こんにちは、Ambho(アンボー)です。
ちょっと間が空いてしまいましたが、昔話 の続きを書こうと思います。
2007年1月、怒りが原因で、合宿のグループから追放され、気が変になってしまったことを書きました。
その後、自分というものが、分からないというか、信じられなくなりました。
なぜなら、狂気に突き動かされるまま、止めることが出来ず、謝りたくもないにも関わらず、謝りに行ってしまったからです。
また、そのグループでは、
OSHOに呼び掛けてクリスタルにチャージされた波動を受けとる
ということをしていました。
狂気に突き動かされつつも、何とか踏みとどまろうと、何度もOSHOに呼び掛けたにも関わらず、止めることは出来ませんでした。
その事と追放されたことで、OSHOとの繋がりも途絶えてしまいました。
そして、ハイエストプロテクションの呪縛から解放された後、そのグループリーダーが、
OSHOの本、「黄金の華の秘密」の序章に出てくる魔法使いに思えました。
なので、その魔法使いが帰国した後、自宅に戻る際、家中を浄化しなくてはならない、そう感じたのでした。
そして、セージを買いに、国立にあるホーリーショップ 月船に行ったのでした。
セージを手に取りレジに並んだとき、何かに呼ばれて振り向くと、
「あるがままに」と書かれた本の背表紙が見えました。
手に取り、パッと開くと、そこには、
「あなたの苦しみの原因は、体・思考・感情との同一化である」
と書かれていました。
それが、ラマナ・マハルシとの出会いでした。
その言葉に救われ、以来、いつも持ち歩き、その本を少し読んではそれに瞑想する日々が続きました。
それを簡単に説明すると
私は誰か?
と問うことです。
それは、頭で考えるのではありません。
頭で私は○○ですと名前を答えるのでもなければ、
○○ですと職業を答えるのでもないのです。
歩いているとき、
「歩いているのは誰か?」
と問うことで、意識を源に向けるのです。
何かを見ているときに、
「目を通して見ているのは誰か?」
と問うことで、意識を源に向けるのです。
そのような瞑想(真我探求)を思い出す度、続けうる限り続けていました。
その後、ラマナ・マハルシの元で覚醒したというパパジ(プンジャジ)の存在を知りました。
程なく、mixiでパパジコミュを見つけ、幸運なことに、パパジの本、「真理のみ」を分けていただきました。
それからは、「真理のみ」を日々持ち歩き瞑想していました。
ゆっくりと内側で変容が起こっていました。
内側も外側もないのだ
世界を歩いているようで、私の中を世界が動いているのだ
そんな感じを感じていたりしました。
内側で、静寂や安らぎが拡がり始めました。
その後、外側で、激しい怒りや、恐怖・不安・恐れなどを刺激される出来事が、次々と起こり始めました。
何年も瞑想していたつもりでしたが、
たくさんのグループにも参加していましたが、
感情をどのように扱えばよいのかは、全く分かっていませんでした。
ラマナ・マハルシの「あるがままに」に書いてあった、
来ては過ぎ去るものは、実在ではない
という言葉を誤解して、
実在ではないなら、感情に構う必要もない
そんな風にも思っていました。
怒りについては、いつ暴発するのかわからないくらいに大変だったので、
危なくなると、週末に始発電車に乗って西荻窪まで行き、ダイナミック瞑想をしていました。
直後は、落ち着き静けさが戻り、深く安らぐことができました。
が、2週間くらい経つと、また怒りで一杯で暴発しそうになり、
また始発電車に乗ってダイナミック瞑想をしに行く、ということを繰り返していました。
恐怖・不安・恐れについては、
このままだと、感情に飲み込まれ、もっと大変な出来事がやって来て、押し潰される。
そんな風に思っていました。
なので、感情に負けないように、GYMでのトレーニングを更に強化して、負けないように奮い立たせていました。
そう、こんな風にも感じていました。
自分自身の中に、たくさんの感情がヘドロのように溜まりに溜まって、それが原因でこんなに大変な出来事が次々とやって来ている。
こんなにたくさんの感情を、今更どうすることもできない!!
もうお仕舞いだ!!
感情を感じないように、遅くまで働き、
週に3回は、GYMでハードにトレーニング
そんな生活を続けたあげく、体が壊れました。
それは、まるで死の瞬間のような衝撃でした。
(1年後に、正に、過去生での死の瞬間を追体験したことを知るのですが)
正直、ショックでした。
昔から、体だけは丈夫だ。
体さえあれば、生きていける。
というのが、唯一の支えでしたから。
つづく