2005年春に、ホクロがかゆくて皮膚科・大学病院と診て貰ったことがあった。

ネットで調べてみたところ、ホクロ癌の症状に似ており、恐怖した。しかし結果は全く問題なかった。


その年の夏には、水虫が悪化。感染経路はほぼ推定できたが、症状もひどくなり非常につらかった。


また、親知らずを抜歯し、2週間食事の時間は地獄を味わった。


2006年冬と秋には、うつ状態がひどくなり、精神科に通ったことがあった。しかしこれもうつ病とは違うようであり、薬を一回だけもらって数回で通院は終わった。


2006年9月、アキレス腱を負傷。


2006年10月、左膝靭帯を負傷。完治まで3ヶ月。


2007年春、大便に鮮血が付いているのを発見し、ネットで調べたら大腸癌・直腸がんの可能性があり、恐怖した。注腸検査まで行ったが癌はみつからず。裂痔ということであった。


2007年7月、海外渡航前にパニック発作が発症。深夜救命救急センターに駆け込んだが営業しておらず、そのとき同時に発作はおさまった。その後、幾度もパニック発作を発症。


2007年8月、両足親指爪を圧迫し内部出血。左足踵に深い切り傷。


2007年10月、原因不明の蕁麻疹が発症。皮膚科に2回通院。


同じく10月、左膝靭帯を負傷。水を抜く。完治まで2週間。


2007年11月、AIDS検査。精神が弱っており、恐怖していたが、結果陰性。


2007年11月、右足親指爪が巻き爪となって食い込み鈍痛。皮膚科にて検査。


これ以降、一月に2回くらい風邪気味になる。


2008年2月末、首をある方向へ曲げると右腕にしびれ。


2008年3月、右下奥歯の治療。再びホクロが痒く、皮膚科へ。


2008年3月、左下親知らずが疼きだす。


2008年3月、整形外科にて頚椎椎間板ヘルニアの宣告。




・・・


以上のみならず、病気はこの後も次々と私の身体を襲った。


2008年4月、眩暈や息切れ、動悸などのパニック障害に似た症状が現れるようになった。

きっかけは、「イベント出張にひとりで行け」という上司からの無茶な要求から来るプレッシャー。

初めて正面から断ったが、それまでの極度の不安から体調が悪化。


頚椎ヘルニアのリハビリには週3程で通う。


2008年5月3日 休憩前に手が震えてペンが持てなくなり、昼休中は、動悸と呼吸困難から来る死への恐怖に耐え切れず、御茶ノ水駅近くにある診療所に駆け込む。精神科の診療を受けようと思ったが、場所を探せず。結局おさまったが、早退を真剣に考えた。昼飯は結局食べれず。


2008年5月15日 頚椎のMRI検査。小さいながらもヘルニアが確認される。

後日、コルセットも作成。作成時は28500円ほど支払う。2ヵ月後に70%が社会保険事務所より返金される。


2008年5月21日頃、右半身と右腕を中心に痺れと微痛発症。よくみると赤い水泡のような発疹が右前腕~肩~首の後ろにかけて帯状に広がっていた。後日診断の結果「帯状疱疹」と診断される。

頚椎ヘルニア・帯状疱疹・パニック障害(?)から来る原因不明の突然死への恐怖感の、3種の病気と闘う苦しい日々。


2008年6月中旬、帯状疱疹完治。

しかし左手親指爪根元に黄色い膿が発生。原因不明。数日で完治。

首のリハビリ(コルセット・首の牽引・薬物投与)。


2008年7月17日?、神経科と内科を訪れる。

神経科ではレキソタンという抗不安薬を処方される。内科受診は、喉の異物感。血液検査。


2008年7月26日頃~7月29日、目の奥付近から来る頭痛。

眼精疲労?目玉を動かすと目玉の付け根付近が痛む。ついでに頭痛もある。29日午前がピーク。熱もあったかも。友人のバファリンで応急処置。この日はひどい下痢でもあった。市販薬(キューピーコーワゴールド)で治癒?


2008年7月下旬、頚椎ヘルニア完治。リハビリ終了。コルセットは引き続き職場でつける。


2008年8月5日、ゆうえんクリニック内科の血液検査結果確認。ハウスダストとダニ反応以外は異常なし。


2008年7月31日頃~8月14日頃、喉に極度に酷い口内炎発症。

過日の頭痛もあったので最初は夏風邪かと思ったが、鼻水はでないし熱もない。

徐々に痛みが口内炎に似ていることに気づく。8月4日、職場近所の丸山耳鼻咽喉科で口内炎確定。

うがい薬とビタミン系薬剤を処方され使用するが効果なし。

口内炎用市販錠剤をあらかじめ購入していたのを飲みきるが効果なし。  

8月3日~8月11日が痛みのピーク。常に痛く、食事の時間は地獄。睡眠中も喉が乾燥し、痛みで明け方に何度も目が覚める。涎がすべて口外流出し、シーツが毎朝ガビガビになり臭い。

8月6日~8月10日までは朝はウィダーインゼリー・昼はコンビニおにぎり1~2個・夜はコンビニそうめんのみ。

水でも痛いので、ウィダーインゼリーはもっと痛い。そうめんが一番インパクトが少なかった。

8月11日にセカンドオピニオンじゃないが自宅近所の耳鼻科に受診。

ほぼ口内炎確定だが、「ごくまれにこういうカンジの癌があります」といわれショックを受ける。

処方薬は、塗布薬の王道「ケナログ」。

綿棒でも使って無理やりでも幹部に塗る。

結果、1日半で70%治癒。13日にはスパイシーもの以外はだましだまし何でも食べられるようになり、朝・昼・夜・深夜と4食を食べる。

12日までの2週間弱で体重53.5kg→50.9kgにまで痩せた。そうめんとおにぎりだけだとすぐにこうなる。


2008年8月17日、肛門を拭くとまたも鮮血。念のため明日は急遽病院へ行くことにする。






2005年春に、ホクロがかゆくて皮膚科・大学病院と診て貰ったことがあった。

ネットで調べてみたところ、ホクロ癌の症状に似ており、恐怖した。しかし結果は全く問題なかった。


その年の夏には、水虫が悪化。感染経路はほぼ推定できたが、症状もひどくなり非常につらかった。


また、親知らずを抜歯し、2週間食事の時間は地獄を味わった。


2006年冬と秋には、うつ状態がひどくなり、精神科に通ったことがあった。しかしこれもうつ病とは違うようであり、薬を一回だけもらって数回で通院は終わった。


2006年9月、アキレス腱を負傷。


2006年10月、左膝靭帯を負傷。完治まで3ヶ月。


2007年春、大便に鮮血が付いているのを発見し、ネットで調べたら大腸癌・直腸がんの可能性があり、恐怖した。注腸検査まで行ったが癌はみつからず。裂痔ということであった。


2007年7月、海外渡航前にパニック発作が発症。深夜救命救急センターに駆け込んだが営業しておらず、そのとき同時に発作はおさまった。その後、幾度もパニック発作を発症。


2007年8月、両足親指爪を圧迫し内部出血。左足踵に深い切り傷。


2007年10月、原因不明の蕁麻疹が発症。皮膚科に2回通院。


同じく10月、左膝靭帯を負傷。水を抜く。完治まで2週間。


2007年11月、AIDS検査。精神が弱っており、恐怖していたが、結果陰性。


2007年11月、右足親指爪が巻き爪となって食い込み鈍痛。皮膚科にて検査。


これ以降、一月に2回くらい風邪気味になる。


2008年2月末、首をある方向へ曲げると右腕にしびれ。


2008年3月、右下奥歯の治療。再びホクロが痒く、皮膚科へ。


2008年3月、左下親知らずが疼きだす。


2008年3月、整形外科にて頚椎椎間板ヘルニアの宣告。

職場のとある年上の後輩とは、普段は仲が良い間柄だ。

ところが彼とチームワークを行うことに関しては相性がよくないと感じている。


もともとスポーツ音痴なため、基本的に私はチームワークは昔からなんでも苦手なのだが、

自分の思わぬミスをきつく咎められたり、相手が期待するように自分がうまく立ち回れなかったときに、それに対して露骨な反応を示す人間には嫌悪感を感じてしまう。


今日の場合、入り口の狭い通路から荷物をいくつか搬入する際に少しばかり彼との連携プレイになったのだが、彼は私が二つ目の荷物を運び入れようとしたそのときに「入り口のとこに置いてていいですよ」と言った。


そこで私は反射的に、彼が言った内容の真意を間違って理解したらしく、彼の考えている場所とは異なる場所に置いたらしく、

彼「いや、そこじゃなくて」

私「え?」

彼(失望の色・苦笑・嘲笑を含めた表情で)「いや、なんでもないです」

私(その表情をみてとまどい、今の自分の状況をなぜか話してしまう)

「まだ倉庫から運んでこないといけない便があるから」

彼(失笑をうかべてつぶやく)「言ったことが何の意味もなかったな・・・」

私「・・・(何だと??)」


しばらく、その彼の発言に腹が立ってしまい仕事に集中できなくなってしまった。

そして彼のいる場所をしばらくの間なるべく避けるようにしてしまっていた。


考えてみた。

まずなぜ彼は「入り口のところに置いてていいですよ」と言ったのか?


彼は、連携で荷物を運び入れる際、私が運び入れる荷物を中へ入れやすいようにと思い、

彼にとって最も都合のよい場所に、私に荷物を置かせたかった。

しかし、私は「入り口のところに」という言葉を鵜呑みにし、私なりの解釈で「入り口のところに」荷物を置いた結果、彼の失笑を買うことになった。

私が置いた場所は、彼にとっては運び入れにくい場所、つまり「入り口の外側」であった。

複数名で行う流れ作業で、私は非常に効率の悪い場所に置いたのだった。


彼にとっての「入り口のところ」というのは、むしろ建物内にいる彼から見た「入り口のところ」であった。

つまり、「入り口の内側」だったはずだ。


狭い入り口の内側に置くということは、外にいる私からすれば運び入れにくい場所だ。

そのとき、彼は彼にとって都合のよいように私を誘導しようとしたのかと思い、彼のしたたかさを感じたが、普段ここから運び入れる人が連携でこれを行う際、いつもは彼の言う「入り口の内側」に置くという暗黙の了解がおそらくはなりたっており、普段は連携で搬入作業をしておらず要領がわかっていない私がたまたま普段のメンバーと違ったことをしてしまったから、失笑を買ったのかもしれなかった。


この事例に関しては、あらかじめ予防することは私には難しかった。

しかし、原因は私にあった。今度からは「入り口の内側」に置くようにしなければならない。


そして、この反省をいろんなシーンで応用させるためには、

言葉で丁寧に伝達する余裕のないことが多い肉体労働時のチームプレイでは、相手の短い言葉の行間にある真意をすばやく理解し、現場で作業する人達の苛立った雰囲気に臆することなく、冷静かつ正確に行動すること。常に相手やお互いにとって効率のよいやり方を考えて行動すること。作業で定着した暗黙の慣習には敏感になり、とにかく経験を積んでこれを完璧に身に着けておくこと。


・・・とここまでは今後恥をかかないためにと考えた建設的な反省。



以下は抑えがたい感情。


この彼は、年上だが後輩である。

この搬入の件は、客観的にみれば重大なトラブルでも何でもなく、職務遂行上は何も問題のないことにみえる。

しかし、私の心の中は、このとき完全に最悪な感情状態になってしまっていた。

「簡単な搬入なので黙ってやればいいのに、後輩のくせに俺を自分都合に動かそうとしやがった」

「しかも思い通りにならなかったからといってボソっと毒を吐き捨てやがった」

そんな憎しみの感情に苛まれ、以後も仕事でもろくな目にあわず失意の一日を過ごした。


しょうもないことだから気にしなければいいのに、気がつくと頭の中で憎悪の心を何倍にも膨らませてしまう。これは私の悪い癖だ。昔からわかっているのに治らない。


今思えば少年の頃は、ささいなことがきっかけで悪い感情に長時間支配され、

しかもそれを表に出し、そんな自分に何の反省をしようともしなかった。

故意でやってるわけじゃない!わざとじゃない!なのになぜあざ笑われたり、咎められたりしなければならないのか!という被害妄想に支配され、客観的に自分を見る余裕などなかった。


大人になって久しい今現在、あざ笑われたり咎められたりしたら、

やっぱり同じように腹が立つしそのことを引きずるが、言葉や表向きには出さなくなってきたし、表面上は笑って流せるようになってきた。でも悪い感情を吐き出す場所はないため、心の中では爆発寸前の感情を押し殺すことに必死で、辛抱耐え難いぎりぎりの状態となっていることが多い。

それでも、怒りが表情や目付きにだけは表れてしまうことはある。


不本意にも、常識的に考えておかしい行動や発言、または傍からにて失笑してしまうような変な行動や発言をしてしまい、突っ込まれては凹み、怒りの感情に支配されてしまうという私の悪循環は、

いわゆる「いじられキャラ」を確立させてしまっている。


しかし「いじられキャラ」になりたくてなっているわけではない当の本人としては、この状態は非常に不愉快なことであり、本人にしてみれば「いじめ」の標的にされているのではないかと思ってしまうのである。


昔から悩みつづけているがなかなか解決しない自分の不本意な性格のままでやっていたら、

いずれこの彼との仕事上の関係は破綻する。

既に、7名いる同僚の中で1名とは関係が最初から破綻しており、もう1名とは2年前に破綻した。