2/(ii)/2章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 ビードの記述から我々がうかがい知ることができることは、ニニアンはブリトン人であり、定期的にローマで指導を受けた司教であり、カンディダ・カーサ(訳注1)に教会を建て、そこから南部ピクトに宣教に赴いた人物であるということである。通常は400年頃のこととされている。これは合理的な推測であり、ビードの話を疑う必要はない。なぜならば、ウェールズ教会が司教制に基づいて組織されており、ブリトン人の聖職者がその大会議のいくつかに出席しているからである。よくわからないのは、ニニアンの尽力の範囲と浸透の具合である。とにかく、成人列伝の著者たちは、一見異教の地のように見える国々におけるキリスト教の飛び地のことについてはほとんど何も書いていない。そして、聖パトリックは、「背教徒のピクト人たち」と非難している。

(訳注)

1.カンディダ・カーサ(Candida Casa):ラテン語で「真っ白い小さな家」の意。スコットランド南部のギャロウェイのウィットホーンにある。