チャクラジベリッシュとハート瞑想 -9ページ目

チャクラジベリッシュとハート瞑想

毎週木曜日の夜に兵庫県西宮市の防音室で、チャクラジベリッシュ瞑想とハート瞑想をしています。

来日で話題のマニーシャのOSHOへの質問です。

 

 

マニーシャ
あなたは私のいうことを正しく聞いている。心には2つの側面がある。それは活動的にもなれば、 非活動的にもなる。だが、非活動的な状態の時でも、そこには心がある。非活動的の状態は心の裏庭だ。人が真に意識的になり、真性なブッダになるためには、活動と非活動の両方を超えなければならない。


マニーシャはさつらにたずねている。


「私たちはまずジベリッシュをして、それから沈黙しますが、これは活動的な心と非活動的な心の両方体験することなのでしょうか?もしそうなら、手放しの時に超越的なものを体験することは可能でしょうか?全一な完成された意識を得る以前にも、意識の瞬間を持つことができるのでしょうか?」

 

この手法全体は、まさにあなたの説明のとおりに働いている。ジベリッシュは活動的な心をぬけ出すため、沈黙は非活動的な心を抜け出すため、手放しは超越的なものに入るためにある。

 

しかしそれを特別なもの、特別の人々にしかできないものだと考えていけない。あなた方がそれをやってるのだから。ただそれを認識することは必要だ。あなた方は自らの尊厳性という事実を了解しなければならない。社会全体があなた方を破壊し、だめにし、損傷を与え、.自らの自己に到達するすべての可能性を抑圧してきた。今や全世界が私に敵対しているが、それは私が彼らの正に反対をやっているからだ。私は世界に<個>を呼び戻そうとしているが、世界は<個>を完膚なきまでに抹殺してきた。

(中略)

 

政治家は人類の敵だ。政治家は過去を、死者を、全ての墓場を代表しているが、私の仕事は、そういった長いこと死んでいる者たちすらも墓の外に引きずり出すことだ。彼らはでまいとして全力を尽くすだろうが、私には私のやり方がある。

 

私は彼らに言う。「ジベリッシュをしなさい。他に何もできないのなら、ジベリッシュをするがいい。少なくともそれで、息ができることぐらいは証明できるだろう。まず、そこからいっしょに始めようじゃないか」と。

 

覚えておいてほいのは、私が墓場について語るとき、それはあなた方のことを言っているということだ。OSHO

 

OSHO これ、これ、千回もこれ