12/❹/⑵/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 間もなくアングル人の攻撃が始まった。エセルフリス王(訳注1)は、デグザスタンの戦いの勝利によってブリトン人の南部諸公を下し、ソルウェイ(訳注2)への道を切り開いた。彼の後継者のもとでアングル人は川の流域地帯を北へ進み、750年にカイル(Kyle)に侵入した。(訳注3)そして、756年にピクト人と同盟しながら、ブリトン人をダンバートンで降伏させた。もっとも、アングル人の部隊もその帰還中に甚大な損害を被った。


(訳注)

1.エセルフリス王は593年頃からバーニシア王国の王。616年頃にアイドル川の戦いで戦死。(ref:Wiki, Eng, 'AEthelfrith')

2.ソルウェイ湾(Solway Firth)は、スコットランド西部、イングランドとスコットランドのちょうど境目にある入江。

3.

Eadberht is said to have taken the plain of Kyle in 750, around modern Ayr, presumably from Alt Clut.  (ref:Wiki, Eng, 'Kingdom of Strathclyde')