☆「完訳 ファーブル昆虫記」、10巻・下を読んだ。
 今年の1月の1巻・上から始まって、10ヶ月かかり、全20冊を読み終えた。
単行本の1冊とは違い、ファーブル先生の気持ちに少し近づけたような気持だ。

今回は、昆虫の話は割愛し、10巻上・下の中から、私の心に留まった文章を下記にご紹介。原文そのままの箇所もあるが、中略や写し間違えた箇所があることを予めお断り。ファーブルの人となりを感じて頂けたら何よりだ。

                 記

・昆虫は、本能においても習性においても、体の構造においても、途方もない多様性を持っていて、われわれに新しい世界を見せてくれる。まるで、別の惑星の住人とでも対話しているかのようである。こうした理由から私は虫というものをこの上ないほど高く評価し、付き合いを日々新たに繰り返して、決して飽きるということがないのである。

・このコバチ(蜂)の名前をコバチ分類の専門家に聞いてみようとは、私は思わなかった。私は、虫に「おまえは何という名前か」と尋ねはしない。「おまえには、何ができるのか」と聞くのである。

・もっとも幸せな民族と言うものは、もっとも大量に大砲を保有している民族のことではなく、平和に働き、豊富に生産することができる民族のことなのだ。

・幼年の折、いつかは登ってみたいと思っていた丘を登り始めた。途中、鳥の巣を見つけた。6個の青い卵があった。手のひらに苔をのせて、その上に一つの卵をのせて、わくわくしながら下っていった。

・虫が食べる、”きのこ”は、食べられるのか? ファーブルの時代には、食べられると思われていたらしい。また、村人は、茹でて水でよく洗えば食べられると思い、実際に食べていたとか。(これらを信じてはいけないと訳者は念を押すように注意している。フグの毒も、煮ても焼いても決して無毒になりませんからね(ラモ)

・アカネの根に含まれるアリザリンという染料を純度の高にものにする開発に成功し、資産家になり、憧れの大学講師も夢ではないと思われたが、アリザリンが、人工的に合成されたというニュースが伝わってきた。すべては終わった。私の夢は完全に崩れ去った。で、今度は何を始めればよいのだろう。梃子(てこ)を変えて、シジフォスの岩をもう一度転がしてみることにしよう。アカネの桶からはできなかった物をインク壜の中から取り出してみようではないか。さあ働こう!(ラボレームス!)

(了)・・・10巻・下 最終行 この時ファーブルは、84才だった。


☆映画は、”ルイスと不思議の時計”を観た。
 魔法使いが出てくる子ども向けの映画だとばかり思っていた。しかし、実際に観てみると、私は、この映画のテーマは、もともとの意味での、”ハロウィン”ではないかと思った。ハロウィンという行事は、悪霊を鎮めるという宗教的な感じの行事のようだ。主人公のルイス(小学生)は、魔法使いのおじさんの家で、山積みされた魔法の掛け方の本を読破し、ついに死者を蘇らせる術、降霊術を実行し、見事に成功。ここから、チビッコ向け、ホラー映画となり、しばらく楽しませてくれた。
 
 しかし、本来のテーマに戻ると、戦場に行った男は、累々たる屍を見た。そして、黒い森に迷い込み生死のはざまを彷徨う。ここで本物の悪霊に出会い、ある儀式をされた。降霊術で蘇ったこの男は、ルイスの住む家に押しかけ、生前にやり残した”時間を元に戻して、地球上から戦争も人間もなくしてしまい、自分だけが生き残ろうとする魔法の時計を動かし始めた。これを、ルイスとおじさんが必死に阻止しようとするのだ。
 魔法使いのマニュアルの序文には、生きてる者を怖がらせたり、驚かせたりして楽しんでも良いが、①死者を蘇らせてはいけない。そして、②歴史の時間を巻き戻してはいけない。と書いてあるのかもしれない。

☆以上、二つのスイッチ(ファーブルと映画)は、各10回押すことが出来たので、ほっとしてます。三つ目のスイッチ=九州ツーリングは、本人、CBともども不調につき、実行できなかったのですが、”しのこした”ことをやらねばと、一歩踏み出したところです。


                  おわり