あなたにとって自由とは?
日本にいる時とガーナにいる時とで何が具体的に違うのかを考えてみた
今までは日本は働いてる国
ガーナは休息の地
と思っていただけだったが
ここ数年
ガーナの方が忙しいんじゃないのか?って思うようくらい忙しくなってきた
だけど、それなのに、
ガーナは自分の人生の舵を自分で握っている感じがあるべき姿としてあって
生きてる感がやはりする
しかし、日本にいるとやはりどうしても自分を殺さなきゃ、他人のリズムで生きなきゃ、人や周りの価値観を尊重して、ああだこうだ、になっていって、1日が終わる頃には本当に疲れてる
ここに来ていつも思うのは、それはやはり奴隷だという事
しかもただの奴隷ではなく
奴隷の完全体だということ
と思うようになってしまった
通勤列車の中でも
会社に着いてからも
ランチも自分の決断で時間も相手も決められない人の方が多い気もするよ
帰宅も自分の意思ではなく
帰宅後も次の日の仕事を気にして
24時間
自分の魂の呼吸の瞬間さえも与えられてない
一体どんだけ自分の人生のかけがえのない時間を仕事に費やしてるんだって思ってしまうのです
しょうがないという意見もあるはず
これが仕事という意見もあるはず
いろいろあっていいが
僕はそれがどうしても受けいられなくて…
何かをするために何かを売らなきゃいけない感じが…
その人生が歩めないのです
自分の人生に向き合い
自分で取るべきリスクを自分と決めて
自分の意思で生きたい
自分の魂を磨きたいのです
これが日本ではわがままになってしまいますね
わかります
でも仕方ない事もあると思います
人生は自己責任だが
確かにほとんどの人が自己責任と自由の共存ともろもろを理解してないとは思う
わたし然り、未熟のさなか…
ゆとり教育の時に必要だったのは自由な決断に伴う責任の重さの議論と自覚と伝える事が圧倒的になされてなかった
当時、大学生の頃がまさにゆとり教育の始まりだった
当時通っていた大学の教育の授業の先生はまさに国会に立ち、ゆとり教育を普及させていた中心人物の1人でした
わたしは彼の授業でいつも発言していた
自由な決断の代償を伝えるべきではと
あの時先生は何を思っていただろうか
150人くらいの授業で先生はわたしたちの意見を受け止めていた
だけどわたしはゆとり教育を批判したいわけではないのです
本質が伴わなかっただけ
本質が伴わないのが政治
本質がないから失敗するだけなのです
政治は見ていると、いろんなしがらみや思惑が重なり合い、それどころではない要素も大きそうですが…
ゆとり教育で言うと
日本は年齢が上だからということで理不尽が許され過ぎてるとわたしは思っています
ゆとり世代の出現で、その理不尽さが通用しなくなり、歩み寄りという当たり前の事が求められるようになった、
新しい世代は年齢ではなく
人を見ています
年齢でごまかそうにも、物を言わせようにも
彼らは1人の人として見ている
僕はそう見ています
変なヤツ確かに多いけど
でもいつの時代にもいるよ
今の時代でも優秀な若者が優秀なのは自由の代償と責任を理解してるからだと思います
だけど、そこに向き合えられなかった、いや、そこを度外視にされてしまった人が苦しんでるかもしれません
だけど、問いたいのです
私たちは昔から教育において失敗の中で今に辿り着いてるのではないかと、
失敗はゆとり教育に始まった事ではないし
ゆとり教育は失敗ではなかったとも思います
わたしたちは長い途中経過を生きています
ただ本質がずっと抜けてるだけ
でも人知れずどこかで確実に伝えられている
でもその注入は容易ではないですよね
役所も、現場も人それぞれですから
そして、毎日現場は戦場ですから
サッカーのメッシは若くして世界最高のチームをけん引する存在になった
10代でNGOを発足し世界を変える若者もたくさんいる
イエスキリストと10代前半で賢者を諭したと言われてる
年齢で測れることは限りなく少ないという事を
昨日20代のガーナ人に熱く語られた
あなたはどう思いますか?





