

まずは、彼女とおいらに暖かいコメントをありがとうございました。
彼女も喜び感動しています。
今日は仕事は忙しくないので、途中で抜けて
糖尿系の数値が悪かった為に、問診へ行った。
Dr. 「ん~ヘモグロビンの数値がヨコバイなのですが、
正常数値5.0のところ、8.9なのでこのままだと
糖尿病となりインシュリンの投与・食事制限
アルコール類禁止となります。」
TAKA 「えっ・・・それはなりなくないですよ汗」
Dr. 「幸いにもまだ初期段階なので今回から
ヘモグロビンを下げる薬を使ってみましょう
でもこの薬は、空腹時に低血糖を起す可能性があるので
気をつけて下さい。」
との問診をされ、薬が一つ増えてしまった汗
初期段階なので何とか悪い数値を下げて
健康を取り戻さないと・・・・
皆さんも定期検査を行い、健康第一でいましょう!!
SHOW-YA 
SHOW-YA (1981-1998 2005-) - ONE WAY HEART (1986)
SHOW-YA (1981-1998 2005-) - その後で殺したい (1987)
SHOW-YA (1981-1998 2005-) - その後で殺したい (1987)
Heart 
1966年に、ギタリストのロジャー・フィッシャーとベーシストのスティーヴ・フォッセン
らが結成したアーミーというバンドが母体。
1968年にメンバーチェンジを行いホワイト・ハートと改名。
1971年にフィッシャー、フォッセンがオーディションを行いアン・ウィルソンを見出す。
アンは2、3週間のつもりでゲスト参加したが、ツアーが上手くいったためそのまま加入、
ホーカス・ポーカスに改名。
ここでアンはロジャーの兄マイク(ホーカス・ポーカスのメンバーでもあった)
と出会い、恋愛関係となる。
1972年にハートと改名し、マイクはバンドのマネージャーとなった。
1973年以降ナンシーは時々ライヴに参加、アン達にバンドに誘われていたが、
小説家を志していたため決心がつかずにいた。
1975年にナンシーも正式に加入し、ウィルソン姉妹、フィッシャー、
フォッセンの4人組で1976年にデビューアルバムの『Dreamboat Annie』を発表。
レッド・ツェッペリンに強く影響された音楽性やアンの歌声、姉妹バンドであることなどが
注目を集め、『Magic Man』(全米9位)、『Crazy on You』(全米35位)などの曲がヒットした。
この時期アンとマイク、ナンシーとロジャーは恋愛関係にあった。
1977年には1stにも参加していたギタリスト/キーボーディストのハワード・リース、
ドラマーのマイケル・デロージャーを加えた編成で2ndアルバムの『Little Queen』を発表。
シングル『Barracuda』は全米11位を記録した。
1979年にアンとマイク、ナンシーとロジャーの2組のカップルが破局。フィッシャーが脱退。
この時点で完全にウィルソン姉妹が中心のバンドとなる。
1982年にはフォッセンとデロージャーが脱退し、ベースにマーク・アンデス、
ドラムにはデニー・カーマッシが加入。この頃には商業的に低迷期に入っていた。
1985年発表のセルフタイトル作品『Heart』では、当時、サバイバーやキッス等を手がけ
ヒット作を連発していたロン・ネヴィソンをプロデューサーに迎えた。
初めて外部のソングライターによるポップでキャッチーな曲を収録し、
これが起死回生のヒット作となる。
『What About Love?』(全米10位)、『Never』(全米4位)、『These Dreams』(全米1位)、
『Nothin' At All』(全米10位)とシングルヒットを連発、アルバムも全米1位となり、
一気にスターダムへと駆け上がった。
こうして1987年発表の『Bad Animals』(プロデュース/ロン・ネヴィソン)も全米2位、
1990年発表の『Brigade』も全米3位と、バンドは黄金期を迎えた。
この時期にはヘヴィメタルのムーヴメントが盛り上がっており、
それに乗る形でルックスや音造りもグラマラスでゴージャスなものへと変化していた。
姉妹はバンド活動休止時の1990年代後半のインタビューで
「ロンのプロデュースは徹底的に売れる音作りを狙っていたので、納得できない点もあった。」
と答えている。しかし,この徹底的に売れる音作りが見事に当たったのは事実だ。
1993年発表の『Desire Walks On』はこの頃盛り上っていたグランジブームに
押されバンドの人気は急激に低下。ここにベースのマークは参加せず、
1992~1993年に脱退したものと思われる。
この頃からアンとナンシーはラヴモンガーズを始めとしたバンド外のプロジェクト活動や
ソロ活動を重視し、サウンドも原点回帰のアコースティック路線を模索するようになる。
この間にデニーは、デイビッド・カバーディル(Vo/ex:ホワイトスネイク)
とジミー・ペイジ(g/ex:レッド・ツェッペリン)のプロジェクトである
カバーディル/ペイジに参加。引き続きカバーディルが再始動させたホワイトスネイクにも参加する。
こうして1994年頃には脱退。
1995年MTVの看板番組「アンプラグド」に出演。
Stringsを迎えAcousticなナンバーを披露している。
この模様はのちにCD,DVD「ザ・ロード・ホーム」に収録。
このライブには元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズをベースに迎えており、
姉妹のツェッペリン好きの夢がかなったといったところだろうか。
(ちなみにジョンはこのアルバムのプロデュースも行っている)
1999年ナンシー・ウイルソンはソロとして「LIVE AT MCCABE'S GUITAR SHOP」をリリース。
2000年-2001年ナンシーは、夫で映画監督のキャメロン・クロウの
「あの頃ペニー・レインと」(2000年),「バニラ・スカイ」(2001年)のサントラに曲を提供。
2002年HEARTとしてバンドメンバーも変え、久しぶりサマー・オブ・ツアーが行われる。
最終日には地元シアトルでライブを行いCD,DVD「アライヴ・イン・シアトル」として発売されている。
このツアーにはデビュー当時からバンドを支えていたハワードの姿は見られなかった。
2004年に久々の新譜となる『Jupiter's Darling』を発表。
このレコーディングにもハワードは参加せず脱退が決定的になる。
こうしてバンドは実質的に姉妹のプロジェクトとなる。
90年代以降、長期のツアーは避け、単発的なライブ活動を中心に据えるようになってきている。
また最近は、乳がんやアフリカのエイズ貧困問題など支援活動行っている
2005年キャメロン・クロウ監督の映画「エリザベスタウン」のサントラに
ナンシーのAcousticなギターサウンドを提供。
2006年TV番組「DECADES ROCK LIVE」でAlice in Chains,Dave Navarro,
Carrie Underwood,Gretchen Wilson,Duff McKagan
(b/ex:ガンズ・アンド・ローゼズ 現ヴェルベット・リヴォルバー)らと競演。
再びエレクトリック・ギターを使用した豪快なロック・サウンドを聴かせている。
2007年アン・ウィルソンが初のソロ・アルバム「Hope&Glory」を9月にリリース。
カヴァーアルバムで、ゲストも多彩でエルトン・ジョンやk.d.ラングらが参加。
ハートとしては、現在のメンバーにstrngsを加えた編成で1st『Dreamboat Annie』
をライブ演奏した1st『Dreamboat Annie Live』を発表。
Heart (1966-) - What About Love (1985)
Heart (1966-) - Never (1985)







