こんにちは
ご無沙汰しています。五月祭やらレポートやら毎日の授業やらで慌ただしくて更新できませんでした
テストも終わってようやく夏休みですよ
今回は俺の中学~高校+浪人時代のことについて。やはりGIDや家族についてが多くなるので暗くなりそうです
中1:現在超進学校と化している東京の女子中高一貫校に入学。制服のスカートが嫌だったから下に体操着のハーフパンツを履いて心の平安を保つ。
好きな人が出来たり…女子校ってハーレムだった笑)
ノリで生物部に入部。レズの先輩に会う。最初の理解者。
なんだかんだで性別が一つしかないのは楽だった。男っぽくても個性のうちだと見なしてもらえた。
中2:人間関係に失敗する…いわゆる失恋。憂鬱状態になる。「どうせ自分は本当の男じゃないから…」と思うと何をするのも嫌になった。無意味に思えた。このまま希望なく生きていくのが嫌で「死にたい」とよく思うようになった。でも一方で心のどこかで「生きたい」という気持ちもあった。授業中は寝てばかり成績はがた落ち…ただ生きるだけ。「このままでいいのか?」と絶望と希望の狭間でウロウロしていたところ…ある時100均でハンドグリップを見つけた。何の努力もしないで一人でウジウジしている自分に気づいた。その場でハンドグリップを買った。
何でも頑張ってみることにした。勉強も運動も。自分がどこまでできるか試してみたかった。強くなりたかった。
成績が上がった。体力も少しずつついた。
中3:俺の挑戦は続いた。少しでも強くなりたくて頑張った。その分犠牲にしてしまったものもあった…友達と遊ぶ時間とか。孤独になるのかもしれないという不安はいつもあった。でも、こんな自分でも慕い続けてくれる友達はいてくれた。
好きな人も新しくできた。
高1:中高一貫だったからそのまま同じ学校。
スポーツテストでA判定をとれた。(中1の時はD)もう「運動が苦手」な自分じゃなかった。成績も常に1番を取れるように頑張り続けた。
部活は美術部に。元々、模写が好きだったから。でもこれってわざわざ部活でやらなくても出来るなと気づいて一年でやめる。
夏にはニュージーランドにホームステイをしに行った。英語で即座に自分の意見を言えないことが悔しかった…それが新たなモチベーションにもなった。
今まで女の子を好きになっていたのは「女の子を好きでいる自分って男だ!」と自分自身の精神的安定を得るためだけだったと気づいた。つまりは、自分の自我保身のために相手を利用していたに過ぎなかったんだ…それに気づいて激しく自己嫌悪した。相手を手段として利用したくなんてなかった。本当に人を愛するってどういうことなのか真剣に考えるようになった。
高2:部活は登山部に。普段の活動は筋トレや階段昇降。今まで自分で筋トレしていたから体力的には無問題だった。夏の合宿では初めての経験ばかりだった。天の川を初めて見たり野生のホタルを初めて見たり。
文化祭で有志団体の責任者に。子ども相手に工作を教えるという団体、その名も「わくわクラフト」。夏休みには新聞紙とダンボールだけで解体可能なイス(体重60kgまで座れる)を作るのに苦心した…毎日毎日新聞紙をどれだけ堅く巻けるかとかどの方向ならダンボールの強度が一番強くなるかを皆で研究して…二学期に入ってからも授業前も昼休みも文化祭一色。青春だったなぁ。
高3:史上最高のクラスだった。皆受験に向けて複雑な思いを抱きながらも一丸になって毎日を楽しんでいた。
夏に受験勉強で自分を追い込み過ぎて耳が一時的に聞こえなくなる。模試はボロボロで精神的に辛かった…
運動会の準備係委員長に。友達と後輩と一緒に最高の運動会を作れるように奮闘した。人をまとめるのは大変だったなぁ…前日は運動場近くの友達んちに泊まり込んだりして。当日は自分が色々な係にまで手を出してしまったため忙殺。何事もやりすぎは良くないと学習した。帰りはヘトヘトで泣きながら帰ったのを覚えている
11月におじいちゃんが他界。その介護疲れと葬式の手配などで母親がおかしくなり始める。自分にも当たるようになり勉強に集中出来なくなる…必死で学校や図書館に逃げていた。
センター試験の一週間前、母親が自宅の3階から飛び降りる。救急車を呼んで入院させた。自分は、母親が落ちる場面をしっかりと見た。今でも鮮明な一コマとして脳裏に焼き付いている。人が死の方向へ自ら進むのを見て…どうしても包丁を離そうとしない母親から、理屈じゃなくて当然のごとく包丁を取り上げて「生きるんだよ!!!」と怒号していた自分がいた。本当は自分だって死にたい。こんな風に生まれてきたくなかった…でもこの経験があってから何が何でも自ら死んではいけないのだと悟った。
落ち着かないまま受験に突入。足切りは通過したけど3点で東大には届かなかった。何が悪かったのか自分でも上手く説明は出来なかった…母親のせいにするのも嫌だったし自分自身それなりに勉強はしてきたのにって思いもあった…ただ一つ言えたのは「一生懸命受験をした気がしない」ということだった。高2の文化祭も高3の運動会も一生懸命やったのに最後の最後で気持ちが入れられなかった。だから全く考えてもみなかった浪人をすることに。
卒業式では答辞を読んだ。何回も練習した筈なのに、どうしてだろう…壇上で泣いてしまった。そのままボロボロ泣きながら歌を歌った…ずっと本当のことを言えずに友達と付き合っていたけど、それでも大事だったんだろう、自分でも気づかないうちに。
俺の大事な友達たちへ。あの「ありがとう」は心からの言葉だから
浪人時代:「一生懸命受験をしたい」という理由だけで浪人し志望を文一にした。通った予備校は監獄のようだった…開かない窓、常に閉じられたブラインド、表情の変化がないロボットのような事務員…何もかもが俺の肌には合わなかった。それでも何とかして通い続けた。毎日の筋トレと週一の浪人友達との昼飯と新しく習い始めたテコンドーと登山部の活動に卒業生として参加させてもらうことを楽しみとして。
自分の心を守るのに必死だった。目標のために必死で勉強しつつ、少しでも男っぽい体になるように必死で運動した。
勿論息抜きも忘れないように。
夏には、今は良き理解者の一人とTDSに遊びに行って、ひたすら自分の深いところまで語ったり母校の運動会に顔を出し後輩の活躍を見て初めて「俺たちが去年築いたものはしっかり伝わっている」と実感ししみじみしたり
日が落ちるのが早くなる。リベンジの時が近づいてきていた。焦る。それでも絶対に筋トレはやめない。男の意地。
毎日過ぎるのが早かった。浪人友達と予想問題をFAXで送りあって励まし合った。
クリスマスには早めに湯島でお参り&本郷キャンパス巡り。センター試験後に中だるみしそうになった時、東大に試験場の下見に行ったら去年合格した友達たちが会ってくれた。試験当日には高3のクラスメイトが東大まで応援に来てくれた。泣いても笑ってもこれで最後だ…一心不乱で書ききるしかねぇ

試験後は後期の勉強…といっても前期の結果が気になり机に向かうのがやっと。浪人友達と小論文をFAXで送り合って添削しあった。
合格発表の前日、吹雪の中、隣町まで『火の鳥』を買いに行った。帰り道は泣きながら「めざせポケモンマスター」を歌いながら凍え歩いた。
合格発表当日…午前中は健康センターで筋トレに励み、最後の願掛けとして渋谷の大勝軒でチャーシュー麺を食う。激しい胃痛に呻きながら本郷三丁目に。去年の光景が脳内にフラッシュバックする…また、番号ないのかな。…怖い。
深呼吸して人の波を掻き分け掲示板の前に。
…あった。目から涙がドバーっと出てくる。号泣。電話してもうまく話せない。生まれて初めての胴上げ。
こうして今俺は東大にいる。でもそれは俺一人の力じゃなくて、困った時に助けてくれた友達の力によるところが大きい。確かに今までずっと真の自分を隠しながら友達付き合いをしてきた。でも、そんな俺でも慕ってくれて支えてくれた友達は大勢いてくれた。皆ありがとう。俺は幸せ者だ
なんかヤバい位長くなってしまったな…ま、それだけ人生に厚みがあるってことで笑)ここまで読んでくれた人ありがとう。掘り下げて聞きたいことがある人はコメントください。
テストも終わってようやく夏休みですよ
今回は俺の中学~高校+浪人時代のことについて。やはりGIDや家族についてが多くなるので暗くなりそうです
中1:現在超進学校と化している東京の女子中高一貫校に入学。制服のスカートが嫌だったから下に体操着のハーフパンツを履いて心の平安を保つ。
好きな人が出来たり…女子校ってハーレムだった笑)
ノリで生物部に入部。レズの先輩に会う。最初の理解者。
なんだかんだで性別が一つしかないのは楽だった。男っぽくても個性のうちだと見なしてもらえた。
中2:人間関係に失敗する…いわゆる失恋。憂鬱状態になる。「どうせ自分は本当の男じゃないから…」と思うと何をするのも嫌になった。無意味に思えた。このまま希望なく生きていくのが嫌で「死にたい」とよく思うようになった。でも一方で心のどこかで「生きたい」という気持ちもあった。授業中は寝てばかり成績はがた落ち…ただ生きるだけ。「このままでいいのか?」と絶望と希望の狭間でウロウロしていたところ…ある時100均でハンドグリップを見つけた。何の努力もしないで一人でウジウジしている自分に気づいた。その場でハンドグリップを買った。
何でも頑張ってみることにした。勉強も運動も。自分がどこまでできるか試してみたかった。強くなりたかった。
成績が上がった。体力も少しずつついた。
中3:俺の挑戦は続いた。少しでも強くなりたくて頑張った。その分犠牲にしてしまったものもあった…友達と遊ぶ時間とか。孤独になるのかもしれないという不安はいつもあった。でも、こんな自分でも慕い続けてくれる友達はいてくれた。
好きな人も新しくできた。
高1:中高一貫だったからそのまま同じ学校。
スポーツテストでA判定をとれた。(中1の時はD)もう「運動が苦手」な自分じゃなかった。成績も常に1番を取れるように頑張り続けた。
部活は美術部に。元々、模写が好きだったから。でもこれってわざわざ部活でやらなくても出来るなと気づいて一年でやめる。
夏にはニュージーランドにホームステイをしに行った。英語で即座に自分の意見を言えないことが悔しかった…それが新たなモチベーションにもなった。
今まで女の子を好きになっていたのは「女の子を好きでいる自分って男だ!」と自分自身の精神的安定を得るためだけだったと気づいた。つまりは、自分の自我保身のために相手を利用していたに過ぎなかったんだ…それに気づいて激しく自己嫌悪した。相手を手段として利用したくなんてなかった。本当に人を愛するってどういうことなのか真剣に考えるようになった。
高2:部活は登山部に。普段の活動は筋トレや階段昇降。今まで自分で筋トレしていたから体力的には無問題だった。夏の合宿では初めての経験ばかりだった。天の川を初めて見たり野生のホタルを初めて見たり。
文化祭で有志団体の責任者に。子ども相手に工作を教えるという団体、その名も「わくわクラフト」。夏休みには新聞紙とダンボールだけで解体可能なイス(体重60kgまで座れる)を作るのに苦心した…毎日毎日新聞紙をどれだけ堅く巻けるかとかどの方向ならダンボールの強度が一番強くなるかを皆で研究して…二学期に入ってからも授業前も昼休みも文化祭一色。青春だったなぁ。
高3:史上最高のクラスだった。皆受験に向けて複雑な思いを抱きながらも一丸になって毎日を楽しんでいた。
夏に受験勉強で自分を追い込み過ぎて耳が一時的に聞こえなくなる。模試はボロボロで精神的に辛かった…
運動会の準備係委員長に。友達と後輩と一緒に最高の運動会を作れるように奮闘した。人をまとめるのは大変だったなぁ…前日は運動場近くの友達んちに泊まり込んだりして。当日は自分が色々な係にまで手を出してしまったため忙殺。何事もやりすぎは良くないと学習した。帰りはヘトヘトで泣きながら帰ったのを覚えている
11月におじいちゃんが他界。その介護疲れと葬式の手配などで母親がおかしくなり始める。自分にも当たるようになり勉強に集中出来なくなる…必死で学校や図書館に逃げていた。
センター試験の一週間前、母親が自宅の3階から飛び降りる。救急車を呼んで入院させた。自分は、母親が落ちる場面をしっかりと見た。今でも鮮明な一コマとして脳裏に焼き付いている。人が死の方向へ自ら進むのを見て…どうしても包丁を離そうとしない母親から、理屈じゃなくて当然のごとく包丁を取り上げて「生きるんだよ!!!」と怒号していた自分がいた。本当は自分だって死にたい。こんな風に生まれてきたくなかった…でもこの経験があってから何が何でも自ら死んではいけないのだと悟った。
落ち着かないまま受験に突入。足切りは通過したけど3点で東大には届かなかった。何が悪かったのか自分でも上手く説明は出来なかった…母親のせいにするのも嫌だったし自分自身それなりに勉強はしてきたのにって思いもあった…ただ一つ言えたのは「一生懸命受験をした気がしない」ということだった。高2の文化祭も高3の運動会も一生懸命やったのに最後の最後で気持ちが入れられなかった。だから全く考えてもみなかった浪人をすることに。
卒業式では答辞を読んだ。何回も練習した筈なのに、どうしてだろう…壇上で泣いてしまった。そのままボロボロ泣きながら歌を歌った…ずっと本当のことを言えずに友達と付き合っていたけど、それでも大事だったんだろう、自分でも気づかないうちに。
俺の大事な友達たちへ。あの「ありがとう」は心からの言葉だから
浪人時代:「一生懸命受験をしたい」という理由だけで浪人し志望を文一にした。通った予備校は監獄のようだった…開かない窓、常に閉じられたブラインド、表情の変化がないロボットのような事務員…何もかもが俺の肌には合わなかった。それでも何とかして通い続けた。毎日の筋トレと週一の浪人友達との昼飯と新しく習い始めたテコンドーと登山部の活動に卒業生として参加させてもらうことを楽しみとして。
自分の心を守るのに必死だった。目標のために必死で勉強しつつ、少しでも男っぽい体になるように必死で運動した。
勿論息抜きも忘れないように。
夏には、今は良き理解者の一人とTDSに遊びに行って、ひたすら自分の深いところまで語ったり母校の運動会に顔を出し後輩の活躍を見て初めて「俺たちが去年築いたものはしっかり伝わっている」と実感ししみじみしたり
日が落ちるのが早くなる。リベンジの時が近づいてきていた。焦る。それでも絶対に筋トレはやめない。男の意地。
毎日過ぎるのが早かった。浪人友達と予想問題をFAXで送りあって励まし合った。
クリスマスには早めに湯島でお参り&本郷キャンパス巡り。センター試験後に中だるみしそうになった時、東大に試験場の下見に行ったら去年合格した友達たちが会ってくれた。試験当日には高3のクラスメイトが東大まで応援に来てくれた。泣いても笑ってもこれで最後だ…一心不乱で書ききるしかねぇ
試験後は後期の勉強…といっても前期の結果が気になり机に向かうのがやっと。浪人友達と小論文をFAXで送り合って添削しあった。
合格発表の前日、吹雪の中、隣町まで『火の鳥』を買いに行った。帰り道は泣きながら「めざせポケモンマスター」を歌いながら凍え歩いた。
合格発表当日…午前中は健康センターで筋トレに励み、最後の願掛けとして渋谷の大勝軒でチャーシュー麺を食う。激しい胃痛に呻きながら本郷三丁目に。去年の光景が脳内にフラッシュバックする…また、番号ないのかな。…怖い。
深呼吸して人の波を掻き分け掲示板の前に。
…あった。目から涙がドバーっと出てくる。号泣。電話してもうまく話せない。生まれて初めての胴上げ。
こうして今俺は東大にいる。でもそれは俺一人の力じゃなくて、困った時に助けてくれた友達の力によるところが大きい。確かに今までずっと真の自分を隠しながら友達付き合いをしてきた。でも、そんな俺でも慕ってくれて支えてくれた友達は大勢いてくれた。皆ありがとう。俺は幸せ者だ
なんかヤバい位長くなってしまったな…ま、それだけ人生に厚みがあるってことで笑)ここまで読んでくれた人ありがとう。掘り下げて聞きたいことがある人はコメントください。
こんちは
今回は俺の生い立ちについて、主にGIDや学校や家族のことを中心に書いていこうと思います。必然的に暗い話題も含むのでご了承の上お読みください
0歳:この世に誕生
1歳:近所のおばさんからミニーマウスのぬいぐるみをもらい、とても気に入る。毎晩抱いて寝ていた(今でも部屋の片隅にいる)
3~5歳:この頃から既に自分の性に違和感を感じる。セーラームーンでなくドラえもんやミニ四駆が好きになったり同じ組の女の子に初恋したり。親の趣味で髪を伸ばされる、結ばされる…この頃の自分は写真だけ見れば可愛い女の子笑)心中「嫌だなぁ…」と常日頃思ってたけど。
書道を始める。物を忠実に写して描くという作業が漠然と好きだった…移ろいやすい現実の世界の感動を必死で留めようとした末の子供なりの努力の形なのかもしれない。今でも細々と続けている。
4歳の時には妹が生まれた。自分が男として生まれることが出来なかったから弟であって欲しいと思ったが、妹だった。
6~9歳:コロコロコミックを読み始める。ポケモンが大好きに。きっと俺の世界一周の夢はここから来てるんだろうな
運動オンチだったから男の子の輪に入ることも出来ず、勿論女の子のグループなんて論外…気の合った女友達数人と付かず離れずの関係を。でもやはり心の奥では「何か違うよな。もっと皆の輪に入りたいな」とずっと思っていた。でも「自分はどうせ…」って諦め癖がついていた。一人でポケモンのマンガを描きまくっていた。
6歳からくもん式を始める。書道で培われた集中力も重なりそれなりに頭がよくなる。
7歳から剣道を始める。防具をつける必要もあって念願のショートカットに
しかし先生があまりに厳しくて毎回稽古前にはストレスで腹が痛くなっていた。
6歳から眼鏡をかける…ゲームや漫画の読みすぎ描きすぎ、と父親からの遺伝。父親と言えば、釣り好きでよく一緒に釣りに行った
大会で入賞したことも
10歳:日能研に通い始める。小学校より気の合う友達が出来て、こっちに帰属意識が芽生える。曜日が合わなくなったから剣道はやめた。
一方、小学校では学級崩壊が起き、同時にクラスから浮いていた自分は嫌がらせを受けるようになる。といっても元々女である自分が嫌でたまらなかったもんだから自尊心など微塵もなく反論する気力もなく。益々日能研に居場所を求める。クラブ活動はマンガクラブに。
夏に父親が過労で統合失調症に。それに伴い母親が鬱に。両親とも入院をする。その間は祖父母が面倒を見てくれた。
第二次性徴が発現し始める。自分の体が気持ち悪くて自傷に走る。自分の体を見られるのが嫌で猫背で俯きがちになり姿勢が悪くなる。
11~12歳:両親とも退院。しかし統合失調症への恐れや自分が憧れる「男」である父親への屈折した感情のため反抗期に。父親と全く話さなくなる。今思えばすごく酷いことをした。
マンガクラブから廃部寸前の将棋クラブへ。マンガは休み時間に書き続けた。
担任が変わり学級崩壊はなくなったが代わりの担任は独裁者的な先生…これを機に「こんな先生が酷いなら"公立"中学など行きたくない」と受験の決意を固める。先生への不満、親への反抗、女である自分への自己嫌悪から嫌がらせをされる側からする側に変わっていた。
ベイブレードにハマる。しかし、そんなこと口に出そうものなら母親から「男の子みたいだからやめなさい」と言われるに決まってるから隠れて一人で遊んでいた。
相変わらず塾が一番の居場所。そのうち受験が始まり、めでたく第一志望に合格。これで晴れて大嫌いな小学校からおさらば出来ると喜んだと同時に大好きな塾とさよならしなければならないことに悲しむ。
そしていよいよ中高一貫の女子校へ…
今回はここまでにしておきます。もしもこんな暗くて長い文を最後まで読んでくださった方がいたらただただ感謝あるのみっす。
もしも質問や今実際似たような状況に苦しんでいる人がいるならコメントをください。詳細に返答します
では次回の過去編・後編で
0歳:この世に誕生
1歳:近所のおばさんからミニーマウスのぬいぐるみをもらい、とても気に入る。毎晩抱いて寝ていた(今でも部屋の片隅にいる)
3~5歳:この頃から既に自分の性に違和感を感じる。セーラームーンでなくドラえもんやミニ四駆が好きになったり同じ組の女の子に初恋したり。親の趣味で髪を伸ばされる、結ばされる…この頃の自分は写真だけ見れば可愛い女の子笑)心中「嫌だなぁ…」と常日頃思ってたけど。
書道を始める。物を忠実に写して描くという作業が漠然と好きだった…移ろいやすい現実の世界の感動を必死で留めようとした末の子供なりの努力の形なのかもしれない。今でも細々と続けている。
4歳の時には妹が生まれた。自分が男として生まれることが出来なかったから弟であって欲しいと思ったが、妹だった。
6~9歳:コロコロコミックを読み始める。ポケモンが大好きに。きっと俺の世界一周の夢はここから来てるんだろうな
6歳からくもん式を始める。書道で培われた集中力も重なりそれなりに頭がよくなる。
7歳から剣道を始める。防具をつける必要もあって念願のショートカットに
6歳から眼鏡をかける…ゲームや漫画の読みすぎ描きすぎ、と父親からの遺伝。父親と言えば、釣り好きでよく一緒に釣りに行った
10歳:日能研に通い始める。小学校より気の合う友達が出来て、こっちに帰属意識が芽生える。曜日が合わなくなったから剣道はやめた。
一方、小学校では学級崩壊が起き、同時にクラスから浮いていた自分は嫌がらせを受けるようになる。といっても元々女である自分が嫌でたまらなかったもんだから自尊心など微塵もなく反論する気力もなく。益々日能研に居場所を求める。クラブ活動はマンガクラブに。
夏に父親が過労で統合失調症に。それに伴い母親が鬱に。両親とも入院をする。その間は祖父母が面倒を見てくれた。
第二次性徴が発現し始める。自分の体が気持ち悪くて自傷に走る。自分の体を見られるのが嫌で猫背で俯きがちになり姿勢が悪くなる。
11~12歳:両親とも退院。しかし統合失調症への恐れや自分が憧れる「男」である父親への屈折した感情のため反抗期に。父親と全く話さなくなる。今思えばすごく酷いことをした。
マンガクラブから廃部寸前の将棋クラブへ。マンガは休み時間に書き続けた。
担任が変わり学級崩壊はなくなったが代わりの担任は独裁者的な先生…これを機に「こんな先生が酷いなら"公立"中学など行きたくない」と受験の決意を固める。先生への不満、親への反抗、女である自分への自己嫌悪から嫌がらせをされる側からする側に変わっていた。
ベイブレードにハマる。しかし、そんなこと口に出そうものなら母親から「男の子みたいだからやめなさい」と言われるに決まってるから隠れて一人で遊んでいた。
相変わらず塾が一番の居場所。そのうち受験が始まり、めでたく第一志望に合格。これで晴れて大嫌いな小学校からおさらば出来ると喜んだと同時に大好きな塾とさよならしなければならないことに悲しむ。
そしていよいよ中高一貫の女子校へ…
今回はここまでにしておきます。もしもこんな暗くて長い文を最後まで読んでくださった方がいたらただただ感謝あるのみっす。
もしも質問や今実際似たような状況に苦しんでいる人がいるならコメントをください。詳細に返答します
では次回の過去編・後編で