雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散
直訳
雲から稲妻がきらめき、激しい雷雨が襲ってこようとも
観音の心を心に念ずれば、雷雨はたちまちにして静まる
これは
激しく、深い悲しみや失意の心の表現であり
この世で一番つらい
かけがえのない愛情で繋がった人が
亡くなってしまった時の
まさに胸が押しつぶされるような
悲しみについて書かれています。
このような悲しみも
生命の活力を消失させるものです。
仲の良かったご夫婦の片方が亡くなられると、
遺された方も後を追うように亡くなられた。
という、お話も良くききます。
では(死)とは、何かというと
死んでしまったから全てが消滅してしまう訳ではなく、
生命のあり様が変わるだけです。
亡くなったのは、肉体だけで
生命の本質である(霊)は、
見えないだけで、今まで通り存在しています。
冬に外出してて、家に帰って来たら
コートを脱ぐようなものです。
ですから、
亡くなった人を悲しんでいるのではなく
見れなくなった、触れなくなった、声が聞けなくなった
という自分の側の都合で悲しんでいる
という事になります。
(死)とは、
次の進化の道に進むか、
再び1からやり直すか
の分岐点です。
その進化の道をはばむものが、
[この世への執念や執着心]です。
この世への深い思いを残すと
死んでも、死に切れない
亡くなられた方を辛い状況に落とし込む事になります。
ただ、進化の足を引っ張っているだけですから・・・о(ж>▽<)y ☆
本当の愛とは
自己中の喜びや悲しみを中心にするのではなく、
相手を心の底から思う心が中心になります。
つまり、(死)とは
深く悲しむべきものではない。
深く悲しむと、亡くなった人の為にもならない。
という事がわかると
いかに心情的に辛くても
悲しみに溺れすぎない精神が目覚めます。
亡くなられた方の身になって
進化の道に進むその方の冥福を
祈ってあげられる。
これが亡くなられた方に対する
正しい愛情であり、お見送りの作法です。
このように(死)のあり様がわかると
自分自身の(死)への恐怖も取り除かれ
今を一生懸命生きようと思えます。
今日も一日、ワクワク、ドキドキしながら
出来る事を一生懸命頑張りましょう!('-^*)/