「ひとりで出かけても、寂しくなってしまって楽しめない。」
と、友が言う。
全くそんなことがない私は、何で?とつい思ってしまうが、楽しめないものは楽しめないのだろう。半日付き合うことにした。
街中へ出かければひとりとは言っても周りには人がいるわけで、それが都会となれば昨今はオーバーツーリズムで人だらけ。私などは辟易としてしまうくらいなのだが、その中で返って寂しくなるという人は、私が知らないだけで、彼女に限らず案外多いのかもしれない。
私自身はひとりで行動することが好きだ。
ひとり何かを楽しむ時、私は自分の中に湧く感情や思いをゆっくり反芻している自分を感じる。その時の感情や思いとは、ポジティブなものばかりでなく、ネガティブなものも含んでいるし、別段何もしていない場合もあるのだけれど。
本も映画も絵画も、食事も散策も、ひとりでいる時、それらは対象でありながら媒体であって、向き合っているのは自分自身だ。自分が今、何を感じ何を考えているのか。内にあるものを反芻し、認識する。言葉にならなくても考えが纏まらなくても構わない。中途半端なら中途半端なまま受け止めれば良い。じっくり考えて言語化できれば良いと思うが、それまで何年かかっても良い。形にならなくても構わない。私にとってだけ有意義な、なんとも自分勝手で、気負うものもなく満たされる、得難い時間なのだ。
「ひとりは寂しい」と言う彼女に、このことをそれほど語ったことはない。たぶん彼女は、ひとりの時間がどういうものかではなく、何故私がひとりで楽しみつつ行動出来るのかを知りたいのだと思うが、理由となると私にも説明できない。持って生まれた性質か、育った環境か、経験か、それら全部か。
実は私が本当の孤独を未だ知らないだけなのかもしれないが。
途中で、今は毎日楽しいか、と聞かれた。これまた、あまり気にしたことがない。心配事も幾つかある、不安になることもある、仕事にも追われている、家事も面倒だったりするが、晴天に洗濯物が綺麗に干せれば気分が上がるし、出来上がった料理が美味しければ嬉しくなる。愛猫がニャアと鳴けば可愛いと思う。そんな程度の日々である。楽しいとは若干違うが十分に平穏だ。
こんな質問をするってことは、彼女は日々楽しくないと思っているのだなと想像するが、私に出来るのはこんなふうに、ちょっと一緒に出かけたり、お喋りの相手をすることだけである。
きっかけに「何か始めてみたら?」と勧めるとそうしようと思っていると言っていたので、彼女も自分で脱するしかないとわかってはいるようだったが、そこでまた「ひとり」が出てきてなかなか思うように先に進めないのだろう。
元から全てを伝えられると思っていないし、今すぐ変えることなど出来る訳もない。感じ方、乗り越え方、人それぞれ違って当たり前である。お互いの会話から小さくても何かを見つけられたらそれで十分と思っているが、彼女は何か見つけられただろうか。
こちらには身内がいないということで、彼女はあと半年ほどで郷里に帰る。家族と近い暮らしになれば彼女の寂しさも和らぐかもしれない。気軽に会える距離ではなくなるので、出来るだけのことはして見送ろうと思っている。
