9/❸/⑵/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 リデルチ・ハール(訳注1)のアーサレットにおける戦いの勝利は、これまで通常、聖マンゴーによるグラスゴー司教区の樹立につながるキリスト教の勝利とみなされてきた。しかし、それは王朝どうしの争いの中の一出来事だったかも知れない。そのような争いは頻繁にあったことであり、ゲルマン民族の侵入前にブリトン人を弱体化させた。


(訳注)

1.Rhydderch Hael(英語: Rhydderch the Generous)、Riderch I of Alt Clut、または Rhydderch of Strathclyde(580年 - 614年頃)は、ブリテン島の Hen Ogledd(旧北部)にあったブリトン王国 Alt Clut の支配者。彼はHen Ogledd でもっとも有名な王の一人で、後の中世のウェールズ語やラテン語の作品に頻繁に登場する。(ref:Wiki, Eng, 'Rhydderch Hael')