自分の愛情が今どこにあるか、をいつも考えている。
元気な時は当然のように目の前の相手に愛情を注げる。
その人が疲れてないかとか、その人の話に興味を持って親身に聞けたりとか、その人は今楽しめてるかなとか、間違いなく僕の心は相手の元にある。
もしくは、ひいき目に言ったとしても、相手と僕の真ん中辺りに、ちゃんとある。
それは無理してそうしてる訳ではなく、性格的なものもあるのだろうけれど、結構自然にそうなってる。
でも、疲れてる時や余裕のない時は、それが明らかに変わる。
自分の全ての愛情は自分自身に留まり、身体の外へ出て行かない。目の前の相手の元へも飛んでいかない。
いわゆる、「自分自分状態」である。
そうなると、相手の話もただの話題のきっかけに過ぎなくなり、その話題について自分の事ばかり話し始める。
しかもそういう時の話は大抵が自慢話的なものか、悲劇のヒーロー的な痛い話が多い(気がする)
そういう時の自分はあんまり好きじゃないな。
寒いぜ、オレ、とか思っちゃう。
小っぽけだなー、オレは、って。
どんなに疲れていても、走り出しちゃえば意外に走れちゃうように、
愛情だってまだまだちゃんと残っていて、背筋を伸ばして気合い入れて、心を「エイヤッ!」と相手に向かって投げる事さえ出来れば、いつだって心はその人でいっぱいになれるのに、
なかなかその一歩を動かせない時の方が多い。
余裕のない時や追い詰められてる時ほど、その人の本質が問われるはず。
苦しい時でも、きちんと周りの人を愛せる人間になりたいよ。
…僕は崇めてる神様も居ないし、啓発本とかも読んだ事がないけれど、いつもこんな事ばかり考えてます。
疲れた自分に勝てた日もあれば、見事に負けちゃう日もある。
三歩進んで二歩下がる、正にそんな感じ。
見事に負けた帰り道には、特にそんな事を考えちゃうのです。
…ちなみにこういう話になると、よく「仕方がないよ、人間だもの」って言葉が出たりするけれど「人間だもの」って言葉は、本来出来るはずの事が出来なかった時の言い訳には使いたくはないのだ。
もっと本当にどうしようもない時のためにとっておきたい言葉なのだ。
自分自身になんか、放っておいたって勝手に興味津々になれるのだから、せっかく色んな人と出会える世の中で、出来る限りは、本気でその人に興味を持って、あるだけの愛情をもって、接したいなー。
でもなかなかそう思い通りにいかないから、ちきしょー!って感じで、人生は飽きることなく面白いのだろうなぁ、と思う今日この頃。
長文、失礼しました。
さて、飯でも食うか。