ふと、人間は一体何故生きるのか
なんのためーにーうーまれてー
なーにをしーてーよろこぶー
わからないまーまーおわるー
そんなのーはー⋯
そう、天命を知る事
言わばそれこそが人が生きる意味
って言っても、その明確な答えと言うのは誰も知らないしそもそも無い
死んでからのお楽しみと言うべきか
仮に知り合いのたかしくんが「俺って大根食う為に生まれたのかもしれない。それが俺の天命だよな!?」とか言い出したら私は「そうなんじゃない」と身も蓋もない返答を返すだろう。
本人がそれを天命と言い張るのであれば、こちら側は否定も肯定も出来ない。なら、肯定のように聞こえるが、実の所どうでもいいニュアンスを含む「そうなんじゃない」と言う言葉を返すのが正解な気がする。
話が逸れたが、仮定の話
んでここからが本題
自分自身は一体何故生きているのだろうか
今まで生きてきた中で恐らく20年近く頭の片隅にあり、時に本気で悩み、時に考える意味も無いかというのを繰り返してきた。
今日はどうにも回答の1つが出てきてしまい、尚且つ文面に残しておきたいと思ったのでここに記す。
人は贖罪の為に生きているのでは無いだろうか
無論、何を罪とするというのも結局は人の物差しが決めた事で、何がいい事何が悪い事と言うのも結局明確な答えがない。
「人殺しは悪い事だ!」と言うが、仮に某国の某独裁者を殺した者が居たらどうだろう
その者は英雄と讃えられる可能性が高い
逆に、世界中から愛される世界的スターを殺した者が居たら?
その者は今世紀最大の極悪人だの、極刑にすべきだのと批判されよう。
同じ人間なのに、結局それも人の倫理観にままならない
さて、また話が脱線したが
法律で決められた事破る事とか、モラルに反した事とか、ルールを破る事が罪
人に優しくする、動物愛護、自然を大事にする、ポイ捨てゴミを拾ってゴミ箱に捨てることがいい事
結局これも人の倫理観、結局はエゴの押し付けである
では一体何が正解なのかと思った矢先
憎まれっ子世にはばかる
この諺がふと脳裏に浮かぶ
「死んで当然の人間なのになんでこいつが長生きするんだ?」
「こんな素晴らしい人間が病死するなんて」
カルト宗教的な思考になってはいるが
「罪の精算が終わった人間だからこそ」死ぬのでは無いだろうか
不慮の事故に巻き込まれたり、病死等
逆に人に恨まれる人間程、長生きしているような気がする。憎まれっ子云々
「罪の精算が終わらないから死なない」のでは無いか。流石に寿命に抗う事は出来ないが
さて、勢いで書いたが
文才が無いことに泣けてくる
それはそうと、何故この思考に陥ったかだが
「罪の精算」とやらがもしかすると終わったのかもしれない
無論、全て仮定に過ぎない話だが。この罪の精算とやらも
癌の可能性がある
治療はしない。する気が起きない
近いうちに健康診断があるからその時にでも分かるだろう
骨の痛み、肛門の痛み、黒い便
偶然が固まっただけか、はたまた
