パソコンを見ると頭痛がした重度のパソコン嫌いなアラサー男が90日間でプロ用ソフトを扱いグラフィックデザイナーになった魔法の方法。

パソコンを見ると頭痛がした重度のパソコン嫌いなアラサー男が90日間でプロ用ソフトを扱いグラフィックデザイナーになった魔法の方法。

夢なし。趣味なし。学歴なしで超絶な人見知りだったアラサー男。普通以下で何もない自分にコンプレックスを感じていた。そんな僕もデザインを学んだ事をきっかけに変わりました。デザインを通して自分自身の表現の仕方を伝授します。

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こんにちは。


猿島ひろゆきと申します。


の度は、僕のブログに訪問して頂き
本当にありがとうございます。


僕のブログでは、
パソコンを見ると頭痛がした重度の
パソコン嫌いなアラサー男が90日間で
プロ用ソフトを扱いグラフィック
デザイナーになった魔法の方法。


を書かせていただいております。


何故、僕がそんなブログを書いている
のか。


少しだけ、自己紹介も兼ねて説明させて
頂きます。


どうか、3分ほど時間をください。


僕は、2014年現在。
28歳のアラサー男です。


これまでの人生と言うのは、人に誇れる
ような生き方を一つもしてきませんで
した。


中学の時から、内気な性格で人と会話する
事が苦手でした。


顔つきも悪く、服にも全く興味ない。


とにかくダサい!の一言。


勉強も、全く出来ない。


成績は冗談抜きでオール2。


美術の授業は、特に嫌いで小学生より劣る
自分の絵を見られるのが嫌で、提出をせず
に『1』を取る事もありました。


好きな事や、得意な事は何もなく、何を
やっても長続きしなくて、習い事も全て
中途半端に終わっておりました。


そのくせ、人一倍プライドが高く自分を
良く見せようとして、周りの友達には
嘘ばかりついていました。


周りの会話でも、自分の知らない話を降ら
れると知ったかぶりをして何でも知ってい
るかのように振る舞っておりました。


そして、嘘がばれて友人をも失う事にも
ビクビクしておりました。


高校生の時。


卒業間際になると進路の事で周りの友達も
ソワソワし始める。


ある友達は
『おれは板前になるは。』


ある友達は
『おれは大工になるは。』


ある友達は
『おれは大学に進学する。』


みんな自分の将来を決めていて、それぞれ
自分の夢や、やりたい事がありました。


『え?何でみんな自分のやりたい事が
あるの。』


いつも、一緒にいた友達。


自分と何も変わらないと思っていた友達。


なんなら『自分の方が優れているんじゃな
いか。』と思っていた友達に夢があった。


急激に距離を感じた瞬間でした。


友達にあって、自分にない物。


それは、『やりたい事でした。』


今まで、自分のやりたい事なんて考えた
事がない。


趣味もないし、得意な事もないし、
そもそも自分にやりたい事なんてあるんだ
ろうか?


高校を選ぶときもそうだった。


ただ、中学を卒業する時がきたから高校を
選んだ。


みんな高校に入るから行った。


自分のレベルで入れる高校。


ただ、それだけの理由で高校を選んだ。


高校でやりたい事など一つもなかった。


ただ、その時が来ただけ。


その時が来たから高校に行った。


周りのみんなも自分と同じだと思って
いた。


でも、高校卒業の時は違った。


みんな、それぞれに『やりたい事』が
あって卒業を迎えようとしていた。


今までの卒業と何かが違っていた。


やりたい事、、。


それが自分にはなかった。


自分だけがやりたい事を見つけられていな
かった。


急に、自分だけが置き去りになった気分。


凄く、孤独な気持ちになりました。


『とりあえず何か決めなきゃ。』


そう思って、卒業の2ヶ月前に決めたのが
介護福祉士の専門学校への進学。


正直に言うと仕事がしたくなかっただけ。


仕事をするという選択から逃げただけ。


何となくで決めた自分の進路。


親には、ありもしない自分の夢をあたかも
本当のように語り数百万という学費を出し
てもらった。


専門時代は、人見知りが加速してクラスに
なじめず昼食の弁当は人目を隠れて
公園で弁当を食べる始末。


1年たっても浮いている存在。


この頃から、パチンコやスロットといった
ギャンブルにハマってしまい、授業を抜け
てはパチンコを打っているどうしようも
ない学生でした。


結果。


ギリギリ、介護福祉士の資格は取れた物の
遊びほうけた2年間でした。


卒業後は東京の中野区にあるデイサービス
で4年間仕事をしました。


仕事をしている時だけは、忘れられた。


仕事をしている時だけは、考えなくて
良かった。


それは、


『自分のやりたい事。』


いつまでも、それが見つからないまま
悶々とした日々が流れていました。


4年間勤めていたデイサービスは、
会社の経営上の理由により事業所の閉鎖が
決まりました。


やりたい事も見つからないし、夢もない。


次の仕事も探さず、しばらくは失業保険を
もらいながら生活をしていました。


気が付けば、ユーチューブとビールを
飲みながら、ダラダラと過ごす毎日を
数か月続けていました。


友達や親には『仕事をしないダメな奴!』
そう思われたくなかったので、
『俺は、俺でうまくやっているから。』と
嘘をついていました。


あまりにその状況が自分の中で惨めになり
『ヤバい。なんとかしなきゃ。』と思い、
初めて自分のやりたい事を真剣に考え始め
ました。


最初に考えたのが、高収入の仕事。


色々と求人の中から年収600万以上の
仕事を探すも、全てと言っていいほど条件
が大卒以上。


専門卒の自分では、年収600万以上の
会社のステージに上がる事すらできない
現実を知り、へこみました。


次に、出来るかなと思ったのがネットを
使った仕事。


アフィリエイトや、転売といった部類の
ネットビジネスというものの存在を初めて
知りました。


ネットを使って仕事をするなら、人見知り
の自分でも出来るかもしれない。


そんな、甘い考えでアフィリエイトや、
転売といったものを調べてみました。


『アフィリエイト=人の商品を売る。』


見ず知らずの人に、商品を売る。


しかも、人の商品を。


調べれば調べる程、自分で出来る気がせず
気が遠くなる思いでした。


そんな、ある日。


有名デザイナーさんが、イーラーニングの
デザイン塾を開始するという情報を得まし
た。


しかも、先生は僕と同じ年。


さっそく、その先生の動画をユーチューブ
で検索しました。


偶然にも、その先生は僕の親戚の人にそっ
くりだったのです。


親戚に似ているという理由と、同じ年と
いう理由から勝手に親近感を抱いていま
した。


その先生のセミナーにも参加しました。


初めて見るリアルなデザイナー。


初めて見るデザインの世界。


『ヤバいマジで、かっこいい。』


衝撃的でした。


この数十年間こんなワクワクした気持ちに
なった事があっただろうか。


今まで感じた事がなかった程の感覚。


だけど、どこか懐かしい感覚。


それは、まだサンタさんを信じていた小学
1年生の時の記憶でした。


ずっと欲しかったゲームボーイ。


段ボールを切り抜いて、ゲームボーイの
絵をかいて遊んでいた程、欲しくて
たまらない物でした。


小学1年生のクリスマスの朝。


目覚めたら、ベランダに箱が置いてあった。


昨日まではなかった箱。


ティッシュケースを2つ並べた程の大きさ
の箱でした。


空けてみると、夢にまでみたゲームボーイ
でした。


泣いて喜びました。


そして、ワクワクが止まりませんでした。


そうです。


僕が、デザインと出会って感じた気持ちは
小学校1年生の時にゲームボーイを手に
した時の気持ちと同じだったのです。


『俺がやりたかったのはこれだったんだ』


それは、嘘偽りなく。何も飾ることない、
正真正銘の自分の中の純粋な気持ちでした


先生との出会い。


そして、デザインとの出会いが僕を変えて
くれました。


毎日が楽しくて、常に前向き。


学ぶ事がこんなに楽しいと思ったことは
初めてでした。


世界に1つしかない、自分だけの名刺も
作れるようになりました。


自分で作った名刺を見てもらい、
『かっこいい名刺ですね。是非、私の
名刺も作ってくれませんか?』


そう言ってもらえる事が嬉しくてたまり
ませんでした。


初めて自分を認めてもらえた気が
しました。


今まで、やりたい事もなく、夢もなく、
人と関わる事も嫌いだった人生が大きく
変わりました。


このブログは、過去の僕のようにやりたい
事が見つからず、自身の持てない自分を
デザインを通して変えて欲しい。


そういう思いでブログを書いています。


ここまでの文章を読んだという事は


あなたは、自分を変えたいと
思っています。


そうであれば


パソコンを見ると頭痛がした重度の
パソコン嫌いなアラサー男が90日間で
プロ用ソフトを扱いグラフィック
デザイナーになった魔法の方法。


を、お読みください。


全力で書きますし、コメントにも全力で
お答えします。


是非、参考にしたいただき
あなたが変われるきっかけになれたら
と思います。


最後までお読みいただき


本当に


本当にありがとうございます。