新しい年になりました。
今年は、今まであまりしてきませんでしたが、ブログに日々の思ったことなどをこっそり綴っていこうかなと思います。
見る人はいないので自分に対しての問いかけや自分との対話のようになるのかな。
ブログを書こうと思ったきっかけは、アメブロの芸能人のブログだったり、テレビや雑誌、いろんなところで最近見たり聞いたりする言葉…
「私たちの力で日本を元気に」
「少しでも誰かの力になれれば」
という類のメッセージ。
ふと私は、自分はこんなことを考えて日々生きているだろうか、と考えました。
2011年、日本中が深い哀しみに覆われている最中、私は仕事を辞めました。
当時は、毎日がつらくて朝を向かえることがこのうえなく苦痛でした。
その理由は、上司の怠慢、心ない言動、仕事に対する情熱の欠如などでした。
私は昔から好きなものには没頭するタイプで、興味のないものは避けて通って生きてきました。
そんな私にとって、そもそも「正社員として仕事に就く」ということ自体が見事に興味の対象外。
今思えば本当に恥ずかしく情けないことです。
そうして就活も片手間に、ただ人とたくさん関われる接客の仕事ということ、社長が熱い人だったというだけで業界や仕事内容をよく調べもせず就職先を決めてしまいました。
しかも人と関われるというのも、誰かのためというよりは、いろんな人と接することで自分を成長させたいから、という自分本位な理由でした。
はじめはもちろん初めての経験の連続で、新しいことを覚える楽しさ、周りの方の支えによって順調に仕事をこなしていましたが、働きはじめて最初の年越しを迎えるころ、私は閉店後の店内でふと思ったのです。
「これが本当に私のやるべきことなんだろうか…」
当時私の仕事は自転車を売ること、そして、修理することでした。
それまではやりたいことが何かも分からず、ただ目の前のことを一生懸命がんばってきた。
そしてようやく何かが見えてきたと思ったら、それは皮肉にも仕事に対する希望ではなく「この仕事は違う」という答えでした。
とはいえ入社して1年足らずで職を辞するはずもなく、なんとか新しい希望を見つけようと奮闘しました。
そうこうしてる間に年が明け、今まで1時間半かかっていた通勤が30分になる新店へ異動が決まり、文字通り心機一転、次のステージに向かって頑張ろうと心に誓い仕事へ向かいました。
ところがオープンして1ヶ月がたったころから、スタッフ間に不穏な空気が流れはじめたのです。
理由は店長のスタッフに対する言動や態度でした。
はじめはあまり気に留めず、気持ちを切り替えるように努めましたが、事態は日に日に悪くなる一方でした。
店長として厳しく接しなければならないことももちろんある。私たちが思う以上にいろんなことを抱えて厳しい局面に立たされる姿もみている。でもだからこそ、スタッフは店長を支える立場でありたいしなにより上にたつ者として、スタッフを信頼し愛情をもって接してほしかった…。
思いをぶつけてもかわされる。
向かってきてくれるならまだしも、逃げられてしまったらどうしようもない。
つらかった。
想いが伝わらないことがじゃない、
ぶつかれないことが苦しかった。
そして3.11。
ニュースにもなるほど巷の自転車店は売り切れが続出した。
夕方以降絶え間なく訪れる歩行者。
中には3時間、4時間かけてようやくここにたどり着いたという人もいた。
突然の事態にその日は訳もわからず気がついたら時刻は11時を過ぎていた。
次の週からは壮絶だった。
おそらくスタッフ誰もが初めて目にしたであろう、自転車が数台しか残っていない売り場。
店内には数えきれないほどのお客さんが列をなし、ほとんど選ぶことのできない自転車が仕上がるのを待っている。
家で眠っていた自転車を修理してほしいと、50台にも及ぶ壊れた自転車がが売り場に並べられる。
店長は10連勤目を迎えようとしていた。
そんな状況のなかで、私はまた思った。
「これは私のやりたい仕事じゃない」
このご時世に自分のやりたいやりたくないで仕事を選ぶこともですが、それよりもこの未曾有の事態のなか、困っているお客さんのためにとか、大変な店長のためにとか、誰かのことを思いやれなかったことを今はとても後悔しています。後悔していますが同時に、どうしてそれができなかったのか、その理由に納得してしまう自分もいました。
間違いに気づいたのなら、やり直せばいい。やり直すなら、早いほうがいい。
そんな思いで退職届を提出しました。
ですが仕事を辞めたはいいものの、実際自分がやりたい事を見つけたわけではありませんでした。
今思えばなんと浅はかだったのか。
いや、やりたいことがないわけではなかったけど、本当にやりたいことかどうかは分からなかったというのが正直なところです。そしてそこで気づくのです。
「このままじゃまた同じことを繰り返してしまう」
それから1週間、私は唸り悩み続け、はじめて、「自分と向き合う」ことを経験しました。
そして1週間後に出てきた答えは
「誰かのために、やりたいことをやる」
誰か=私の場合は、大人になる一歩手前の高校生や、未来を担う子どもたちでした。これから社会に羽ばたいていく人たちに、自分の将来を考えることの大切さを、先を見据えて、夢をもつことの素晴らしさを、つまり自分のようにならないようにと伝えなければならないと思いました。
やりたいこと=昔から人に教えることが好きでした。教えることの何が好きかと言えば、教わる人が教えたことをできるようになり、レベルアップした姿をみること。レベルアップした本人の嬉しそうな顔をみるのがなによりの喜びで、生きがいを感じる瞬間でした。
もう私が目指すべき道は一つしかありませんでした。
あの時もう少しふんばっていたら。こんな気持ちが最近少しでてきました。
それは、お金を稼ぐことの大変さと大切さを知ったからです。
私はいま小学校で介助員として務めながら、春からは通信制の大学で教員免許状取得を目指します。
介助員の給料は正社員の3分の1程度、しかも公務員とみなされるため副業は一切禁止。
到底一人で生活するのは不可能です。いま改めて、両親に心から感謝しています。
同時に、支えてくれた大切な人たちへも感謝の気持ちを忘れてはならないと痛感しました。
こんな私でも、
「誰かのために何かをしよう」
と思うことができた。
日本を元気になんて大きなことはいえないけど、まずは今いる環境の中で接することのできる子どもたちに対して、精一杯自分にできることをやっていこうと思います。
「少しでも誰かの力になれれば。」
初回にして相当重い内容になってしまいましたが、私としては今までずっと口にだせずに溜まっていたものを吐き出せて清々しい気持ちすらあります。
2012年もたくさん笑えますように。
iPhoneからの投稿
今年は、今まであまりしてきませんでしたが、ブログに日々の思ったことなどをこっそり綴っていこうかなと思います。
見る人はいないので自分に対しての問いかけや自分との対話のようになるのかな。
ブログを書こうと思ったきっかけは、アメブロの芸能人のブログだったり、テレビや雑誌、いろんなところで最近見たり聞いたりする言葉…
「私たちの力で日本を元気に」
「少しでも誰かの力になれれば」
という類のメッセージ。
ふと私は、自分はこんなことを考えて日々生きているだろうか、と考えました。
2011年、日本中が深い哀しみに覆われている最中、私は仕事を辞めました。
当時は、毎日がつらくて朝を向かえることがこのうえなく苦痛でした。
その理由は、上司の怠慢、心ない言動、仕事に対する情熱の欠如などでした。
私は昔から好きなものには没頭するタイプで、興味のないものは避けて通って生きてきました。
そんな私にとって、そもそも「正社員として仕事に就く」ということ自体が見事に興味の対象外。
今思えば本当に恥ずかしく情けないことです。
そうして就活も片手間に、ただ人とたくさん関われる接客の仕事ということ、社長が熱い人だったというだけで業界や仕事内容をよく調べもせず就職先を決めてしまいました。
しかも人と関われるというのも、誰かのためというよりは、いろんな人と接することで自分を成長させたいから、という自分本位な理由でした。
はじめはもちろん初めての経験の連続で、新しいことを覚える楽しさ、周りの方の支えによって順調に仕事をこなしていましたが、働きはじめて最初の年越しを迎えるころ、私は閉店後の店内でふと思ったのです。
「これが本当に私のやるべきことなんだろうか…」
当時私の仕事は自転車を売ること、そして、修理することでした。
それまではやりたいことが何かも分からず、ただ目の前のことを一生懸命がんばってきた。
そしてようやく何かが見えてきたと思ったら、それは皮肉にも仕事に対する希望ではなく「この仕事は違う」という答えでした。
とはいえ入社して1年足らずで職を辞するはずもなく、なんとか新しい希望を見つけようと奮闘しました。
そうこうしてる間に年が明け、今まで1時間半かかっていた通勤が30分になる新店へ異動が決まり、文字通り心機一転、次のステージに向かって頑張ろうと心に誓い仕事へ向かいました。
ところがオープンして1ヶ月がたったころから、スタッフ間に不穏な空気が流れはじめたのです。
理由は店長のスタッフに対する言動や態度でした。
はじめはあまり気に留めず、気持ちを切り替えるように努めましたが、事態は日に日に悪くなる一方でした。
店長として厳しく接しなければならないことももちろんある。私たちが思う以上にいろんなことを抱えて厳しい局面に立たされる姿もみている。でもだからこそ、スタッフは店長を支える立場でありたいしなにより上にたつ者として、スタッフを信頼し愛情をもって接してほしかった…。
思いをぶつけてもかわされる。
向かってきてくれるならまだしも、逃げられてしまったらどうしようもない。
つらかった。
想いが伝わらないことがじゃない、
ぶつかれないことが苦しかった。
そして3.11。
ニュースにもなるほど巷の自転車店は売り切れが続出した。
夕方以降絶え間なく訪れる歩行者。
中には3時間、4時間かけてようやくここにたどり着いたという人もいた。
突然の事態にその日は訳もわからず気がついたら時刻は11時を過ぎていた。
次の週からは壮絶だった。
おそらくスタッフ誰もが初めて目にしたであろう、自転車が数台しか残っていない売り場。
店内には数えきれないほどのお客さんが列をなし、ほとんど選ぶことのできない自転車が仕上がるのを待っている。
家で眠っていた自転車を修理してほしいと、50台にも及ぶ壊れた自転車がが売り場に並べられる。
店長は10連勤目を迎えようとしていた。
そんな状況のなかで、私はまた思った。
「これは私のやりたい仕事じゃない」
このご時世に自分のやりたいやりたくないで仕事を選ぶこともですが、それよりもこの未曾有の事態のなか、困っているお客さんのためにとか、大変な店長のためにとか、誰かのことを思いやれなかったことを今はとても後悔しています。後悔していますが同時に、どうしてそれができなかったのか、その理由に納得してしまう自分もいました。
間違いに気づいたのなら、やり直せばいい。やり直すなら、早いほうがいい。
そんな思いで退職届を提出しました。
ですが仕事を辞めたはいいものの、実際自分がやりたい事を見つけたわけではありませんでした。
今思えばなんと浅はかだったのか。
いや、やりたいことがないわけではなかったけど、本当にやりたいことかどうかは分からなかったというのが正直なところです。そしてそこで気づくのです。
「このままじゃまた同じことを繰り返してしまう」
それから1週間、私は唸り悩み続け、はじめて、「自分と向き合う」ことを経験しました。
そして1週間後に出てきた答えは
「誰かのために、やりたいことをやる」
誰か=私の場合は、大人になる一歩手前の高校生や、未来を担う子どもたちでした。これから社会に羽ばたいていく人たちに、自分の将来を考えることの大切さを、先を見据えて、夢をもつことの素晴らしさを、つまり自分のようにならないようにと伝えなければならないと思いました。
やりたいこと=昔から人に教えることが好きでした。教えることの何が好きかと言えば、教わる人が教えたことをできるようになり、レベルアップした姿をみること。レベルアップした本人の嬉しそうな顔をみるのがなによりの喜びで、生きがいを感じる瞬間でした。
もう私が目指すべき道は一つしかありませんでした。
あの時もう少しふんばっていたら。こんな気持ちが最近少しでてきました。
それは、お金を稼ぐことの大変さと大切さを知ったからです。
私はいま小学校で介助員として務めながら、春からは通信制の大学で教員免許状取得を目指します。
介助員の給料は正社員の3分の1程度、しかも公務員とみなされるため副業は一切禁止。
到底一人で生活するのは不可能です。いま改めて、両親に心から感謝しています。
同時に、支えてくれた大切な人たちへも感謝の気持ちを忘れてはならないと痛感しました。
こんな私でも、
「誰かのために何かをしよう」
と思うことができた。
日本を元気になんて大きなことはいえないけど、まずは今いる環境の中で接することのできる子どもたちに対して、精一杯自分にできることをやっていこうと思います。
「少しでも誰かの力になれれば。」
初回にして相当重い内容になってしまいましたが、私としては今までずっと口にだせずに溜まっていたものを吐き出せて清々しい気持ちすらあります。
2012年もたくさん笑えますように。
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