自分の時間の使い方にシビアになった

前までは、オンラインで買えるけど、店頭で買ったほうが安いものは、店頭で買うことが多かった

わずかな金額の差を、自分の時間を使って埋めていた

ふと会社の給与明細を眺めていて、私の時給は約2,000円だった

ということは、どんな近所のお店でも、行って買い物して帰ってくるのに最低1時間はかかるとして、オンラインとの差額が2,000円以上なら、元は取れるような計算になる

だとすると2,000円以下の金額差を節約するために買いに行くんだとしたら、実はそれって全然節約になってないってこと

そして、理屈をつけるとしたら、こうなんだけど、そもそもお店に行く価値が、行く意味があるのかってことをもう一度考えるようになった

人と接触するリスクをおかしてまで、本当に行く意味があるのか、と考えるようになった

今日一日の時間を、買い物はオンラインでスマホの操作5-10分で済ませ、家にいながら受け取り、浮いた時間は、オンラインで出来ないことに使う

オンラインで出来ないことって何かって考えると、究極は自分の身体をつかうことしか残らない気がする

ヨガをして、プールで泳いで、美味しいご飯を食べて

身体をつかう=身体を動かすと、身体の調子が良くなり、元気になり、気持ちも前向きに、楽しく明るく過ごすことができる

そういう、いいサイクルに入ってる気がするなぁ

プールっていう、子どもと一緒に出来る趣味を見つけてしまったかもしれない

子どもが咳をしてるとイライラする

ずっと咳してて、家族の誰にもうつってないから、喘息なんだろうとは思う

だけど、いま世の中こんな状況だし、、

上の子は丈夫だから咳してるだけだけど、下の子にうつるんじゃないか(いや、この1ヶ月うつってないんだけど)

あーまた病院連れて行かないといけない

私にも、うつったらめんどくさいな(いや、この1ヶ月実際にうつってないんだけど、、)

そんなことを考えてる

下の子にうつったらなんで嫌なのか

すぐ熱出すから、付き添わないといけない

大丈夫かな、元気になるかな、と不安な気持ちで過ごさないといけない

上の子が丈夫と言っても、ずっと続いていると、なにかの病気なんじゃないか、本当に大丈夫なのか、病院やってない日に悪化したらどうしよう

色々と考えてしまう

根底には、子どもが病気になったら嫌だというのがある

なんでか

ひとつには自分の時間が奪われること

看病やら通院の物理的な時間

心配する時間という感情的な時間

これ以上、私の時間を奪わないで、と思ってしまう

もうひとつは、子どもが病気になって、普通は何日かで治って、だんだん免疫も強くなっていくんだけど、もしもそのまま悪化したらっていう不安

突き詰めると、死んでしまったらどうしよう、元気に戻らなかったらどうしようってこと

そこに対する恐れがあるんだろうな

考えても仕方ないことなんだけど、たぶん根底にはそれがある

ずっと一緒にいるのは無理だし、私は子どもが苦手だ

だけど、この子達のいない世界は、もう考えられなくて、ずっとずっと私の世界にいてほしい、できたら元気に笑っていてほしい、そう願っている

ずっと一緒にいたいわけじゃない

だけど、それぞれの時間と、一緒の時間を両方過ごして、楽しみも悲しみも共有して、同じ世界の中で生きていきたい

どんな人もいつかは必ず死んでしまうけど、だからこそ、いま一緒に生きているこの時間を楽しく過ごしていきたい

本当は病気か病気じゃないかというのは、関係ないのかもしれない

自分の心がどういう状態であるかが1番大切な気がする

一瞬一瞬の自分の本当の気持ちを大切に、今日も1日を過ごそう


人にどう思われるか、という視点を捨てると、ものすごく楽になった。

終業間際の時間に、待っていた上司からのFBが来た。

一瞬、少し頑張れば、この仕事を完了させてから帰れるな、と思った。

だけど、今日は予定があって、もともと帰るつもりだった時間。

残ってまで、その仕事をやるのは、上司にやる気や仕事の早さをアピールするためだとしたら、それは私には必要ないことだと思い直した。

自分のかけられる時間の中で、最善を尽くす。

自分の健康を維持することが最優先で、元気を維持しながら毎日を過ごすために、何に時間を使うかは、しっかりと見極める。

時には、それが残業をするという選択肢になることもある。

だけど最優先すべきは、自分のために時間を使うこと。

まずは、そこから。