちゃうの?
「わたしは今から―――」
 だってカナは、


「そいつ等みんなぶっ飛ばしてくる」


 どうしようもないぐらい、あたしのことが好きだったから。



「わたしがアキちゃんを護る」
 それがカナの口癖だった。
 みんなあたしのことなんて嫌いなんだ、どこに行っても敵しかいないんだとイジケると、カナは拳を突き出して笑ったものだ。
「みんなやっつける。アキちゃんを泣かせる奴はわたしが許さない」
 強くなりたい、アキちゃんの悲しみが晴れるぐらいに強くなりたい。ことあるごとにカナはそう言った。
 彼女はとにかく喧嘩っ早かった。真っ先に手が出た。問答無用でまずは殴った。毎日のようにあたしが泣くから、カナも毎日男子を泣かした。何人相手でも、自分が泥まみれになろうとすり傷だらけになろうと怯みはしなかった。
 幼稚園の頃はまだ「男勝りでやんちゃな女の子」で済まされた。だけど、小学校に進学してもカナは変わらなかった。あたしが相変わらず泣いていたから、その原因を絶つため喧嘩に明け暮れた。
 あまりにも血の気が多すぎるということで、カナの父親は彼女をカラテの道場にいれた。そこで狂犬のような性根を鍛え直せ、と。……それがいけなかった。本格的に喧嘩の「技」を学んだことで、いよいよ手をつけられなくなった。同年代の男子ではカナに太刀打ちできなくなった。
 元々運動神経が桁外れに高かったけど、格闘技との親和性は輪をかけて好かった。綿が水を吸うかのように上達していき、小学部の大会であっさりと優勝を果たした。男女合同なんて名ばかりの、男子しか参加者がいない大会で、だ。
 ただし、カナは女の子には頑なに手をあげなかった。それはカラテでも同様で、組手はしても試合は棄権した。小学校高学年になり、男子は男子、女子は女子で区別されるようになると試合に出なくなった。道場で黙々と自分の技を磨いた。
「アキちゃんを泣かす男子が憎い」
 それがカナの原動力だった。
 天性の才能を持ちながら、カラテをスポーツではなく喧嘩の手段としか見ようとしない彼女を、道場の師範は気長にかわいがった。天才といってもまだ小学生。未熟なのは当然で、これから格闘技の心得を教え込んでいけばいい……だなんてのんきに構えていたらしいけど、それはあまりにも甘い考えだ。
 当然、カナは中学生になっても何一つ変わらなかった。
体格に明確な差が生まれた男子を容赦なくぶっ飛ばした。
 さすがにこの頃になると、もうあたしは泣くのをやめていた。依然としてあたしの赤毛は目をひいたけど、それでイジメられるようなことはなくなった。避けられようが疎まれようが、屁とも思わなくなった。
 ただ、別の問題が発生した。まるで麻疹にかかったかのように、誰も彼もが色気付きだしたのだ。
 興味もない相手からの好意。口もきいたことがない男子からの接触。好きです、付き合ってください―――そこから生じる女子の妬み。すべてがおぞましかった。同じ生き物とは思えなかった。
 カナだけはカナのままだった。変わらずに「アキちゃんを護る」とあたしに付きまとっていた。強引にあたしに迫ってくる“男”には、スカートを翻して回し蹴りを叩き込んだ。
 カナの喧嘩自慢は地元でも有名になった。「ゴリラ女」「鉄拳女王」「人間メリケンサック」と不名誉な通り名を数多く生み出し、男子からは忌避され、女子からは憧憬された。
 そう、意外なことにカナは中学生になってからやたらと同性にモテるようになった。スポーツ万能で勉強もできる上に、あけすけで快活な性格をしてる彼女は羨望の眼差しを一身に浴びた。まさかカナの暴力が支持される日が来るなんて。
「カナはさ、男に生まれればよかったのにね」
 ある日、あたしはそんなことを言った。
「男だったらなんでもできたのに。大好きなカラテだって、いくらでも上を狙えたのに。リングの上で好きなだけ嫌いな男をぶっ飛ばせたのに。もったいないよ」
 冗談でしょ、とカナは笑う。
「わたしがおとこ? 無理無理、絶対に無理だよ。女じゃなければ、わたし今頃どうなっていたことか。男じゃこんなにぽこぽこ気安くひとを殴れないって。わたしがわたしだから許されてるんだよ」
 これがカナの狡いところだ。幼稚園と小学校で散々問題を起こしてきたから、いい加減学習して、顔の使い分けができるようになった。「自分は他人よりかわいい」と知り、それを武器として利用するようになった。暴力問題を起こしても「カナだからしかたがないか」という認識を意図的に作り上げたんだ。
 女性に甘いという社会の隙につけ込んだ上で、男性よりも強力な腕力を振るう。……我が友人ながら最悪の根性だ。それをあたしのためだなんて嘯くんだから、なおさらたちが悪い。
 彼女に悪気がないことは他の誰よりもあたしがいちばん知っている。アキちゃんを護りたい―――その言葉にいっさい嘘のは含まれていない。だけど、ものには限度というものがあるだろう。
 中学二年生になると、あたしはカナの保護を疑問に感じるようになっていた。
 カナは器用で頭もいいから、学校や大人たちとうまく折り合いをつけた上で、殴りたいように男子を殴っていた。でもあたしは不器用で人間嫌いだから、成長すればするほど孤立していった。友達なんてカナしかいなかったし、それを寂しいとも思わなかった。
 カナは、あたしと一緒にいることにまったく疑問を抱いていなかった。物心ついたときからの付き合いなのだから、それが普通なのかもしれない。でもあたしは違った。十四歳にして早くも十年来の友人となった彼女との関係に違和感を抱くようになった。
 中学生になり、世界が広がって分かった。カナはすごい子だ。ずっと喧嘩の腕っ節ばかりを感心していたけど、それだけの子じゃなかった。なにをやらせても平均値を圧倒する評価を得てしまう天才肌の持ち主。「万能」が服を着て歩けばカナになってしまうに違いない。溢れ出る才質の権化だった。
 ……そんな子が、どうしてあたしの横にいる。どうしてそこまであたしに執着する。あたしなんかを護って、それでなにが生まれるというのか。
 カナはどんなに熱心に勧誘されようと、どの部活動にも入らなかった。カラテの道場があるから……なんていうのは体裁で、あたしと一緒に登下校できなくなるからだ。クラスが別になっても、昼休みは必ず一緒に過ごした。休み時間を利用してカナと仲良くなりたい女子は大勢いたであろうに。
「ねえねえ、アキちゃんアキちゃん」
 あたしと一緒のとき、カナは無邪気に笑う。いかにも楽しそうに笑う。その度にあたしは疑問に思うようになった。その太陽みたいな笑顔を、どうしてあたしにだけ向けるのか。あたしみたいな日陰者に自分の才能と時間を使い潰して、惜しくはないのか。
「アキちゃんの髪の毛って宝石みたい」
 こんな錆びた髪より、カナの笑顔のほうがよっぽど輝いている。
「そうやって不機嫌そうにしてるアキちゃんってすごく絵になる。ほんと綺麗になったよね。あまりにも凛々しくて見とれちゃうもん」
 こんな陰鬱で愛想のないあたしより、ひまわりのように底抜けの明るさを発散するカナのほうがはるかに魅力的だ。
「カナ、さ……」
 耳にたこができるほど聞かされた美辞麗句を遮って、あたしは疑問を投げかける。
「あんた、なんかやりたいこととかないの。夢とかそういうの、ないの」
 あたしにはない。生まれてきたときから、この世界に飽いている。いっさいの期待をしていない。なんの望みも持てないんだから、当然夢だって存在しない。あたしは死ぬまでこの倦怠感を吟味していくつもりだ。
 でも、カナは違う。それじゃ駄目だ。あたしなんかに関わって足止めを食らっている暇なんてないはずだ。やりたいことがあるなら、それに向けて全速力で駆け抜ければいい。カナならどんな夢だって容易に掴み取れるはずだ。
 だっていうのに、この子は満面の笑みを浮かべて、自信満々に言う。
「わたしはアキちゃんを護るの。アキちゃんが泣かなくなるまで、ずっと一緒にいるのが夢だよ」
 ―――あんたはどうしてそんなに。
 ハッとした。自分が大きな過ちを犯していたことに、否応もなく気付かされた。
 カナは自分のことが分かっていない。周りの景色も視界に入っていない。誇張ではなく、ただあたしのことだけを見つめて今日まで過ごしてきた。あたし以外のすべてを「アキちゃんを護る」ための道具としか認識していなかった。自分自身の才能や可憐さも、だ。
 あたしは知った。世間知らずもここまで度が過ぎると悪夢になる、と。
 カナに対してずっと受け身だった。カナが何かと世話を焼いてくれるから、あたしはそれに甘えるだけでよかった。二人の関係はそうやって築かれてきた。
 でも、それじゃいけなかったんだと、このときになってようやく気付いた。
 カナがあたしを護ってくれるのはいい。けど、同じようにあたしもカナを護らなければいけなかった。極端から極端にしか走れない彼女に、程度というものを教えてあげなければいけなかった。求められるがままにべったりとくっつくんじゃなくて、適度な距離感をあたしが調整しなければいけなかった。
 あたしはひとりだ。今も昔もずっと独りだ。別にそれは構わない。慣れているし、あたし自信そう在ることを望んでいる。でもカナまでもがそれに付き合う必要なんてない。
 いや、彼女の場合はもっとたちが悪い。カナは真実あたししか見ていない。あたしだけが唯一無二でカナ自身さえ自己の世界から除外している。……それはまずいだろう。せっかく誰よりもまばゆい輝きを帯びて生まれてきたのに、その奇跡をあたしのためにしか使えないなんて間違っている。
 頭が痛い。話し合ってどうにかなる問題ではなかった。かといって、いまのままでは歪みが広がる一方だ。あたしとカナとの関係を改める必要があった。
 ……でも、どうやって。あたしとカナは、十年間こうやって過ごしてきた。これが二人の“自然”だった。カナ以外のひととの接し方なんて、あたしには分からない。
 そうやって誰にも相談できないままずるずると時を重ねている最中に―――事件は起こった。


 放課後。学校からの帰り道、突然カナが「カラオケに行かない?」と言ってきた。好きなバンドの新曲が配信されたから、その練習に付き合って欲しいらしい。
 カラテの稽古はどうするんだよ、と尋ねると「今日はお休み」と笑った。毎日猛練習に励むカナらしくない。
「いいでしょ? たまには一緒に遊んでよ」
「いっつもあたしの家に来てんじゃん」
「外でってこと。アキちゃん、最近付き合い悪いよ」
「ん……」
 カナが、黒目がちな瞳でじっと見つめてくる。最近のあたしのぎこちない態度に、彼女なりに思うところがあるのだろうか。少しばつが悪い。別に避けているわけではないし、距離を置こうともしていないけど、カナとの関係のことを考えるとどうしてもよそよそしくなってしまう。それが後ろめたさとなって、きっぱりと断れなかった。腕を引かれると、後はもうついていくしかない。
「……喧嘩、するなよ」
 カナはあたしに微笑みかけるだけで、なにも答えなかった。
 カラオケなんてなにを歌えば分からないけど、カナと一緒の場合は「アキちゃんあれ歌って」「今度はこれ一緒に歌おうよ」というリクエストに応えればいいだけだから、気が楽だ。わざわざ個室でふたりっきりになりたがったんだから、なにか改まった話でもあるのかなと思ったけど、それもあたしの杞憂だったらしい。カナはいつも通り無邪気だった。
 入室してから三十分ほど経っただろうか。ソフトドリンクのグラスが空になった。この店はフリードリンク形式なので、お代わりするためには部屋の外のドリンクバーまで行かなければならない。次はなにも飲もうかと考えながら席を立とうとすると、歌っていたカナがマイクを持ってるのとは別の手で「待って」とあたしを制止した。間奏に入ると、残っていたアイスアップルティーを一息で飲み干した。
「わたしも行く」
「まだ曲が終わってないじゃん」
「じゃあ終わるまで待って」
「イヤだよ、あたし次の曲いれてるし」
 カナの眉間にしわが寄る。あたしはそれをひらひらと手を振ってかわし、個室を後にした。柑橘系のフレーバーティーを持っていてやればカナの機嫌なんてすぐに治る。
 カナは唄もうまい。ほんと、なにをやらせても平均以上の奴だよな―――と今更ながらに感心しながら廊下を進む。
 ドリンクバーには先客がいた。高校生らしい男三人組。ツーブロックの逆毛と金髪と坊主頭。ガラはお世辞にもよろしくない。他人の、ましてや男のファッションセンスなんて微塵も興味がないあたしは、三人組がグラスに飲み物を注ぎ終えるのを遠目に待つ。
 逆毛があたしに気付いた。ぎょろりと露骨な視線を向けてくる。値踏みをするかのような視線があたしの肌を舐めた。他の二人もそれに倣う。三人はドリンクバーに陣取ったまま一言二言小声で会話をすると、再びあたしを見た。イヤな予感。面倒なことになりそうだな、と思ったときには、すでに逆毛が口元をにたつかせながら近づいてきていた。
「ねえねえ、どこの部屋で唄ってんの? こっちは三人なんだけど、よかったら合流しない」
 あたしは深い溜息をこぼした。
 空グラスを両手に持ったまま回れ右。徹底的な無視。頑なに相手にしないこと。それがこういった輩に対するあたしの対処法だ。視線すら合わせず、まっすぐ個室に戻る。
 甘かった。逆毛はあたしの歩調に追従して、横からしつこく話しかけてきた。残りの金髪と坊主頭もついてくる。
 嫌悪感に肌が粟立つ。聴く気がなくても強引に鼓膜に響いてくる軽薄な言葉の羅列。あたしの赤毛について何事か言ってるのが分かった。虫酸が走る。誇張ではなく吐き気がした。
 あたしを見るな。そう叫びたい衝動を押し殺して、黙々と歩を進める。……けど、まずい。思った以上にしつこい。この調子だと個室にまで押しかけて来かねない。常軌を逸した厚かましい行為だけど、そもそもこういう連中に常識とか良心を期待するのが間違っている。
 とりあえず女子トイレに逃げ込もう。十分ぐらい様子を見て、それでもまだトイレの外で待っていたりするようなら、面倒だけれど店員に頼るしかない。
 とにかく、最悪の事態だけは避けるよう努力しないと。カナとこいつ等が鉢合わせたらたいへんなことになる。―――そう決断して、爪先の向きを修正しかけたところで。
 カナと目があった。
 人がすれ違うのがやっとな程度の狭い廊下の向こうで、あたしの幼なじみにして親友は、迷い猫のような表情をして立っていた。彼女の僅かに茶色くカラーリングしたショートカットがエアコンの風で揺れている。
 あたしが個室を出てからまだ大して時間は経っていない。なのに、もう追って出てきたのか。相変わらずの勘の鋭さ。最悪のタイミングじゃないか。
 まずい。そう焦っている間にも、カナはこちらに向かって早足で近づいてくる。表情から怒りは読み取れない。儚げで、寂しげで―――こういう顔をしているときのカナは手がつけられないことをあたしは知っている。
「駄目だ、カナ」とあたしが呼びかけるのと、しつこく話しかけていた逆毛が「友達? かわいいじゃん」と声を踊らせるのは同時だった。
 ―――そして、その時にはすでに、カナとあたしの距離はお互いの枝毛を確認しえるほどまで近づいていた。
 焦りが行動を鈍らせる。もう一度あたしが制止の声を放つよりも早く、カナは無造作に伸ばした左手で逆毛の耳たぶを掴んだ。
 突然の肌と肌の接触に、逆毛の口元は綻んだに違いない。なんて幸福な勘違い。そのまま耳たぶを引っ張られ、ツーブロックヘアの頭は引きずられるように前のめりにカナへと近づき―――
 スカートから飛び出した膝が、逆毛の鼻面に突き刺さった。
 凶悪な顔面への膝蹴り。空気が一瞬にして凍り付いた。背後の二人も金縛りにあったかのように身を強張らせているに違いない。カナだけが停滞した時の中で自由に動く。吹き出した鼻血がスカートを汚すのも気にせず、今度は逆毛の耳たぶを千切りかねない勢いで引っ張り、廊下の壁に力任せに叩きつけた。
 叫ぶ暇すら与えられず逆毛は昏倒する。……いや、死んだかもしれない。それほどまでに容赦のない攻撃だった。
 あたしが目を見開き、足を震わせている間も、カナは止まらない。彼女の牙が背後の男二人を獲物にする。
 この狭い廊下のどこにそんな隙間があるのか、あたしの脇をすり抜けながらもカナは器用に姿勢を変えて、得意の回し蹴りを金髪の首筋に炸裂させた。金髪男は吹っ飛んだ勢いで廊下の壁に側頭部を激突させ、その場で崩れ落ちた。
 残り一人。
「な、なにを……!」
 残った坊主頭は身構えつつ、カナから逃げるように後ろにさがった。その体重の流れに乗って、カナは前蹴りを繰り出す。坊主頭は呆気なく背中から転倒した。それをカナは追う。抱きつくように跳んだ。坊主頭に覆い被さる。カナほどの美女にされたら同性でも嬉しくなるシチュエーション。……だが、蓋を開けてみればえげつないこと極まりない。落下の勢いに自分の全体重を加えた肘鉄が坊主頭の顎を砕く。その衝撃に負けて彼の後頭部がピンボールのように床を強く打った。
 そして静寂。
 ものの一瞬である。あたしが息を呑んでいる間に、恐らく高校生であろう男子三人が叩きのめされ床に沈んだ。
 カナの喧嘩空手の凶悪さは知っている。あたしに対するナンパだとかの行為を憎悪していることも。だが、それにしても今回は苛烈すぎた。頭部への攻撃が如何に危険かだなんて素人のあたしにだって分かる。
 みんな死んじゃったじゃないか……疑念が恐怖となって足を竦ませる。カナはあたしに背を向けて立ち尽くしていた。小さな肩は上下に揺れていた。
「カナ……」
「ごめんね、アキちゃん」
 背を向けたまま、カナは言った。
「アキちゃん、ごめんね」
 カナはあたしを見ようとしなかった。あたしの視線から逃げるように、表情を背中で隠して謝罪を繰り返す。
「ごめんね。アキちゃんのこと全然護れてなくて、本当にごめんね。こんなことばっかりしていて……誰よりもわたしがアキちゃんを傷つけていて、ごめんね。こんなの、ただの八つ当たりだよね。駄目すぎるよね、わたし……」
 竦んでいた足がショックでよろける。カナの肩が震えているのは急な運動で息が切れたからじゃない。泣いてるんだ。
 あのカナが泣いてる。いつもあたしを慰めてくれていたカナが泣いている。誰よりも強いはずのカナが泣いている。あたしのせいで泣いている。
 脱力が全身を襲う。なにが親友だ。なにが幼なじみだ。カナとの十年の付き合いで、あたしはなにを築いた。甘えてばかり、頼るばかり。一方通行の関係性を作るだけで、カナの悩み一つ察してやることができなかった。
 親友じゃなかったのか。幼なじみじゃなかったのか。時間ならいくらでもあったはずなのに。数え切れないぐらい一緒に遊んだり泊まったりしたはずなのに。
 どうして二人で、お互いのことをゆっくりと話し合おうとしなかった。思い詰めるばかりで一言も相談しなかった。
 床に転がっている三人のうち、誰か一人でも死んでいたとしよう。そこまで酷くなくても後遺症が残ったとしよう。その責任は誰にある。誰が罪を負う。
 手を出したのはカナだ。カナが他人を傷つけた。けど、その理由はなんだ。……答えは明確。あたしが原因だ。あたしがカナに罪を負わせた。
 カナの背中を抱きしめる。いつもカナにそうされていたように、今度はあたしが両腕で彼女を抱いた。そして、可能な限り優しく言葉をかける。
「もう、いいんだ……」
 カナは無言でしゃくり上げる。
「全部、あたしが悪いんだから」
 強く、強く抱きしめて。
「……もういいんだ、カナ」
 


 事件は警察沙汰にまでなった。カナの暴力騒動は日常茶飯事だけど今回のは程度が違った。人死にこそ出なかったものの、相手に整形手術が必要なほどの重傷を与えている。「女の子がやんちゃした」では済まされないだろうとあたしは覚悟した。
 しかし、カナの暴力行為を目撃したひとは当事者しかいない一方で、三人組があたしにしつこく絡んでいるのを見かけた客や店員は何人かいた。優等生のカナと素行不良の男三人では、例え後者が鼻やら顎やらを砕かれていようと前者に同情が向く。
 結局、カナとあたしに対して与えられた社会的制裁は一週間の停学だけで、傷害事件として扱われることはなかった。
 最悪の事態は免れた。それどころか、あんな苛烈な暴力を加えたことを考えると最良の結果とすら云えるかもしれない。世間的にはこの事件も、カナの喧嘩無敵伝説がまた一つ誕生した……その程度で終わってしまっている。
 けれどあたしは違った。この一件があたしに決断を促した。カナはあたしと一緒にいると駄目になる。カナはあたしを護っても、あたしがカナを護れなければなんの意味もない。あたしが大好きなカナに対してできるのは、彼女の庇護から逃げ出すことだけだった。
 あたしがいなければカナは誰も殴らずに済む。このままではいつか取り返しのつかない事件が起きてしまう。あたしなんかのために、カナの未来を曇らせるわけにはいかない。
 だからあたしは転向した。地元の公立中学校を去り、義母が役員を務める私立の全寮生の女子校に強引に編入した。元々両親はあたしが公立校に通うのは反対していたから転校の手続きは迅速だった。
 あたしはカナから逃げた。罪の意識が、彼女に面と向かって別れを告げることを拒み、なにも言わないまま学校からもマンションからも去った。
「あたしといるとカナは駄目になる」
 それがあたしの感情を支配する絶対の正義だった。


 そうしてあたしは正真正銘のひとりになった。カナという盾はいなくなってしまったけど、ここにはあたしを煩わせる男もいない。しつこく声をかけられることも、独りよがりな想いを押しつけられることもなくなった。
 牢獄のような学校でただ漠然と毎日を積み重ねればいいだけ。生まれたときから人生に倦んでいるあたしにはおあつらえ向きの環境だった。
 一年と数ヶ月を中等部で過ごし、自動的に高等部へと進学した。高校生になっても変わらずあたしは屍の日々を繰り返すはずだった。
 なのに―――





「……アキ、笑ってるの?」
 あたしの横顔を見てシホは不思議そうに言った。
 バカ、とあたしは応える。
「見ればわかんだろ。怒ってんだよ、どうしようもなくな」
 高等部一年のクラス編成のプリントには、カナのフルネームがしっかりと記されていた。





三つめの花びら→「心中の約束をバックれて編入してきたレズ女」に続く

前にmixiで書いた日記の転載

この道をずっと征けばあの街に続いているらしいですよ


 名前の由来を聞かれたら、谷崎潤一郎の名著「痴人の愛」の奈緒美が元ネタだと答えるようにしているどうも小笠原ナオミです。
 谷崎先生は多くの傑作を排出してますが、やっぱり「痴人の愛」が一番だとあたしは思います。メジャーな作品はそうなるだけの理由があるんですよやっぱり。


 数週間前から構想を練り上げていたクロスオーバー系のバトルSS(こう書くとめちゃくちゃ痛々しいなオイ…)を、ようやく書き出しました。いざ書き出せば早いのがあたし……のはず。愛機のポメラちゃんを駆使して仕事中も執筆しますので、頑張ってなんとか今週中には某所に発表したいものです。
 ま、二次創作とは名ばかりの捏造設定満載な独りよがりなんですけどね^^


 小説繋がりでジブリ映画「耳をすませば」なお話。
 よく、あの作品を指して「リア充映画」なんて言われちゃってますけど―――おいおい、ちょっと待ちたまえよ。あれの主人公・月島雫……あいつ「小説家になるから高校行かない!」とかガチで言っちゃうような痛い子だよ? 「ラノベ作家になるから就職せずニートします^^」と同次元ですよ、あれ。
 たまたま書いてるジャンルがメルヘンでファンタジーだったからよかったものを、あれでもし腐ばりばりのBL小説だったらどうすんだよ。リア充なんてもんから遠く離れた女子だろどう考えても。


 え、なに? 「イケメンな彼氏をゲットできたからリア充」ですって?
 なにそれ? もしかしてそのイケメン様って天沢聖司とかいうストーカー男のことですか?
 確かに彼は凄い! ヴァイオリンの職人になるために海外修行に征くなんて半端じゃないっす。あたしみたいなゴミとは大違い。ああ認めるよ、聖ちゃんは偉い。
 だけどストーカーだ! 図書カードから個人情報割り出して図書館で向かいの席に座って視姦するような男はどんなに顔面偏差値が高かろうがストーカーというんだ! 納得いかないのなら、もう一回見直して彼の行動を追ってみたまえ。まぢストーカーですからね。


 あたしは「耳をすませば」が大好きです。DVD持ってるから金曜ロードショーもくそも関係のないくらいには大好きです。が、だからこそ「リア充映画」なんていう評価だけは納得できない。ほんとにあんな恋愛がしたいのか、あんなキャラになりたいのか、皆さんもう一度冷静になって考えて欲しいですね。←何様だよ


 やっぱさー、アニメ映画で胸を焦がすようなタイトルといえば「時をかける少女」でしょ!!!!
 あたしは新宿の映画館に3回見に行って3回泣きましたからね^^^^^
 あたしが時かけを語ると無限に長いよ^^^^
 ……あれからもう5年ぐらい経ってるんだよなぁ('A`)


 ―――我ながらあまりにくだらない記事内容に泣きたくなる。。。。。