会社から最寄りの駅まで歩くと、途中にパチンコ屋さんがある。新入社員の頃、上司に連れて行ってもらい、ちょっと教えてもらったのだが・・・私の場合はその筋もなく、性にも合わず、あっという間に玉はなくなり、お金も無くなった。以来、私には縁のないものと思い、素通りと決めている。
駐車場があり、そこに誘導する人が立っている。てきぱきと元気に「いらっしゃいませ。」「ありがとうございます。」と言っている人の時もあれば、そうでない人の時もある。とっぷりと日が暮れ、多少疲れをひきずりながら、帰り道を歩いていると、今日はてきぱきと元気な人が車を誘導していた。
誘導されている車はたぶん、殆どが窓を閉めている。だから、その「いらっしゃいませ。」や、「ありがとうございます。」は、運転席には届いていないのだろう。その声を聞いているのは、パチンコ屋さんに用のない通りすがりの私のような人が殆どかもしれない。それでも、利用するお客様に聞こえなくてもきちんと声をかけ、誘導しているのだ。
聞こえなくても、聴こえている。毎日通り過ぎながら、私は聴いている。その元気な声が、周囲を明るく照らしていることを。
聴こえなくても、聞こえている。毎日通り過ぎながら、私は聞いている。聞こえないからいいんだという、気持ちが 含まれている時があるということも。
そんなことをふと思いながら、通り過ぎた。