1度犬の方は置いておき...

実は少し前に、とある人からお叱りを受けた。
私の発言がその方の倫理観に反するということで、だ。

私にはその方が怒った理由があまりにも自分本位で狭い世界の感情でしか無いので、可哀想な人だと思ってニコニコしていた。

その方が今まで生きてきた60年近くの経験を元にした、現在の完成された倫理観によってジャッジメントされ、ギルティとなったようだ。

しかし、その方は私ではない。
私の30数年の人生の欠片も知らない。

私のその発言が、心の底から疑い無く出てきた事は何故だという事は考えず、自分の物差しでのみ計測してお叱りを発したことがあまりにも可愛そうで可愛そうで。

初老...より踏み込んだはずの人がこうも浅はかなのかと。

例えば、私には子供がたくさんいる。
その方には居ない。

これについてどの視点で見るかによって全く異なる答えを出すことが出来る。

「日本国」のために出生率を上げたというのは多大なる貢献であろう。
しかし、「地球の寿命」には打撃を与えた。(自然共に生き、過剰な生き方をしない人間以外の動物を産めば地球には喜ばれただろう。)

たったこれだけのことでも真逆の評価を出すことが出来るのに、それを自分の倫理観がこの世において「一般的大多数」だと信じて疑わない、いや、例えそうであっても私がその一般的大多数に収まっていないというのは明白であるにも関わらず多方面から見ることが出来ないその方のほうが、私には理解できない人間だ。

自分の従業員が「この店の理念」に反することを業務にしたとしよう。それはこの店という物差しではかった場合には叱責すべきである。
しかし、業務外でそれを行った場合には私には咎める権利ないし、咎めようとも思わない。
それがその人の考えだからだ。

また、理念に反するとまでは言わなくても逸れたり、物差しで計れない場合。それもまた認めてやる必要があるし、否定されるものではない。

私は「否定されていい人間はいない」と常に思っている。否定しようがないのだ。自分も、他人も、今まで生きてきた経験から現在の理念が生まれる。
どう否定しようものか。不可能だ。

仕事というコミュニティの中では規律を守らなければならないが、行動さえしてくれれば意思は反していても仕方がないのだ。(ただし、そのような人はすぐにでも辞めていくものだが)
意志に反していても行動はこちらの望むものにしてくれているのだとしたら、それはその人の許容範囲なのだろう。

自分と違う考えを持つ人には、そのような考えもあるとだけ思ってそれについて深く関わらない。それが例え自分の子供であってもだ。
自分は自分、他人は他人。それぞれ考え方が違って当然だ。そう思って生きていくのが至極当然だと、私は思う。

その方が私を叱責したのも、そういうものなんだ。

人間はすぐに他人を自分の思い通りに染めようとする。悪意を持って悪行をするのは人間だけ。
動物は他者を受け入れ、受け流し、自然のままに生きる。本能による行動が、人間からの視点だけで悪行とされる。しかし動物はそれを恨まない。動物は素敵だ。