昨日の旅の心地よい疲れが残る朝。

 

 

 

毎朝のお祈りの時間が今日はだいぶ遅くなってしまいました。

 

 

 

それなのに、部屋の汚れが気になって掃除をし始めたり、

ゆっくりコーヒーが飲みたくなったりで、一向にお祈りのコンディションが整わず。

 

タイミングを逃し続けていました。

 

 

 

 

 

 

私は今、お祈りの時間がとっても大好きで、大好きすぎて、

1日を始める大切な儀式みたいになっています。

 

 

 

超絶めんどくさがりな私が、お祈りに関しては

ただの一度もめんどくさいと思ったことがありません。

 

 

 

だからこそ、楽しみに続けられているんです。

深酒した翌日とかはさすがにできないこともありますがw

 

 

 

ところが、今日はちょっと勝手が違ったのです。

 

 

 

内心、焦っていたのですが、

身體が祈りの方へと向かわないので、もう赴くままに自然なままに従っていました。

 

 

 

すると、身體の深部から言葉が聴こえてきたんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの心はちゃんと届いていますよ。

 

形や形式にこだわらなくても、祈る愛は伝わるものです。

 

祈る愛を信頼してくださいね。」

 

 

 

 

 

あまりの言葉に感動してしまい、胸と目頭が熱くなりました。

 

 

 

それと同時に、「ああ、そうか。」と気がつきました。

 

 

 

 

 

私は結構、作法とか形式にこだわるところがあります。

 

重要視してしまうあまり、毎朝のお祈りも自分なりの作法ができあがりつつありました。

 

 

 

無意識だったと思いますが、作法通りにできない場合や状況だった時、

 

「今日はお祈りができない」

 

そう決めつけていそうだな、もしくはもう決めつけているなと。

 

 

 

 

 

お祈りは場所も形式も作法も関係ないんだよ。

あなたが祈る時、それは祈りなんだ。

 

 

 

 

 

こんなシンプルなことを忘れてしまってた。

 

「ああ、本当にその通りだ。」と、肚落ちする感覚が身體に染み込んでいきました。

 

 

 

 

 

「あなたの愛をとても嬉しく思っています。

ですが、何よりも望むのはあなたが笑顔でいることですよ。

 

 

 

 

 

肚落ちと同時に、また言葉が聞こえてきました。

 

 

 

 

直感的に、ご先祖様たちのお言葉なんだと感じました。

 

 

 

 

 

もうこんなの、泣きますよね。

 

もうありがたくて、ありがたくて…。

 

 

 

 

 

そのお言葉に甘えさせていただき、今日はいつものお祈りはしないでおこうと決めました。

 

 

 

しないでいると、私は何を感じるんだろうな。何が起きるんだろうな。

 

それを楽しむことにしました。

 

 

 

 

 

そしたら、いつもの作法や形式をとらなくても、

やっぱり手を合わせて、お祈りしちゃっていました。

 

 

 

そして、さらにまた、

私はお祈りが好きでたまらないんだなということを知ることができたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

ご先祖様たちが私に思ってくれているように私も、

すべての人が、ただ、幸せに生きて笑顔でいることを心から望みたい。

 

 

 

そういうひとりの人間、存在でありたいな、と心底思いました。

 

 

 

 

 

イレギュラーから始まった、今日のかけがえのない大切な出来事。

 

 

 

が、ただちょっとだけ思うところがあるんですよね。

 

 

 

どうしてこんな感動的な出来事が起きたのがお手洗いだったのでしょうか。

 

 

 

いや、お手洗い、私は大好きな場所ですよ。

スッキリしますしねw

 

まぁ、よく言いますよね。

リラックスしたりホッとしてる時なんかに高次元や宇宙と繋がりやすいって。

 

 

 

だったらお風呂とかコーヒータイムでもよかったんじゃないかなー。  …なんて。

高次元のタイミングが難解すぎる件w

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も、今この瞬間も、どの ”今ここ” でも、

あなたが笑顔でありますように。