続城健太郎 OFFICIAL BLOG -335ページ目

HISTORY

中学の頃、初めてカラオケに行ったことがきっかけで歌うことの楽しさに目覚める。
それまで特に勉強やスポーツでズバ抜けたところはなくクラスでも目立たない存在だった健太郎は、水を得た魚のように頻繁にカラオケに通った。

高校に入学し、自然の流れでギターを始めたが、ロックバンド「X JAPAN」との出逢いがきっかけで猛烈にギターの魅力に惹かれていった。
その後、友人のバンドでヴォーカルが足りないという理由から、そのバンドにヴォーカルとして加入し人生初ライブを行う。
この時歌った曲は洋楽のコピーが中心で、当時ギターに燃えていた健太郎は「自分もギタリストとしてライブがしたい」と強く思うようになる。
その半年後、「LUNA SEA」のコピーバンドで念願のギタリストとしての初ライブを行う。
それから数回コピーバンドとしてライブを行ってるうちに「オリジナルがやりたい」と思うようになり、作詞、作曲を自己流で始める。
その後、中々メンバーが集まらずオリジナル曲はあるが、バンドではギタリストとしてコピーバンドをいくつもかけ持つという状況が続いた。

そんな中、小学校の頃からの友人と意気投合し、初のオリジナルバンド「ACID MONSTER」を結成することになる。ギタリストとしてのバンド活動がここから始まる。
初ライブがなんと「お寺」という前代未聞のスタートを切ったが、数回のメンバーチェンジを繰り返し解散。
その後、一回り近く歳が上の人たちとハードロックバンド「ガソリンドランカー」を結成。
全ての曲の作曲を手掛ける。
しかし様々な事情から主だったライブ活動が出来ずに解散。

ずっと「ドラマチックでストーリー性のあるサウンド」をしたいと考えていた健太郎に再び小学校の友人から声がかかる。
ドラマチックな音楽をより生かすためにライブそのものをストーリーにしてしまえばいいという発想から「聖シビリア騎士団」を結成。
ヴォーカル、ギター、ダンサー2名という変わったメンバー構成や、キャラを演じるための独特の衣装、しゃべり口調、他にはない演劇スタイルのライブで話題を呼んだ。
しかし自ら作ったストーリー「第四幕」を越えることが出来ず解散。

その後、メッセージ性を重視したロックバンド「BURST」を結成。
全ての作詞、作曲を手掛ける。
「誰もが口ずさめる歌」をテーマに「オツカレ!」が生まれるが、約2年の活動の後、無期限活動休止に入る。
ほどなく、「クリスタルビッグレコード」末田社長のお誘いでソロシンガー「Daizo」のバックバンドとしてギターを弾く。
この時の出逢いがきっかけでフリーユニット「続城健太郎うぃずDaizo」が生まれる。
同時にいくつかのアーティストのバックバンドでギターを弾き、自身の創作活動にも力を注ぐ。

その後、「たった一度のワンマンライブ」というコンセプトで集まった期間限定バンド「ピンチ!」に参加。
ライブハウス「渋谷GUILTY」にて2年連続でワンマンライブを行い話題となる。
ここでも多くの楽曲を提供する。
「ピンチ!」と並行し、赤坂のライブラウンジで初めて「歌い手」として約1年間仕事をする。
しばらくライブ活動は休止し、ヴォーカリストとしての訓練と創作活動に明け暮れる。

2010年、シンガーソングライター「続城健太郎」として、ショッピングモール「TRESSA YOKOHAMA」や「川崎銀座街バスカーライブ」にてライブ活動を再開。
「国連Youth for Human Rights主催」のチャリティライブイベントにも積極的に参加!
同年8月28日にはソロ名義で初となるシングル「IN MY DREAM」をリリース。
着うたサイト「Syncl」で着うた配信が始まる。
同じタイミングでUSTREAM配信生番組「続城健太郎の打ち上げTALK!」を放送開始!
Twitterとの連携で参加型の番組として始めたが、12月に一時番組を休止する。
10月からは【かわさきFM79.1MHz】でラジオに挑戦!
「続城健太郎と荒木恵の打ち上げTALK!」という番組でパーソナリティを務める。
2011年、「iTunes」で楽曲配信を、そして大手着うたサイト「レコチョク」からは着うたや着うたフルなどの配信を開始。


そして現在…
健太郎は、少年の頃に描いた夢の途中にいる…