いつもどんな思考でいますか?
【最高最善】を私は採用しています。
たとえ起こった現状が理想とは違っていて、至らないことがあったとしても、それが今日の自分の最高最善で、ベストなことだ、とまずは自分を認めます。
そして、そこから改善点や次の伸び代へと思考しはじめます。
その瞬間、至らないとジャッジしてしまえば至らない自分と向き合うことで自己肯定感が下がるし、不足感を味わいうことになります。
そこには【至らない自分である】メリットがあるはずです。
自分を憐れむことを楽しんでいるのかもしれませんね。
もしかしたら【愚妻】【粗品】など謙遜から派生した下に見積もることが美徳とされる、古い日本の集合意識を無意識のうちに優先されているとしたらどうですか?
【至らない】と設定していたとしたら、それは人生の全ての領域において起こります。
例えば…
自己表現は至らなくて、生活環境やお金は至っている。とか。そんな気の利いたことはしてくれません。
いつまでも至らないところからのチャレンジになります。
それでいいなら良いのですが、その設定で大丈夫ですか?
全てにおいて至っている。
足りている。
そんな設定に変更できますよ。
【至っている】を体験する次のステージ
それこそが未知なる体験。
まだ、至らない設定の人生をやり続けますか?
それとも終わらせますか?
終わらせるなら、それを持つ理由に気づいて下さい
・この人生、最初に至らなかったと思ったのはいつですか?
・至らないことがどんなモチベーションになりますか?
・常に至っていたらどうなりますか?
思考は一旦蓋をして、ゆったりと感じてみてください。至らない体験はどんな感じでしたか?
次のステージへ行く事に恐れることはありません。共に未知なる体験をする仲間がすでにいるはずです。
蔑む日々ではなく、尊ぶ日常を体験しましょう。
愛と光をおくります