男子学園へ入学する前、今までお世話になった方へのお礼や挨拶などをさせて頂いているうちに2015年は速いスピードで締り、2016年になり切り開かれるであろう新たな可能性たちと共に、忙しい日々を過ごすことができています。初めての挨拶をブログに載せることができないまま、東京での男子学園の仕事を終わらせて、昨日の早朝から昨晩まで宮城県石巻へ僕はいました。
「ようやく、てめぇの人生で行くことができる。」これが今の僕の心からの気持ちです。3.11から5年が経ち、僕たちは様々なものを経験したけれど、そこで僕が感じていたこと、悩んだこと、そして今この夜行バスに至るまでの道を、記録しておきたいと思います。こんな選択をした人間もいるんだと、読んで頂けたら幸いです。
2011 3.11 僕は東京で被災をしました。その日僕は高校の先輩の卒業式に出席していて、卒業式の後高校近くの友人の家で震災発生時刻を迎えました。マンションの5階で、強く揺れている時間のパニックや電信柱の揺れ、京王線の送電線が激しく揺れ続けている光景は今でも忘れません。帰宅難民となり、夜はひたすらテレビのニュースを付けながらFacebookやTwitterのタイムラインを眺めていました。
2011 3.11 僕は東京で被災をしました。その日僕は高校の先輩の卒業式に出席していて、卒業式の後高校近くの友人の家で震災発生時刻を迎えました。マンションの5階で、強く揺れている時間のパニックや電信柱の揺れ、京王線の送電線が激しく揺れ続けている光景は今でも忘れません。帰宅難民となり、夜はひたすらテレビのニュースを付けながらFacebookやTwitterのタイムラインを眺めていました。
「私には何もすることができない。」僕のFacebookやTwitterのタイムラインには、その声が溢れていました。テレビからは絶え間なく非現実的に見える光景が流れてきて、スマートフォンはメールの着信音のように緊急地震速報のアラートを鳴らし、ベッドに寝ていれば心臓の心拍音なのか揺れなのか分からないような夜が続く。直接の大きな被災を受けるわけでもなく、現実も掴みきることもできず、東京の人間は過ごしていました。故の、「私は何もすることができない」という声だと思います。
ただ、僕は「それは違う」と強く思っていました。確かに「今」何かをすることはほとんどできないけれど、未来、日本が同じような困難や苦境に再び出逢ったときに、すぐに動き出すことができる人間になるという役割があると思っていました。あの日の震災でも、3.11以降ボランティアに参加し、同年代の人間達が凄まじいスピードと情熱で行動していました。今何もできないのなら、未来彼らのような人間になろう、僕はそう思い、震災直後も募金や節電などのできる限りの支援をしながら、自分の活動やアルバイト、大学への受験勉強を続ける選択をしました。
ただ、何もなくても、行動に移した人たちも日本には震災直後から大勢いました。被災直後にトラックなどで物資を運んだ人、現地ボランティアにとにかく参加した人、大勢いました。そういう人たちを見て、「今、何もしていない自分」に悩み続けながら、ひたすら最短経路の道を進んでいると信じて過ごしていました。
ただ、何もなくても、行動に移した人たちも日本には震災直後から大勢いました。被災直後にトラックなどで物資を運んだ人、現地ボランティアにとにかく参加した人、大勢いました。そういう人たちを見て、「今、何もしていない自分」に悩み続けながら、ひたすら最短経路の道を進んでいると信じて過ごしていました。
2011の6月頃になると、僕は自分が広報を努める被災地復興支援のプロジェクトを仲間と共に開始しました。福祉を志す大学生と高校生、中学生合同の、セミナーで被災地復興に繋がるイベントを開催するプロジェクトで2ヶ月間に渡り宮城県の仲間たちと打ち合わせや交渉を重ねました。結果開催には至らず。その失敗や悔しさがきっかけとなり、僕はそこに集まったメンバーとひとつの学生団体を設立しました。
その後、被災地に貢献できるようなプロジェクトは実施できないながらも、活動や学業の成果から希望する大学へのアプライを叶え、無事に資格を取ることができた後、ようやく宮城県石巻に来ることができました。
今回石巻に来たのは、5年の時を振り返り自分の覚悟を確かめる為です。僕は、この土地に男子学園のボーイとして来ることができました。あの時とは違う夢を追う者として、僕が男子学園に入った意味の、新たな夢と諦めない気持ちを掴むこと。どちらも、僕の人生をかけて作り出しているものです。5年前には叶わなかった「自分の人生で東北に行くこと」という目標を、今達成しながら石巻で過ごしました。
震災が起きてすぐに「今できること」をせずに「僕が東日本大震災復興に向けて最大限の力でできること」への最短経路を進んできたことが、正しい判断だったのか間違った判断だったのか、僕には分からないし興味もほとんどありません。ただ、僕が「信じる道」を心底信じて生きてきて、昨日石巻にいたことだけは確かなこと。この街に、自分の人生で来ました。連れてこられたのでも、ついてきたのでもなく、確かに来た。
その景色は、明らかに5年前のものとは様変わりし、街と人の温もりを取り戻してきたように感じることができた。“どんな状況になっても、人は何事もやってのける。”そんなメッセージを貰えた気がしました。
今日から再び男子学園での仕事が始まりますが、僕は東京でひたすら信じた道を生きてきたそのエネルギーを、そのままここで活かしていきます。僕にはそれぐらいしかできないし、僕にはそれができる。宮城に来るまで、男子学園で活動する覚悟とケジメ、自分の未来へのプランを立ててきました。今は伝えられないすべての人への感謝と、すべての僕のエネルギーを、未来の3.11と夢の実現へ。
僕が、やるだけだ。
これからのこうじをよろしくお願い致します。