今回のボランティアで思ったことをいくつか。
1)写真撮影の禁止について
これ本当に難しい問題だと思いますが、
完全禁止にするのはどうかと思った。
ボランティアの役割は、被災地のことを伝えることもあると思う。
そのときに写真がないと、伝えるのは難しい。
一方で、確かにモラルなくあちこちで写真撮影をすると、
一体何しに来たんだとなる。
でも、本当にストイックなボランティアだけだと、
なかなかボランティアを継続することも難しい。
少しは楽しみというか、思い出というか、残したいという気持ちもあるだろう。
被災地以外の人は、震災のことを忘れかけている現実もある。
2)作業について
もっと効率よくできないものかと。
重機でもっと処理してくれればいいのにと。
人間が力仕事する必要性がよくわからなかった。
業者がやればあっという間のように思うが。
でも、なんか理由があるんだろうなあ。
予算が下りてないから?
所詮素人が人力で力作業してもそこまで役に立てない。
ものすごく無力感があった。
一気に重機でやってもらいたいところだ。
でも、少しはきれいになったはず。
3)ボランティアの意味
部屋が片付いていないと、心がすさんでいく。
同じように、街が片付いていないと、心がすさんでいく。
だから、我々の仕事は街をきれいにすることだと思った。
ゴミを拾う。
それが一番役に立てることだと。
街をきれいにする。
きれいになってはじめて、震災の心の傷が癒えはじめるのだろう。
そういう意味では、少しは役に立てたのかと思う。
しかし、がれきの山の処理は進んでいないように見えた。
放射能の問題もあるのだろうか。
がれきの山がなくならないと、街は被災の記憶を引きずる。
早く処理できればと思った。
4)ボランティアへの取り組み
やっぱり被災地をみるとショックだ。
何かできることしないとと思う。
でも所詮素人である。
お金は少しは落とせるかもしれないが、
体はあれでどれだけ役に立ってるのか?と不安に思う。
できることは精いっぱいやろうと。
あと、
とりあえず、自分にできること。
本業の仕事頑張ろう。と思った。
もうじき本格的に被災地にお金が落ちる。
やっぱり政府の力、お金の力は大きい。
急速に復興が進むだろう。
だが、仮設住宅の人はこれからどこに住むのか。
もう津波の被害を受ける可能性のある場所には住めない。
難しい問題が山積みだ。
5)命
がれき撤去も進んできている現状だと、
何千人もが亡くなった場所であることを忘れてしまいそうになる。
しかし、がれき撤去していると、写真が出てきたり、
同じ作業場で骨が出てきて警察が来たり、
3時過ぎで止まった腕時計がでてきたりすると、
ここは人が亡くなった現場なんだと実感する。
ゲームソフトがでてきたりすると、
これで遊んでいた子は無事逃げられたんだろうか?と。
基礎だけのこったこの家に住んでいた家族は、
今どうなっているのだろう?と。
人類全体でみれば、いろんなところで、人が生まれては人が死んでいる。
そういう意味では、命とはそういうものだと割り切ることで、
気持ちに整理をつけようとする。
でも、やはりいたたまれない。
人生先のことはわからない。
でも、今を一所懸命に生きないと、
急に命が途切れた人に失礼な気がした。
今、瞬間、瞬間、
やりたいこと、やろう。
やるべきこと、やろう。

