> 本日もにセッションをしていただきまして
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誠にありがとうございます。
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早速ではございますが、以下ご報告いたします。
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まず、睡眠中の話をさせていただきました。
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ときどき、寝ているのに起きている感覚がある、ただ
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気づき、あるの感覚が努力もなく、落ち着いてゆっくりと
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満遍なく漂う感じの状態についてのことでした。
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ご回答では、プロセスの中の一つの体験として
> TM
瞑想などをされていた時期に、Mさまも体験されて
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おり、またその他、数人の方にも似たような報告があると
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いうことでした。
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また、寝に入るときの感覚は人はほとんど全く覚えていることが
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できないものだと思っておりましたが、無空さまが寝入るときも
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覚えていたことがあるということを話されていました。
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いずれにしても、覚醒と睡眠については意識と無意識は微妙な
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違いはあれど、共通点もあるように思われます。

そうですね。
真我は、目覚め、夢、眠りの3つの状態すべての共通基盤としてあります。
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寝ている事に気づいている感覚はおそらく覚醒時に、意識に気づい
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ている感覚が深まる場合に、ある人にとっては(人それぞれ、進化や
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深化の表現や体験の形態は違うと思われますので)
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睡眠中も気づきが続く傾向が出てくるのではないかとも捉えています。

そのくらいの感じでよろしいと思います。
それ(真我)の気づきの質が生き生きとし、現われの世界(身体と心が眠っている世界)に
触れている時には、寝ていることに気づいているという状態になるでしょうし、
それ(真我)が、現れの世界にはまったく触れず、それ(真我)自身の中に没入しているときには、
熟睡ということになるかもしれませんね。

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また、Mさまから、アジズの意見も伺いました。睡眠と覚醒が
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バランスよくあることが自然であると。であれば、無理に「起きていなけ
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ればならない」と頑張ることもまたとらわれることになるのかも知れませ
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ん。
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そうなれば、なったでよいし、ならなかったらそれもよいというところかも
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知れません。

そうですね。
私はぐっすり眠っています(笑)
そして、朝の目覚めは自然に起こります(笑)

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また、長くなってしまいましたが、ゼロ意識共鳴のご報告となります。
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~共鳴~
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どこに焦点があたるともなく、身体の全身に張りめぐらされた感覚をじん
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わり感じつつ、ときにあるの感覚と同時、あるいは交互に行き交いなが
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ら存在の感覚を味わっていました。

無焦点で、そのことに気づいている状態もとてもよいですね。

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~アイコンタクト~
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平和、静寂、落ち着きなど目をあけて視点を合わせているのですが、そこには
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ほとんど努力なく、いつまでもそうしていられれる、そんな感覚に満たされて
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過ごしていました。

在るという力が働いていますね。

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ときおり、Mさまの顔が若くなったり、今の現実の状態に戻ったりと繰り返し
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てもいました。

私の顔が若い頃の顔になるのは、以前どなたかの感想にもありましたね。
それは今の中にすべてが在るということでもありますね。

また、同時に息遣いに沿って無空さまの身体がしずかにわずかに
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膨張と収縮を繰り返してもいることに気づいていました。
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~瞑想~
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あるの感覚が強まります。ただあるという感覚にまったりと没入するときもあれば
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そのあるという感覚を意識し、気づこうとして、意識する者と意識されたものが
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生まれているようにも思えますが、ここのあたりは微妙です。

とても意識がクリアで、微細であるからこそ気づけるところですね。
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~ハートの共鳴~
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あるの感覚がなんとなくスペースを変えてハートの中心に居座る感覚が出てき
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ます。暖かく、穏やかで、なつかしく、やわらかいそんな感覚に満たされます。

在るは単一でシンプルですが、同時に無限の表情を持っています。
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以上、ご報告致します。
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今後ともよろしくお願い申し上げます。


ありがとうございました。
こちらこそよろしくお願い致します。