とんとんとんドン

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伝統芸能、和楽器、舞台と農業を勉強する「地力塾」での日々。
毎月20日の23時58分頃更新。

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先日の話。

稽古場の戸がガラッと開くと、

「おつかれさまです…」

と、少しため息の混ざった声で挨拶をし、暗い表情のお師匠さんが現れた。

髪の毛は全体的に乱れていて、所々毛がアンバランスに立っている。

 

「どうしたんですか」と尋ねると、その日の午前中ずっと猟友会の会計の作業をされていたとか。お師匠さんは事務仕事が大の苦手で、その心境が毛先にまではっきりと現れていた。

「流石、こんな時も表現力に満ち溢れているんだなぁ」

と思いながら、クスッと笑ってしまった。


 

今月の一日に、初めての自作の小音舞語りを発表した。

発表と言っても私達弟子二人とお師匠さんの3人で出演し、稽古場で映像を撮る、と言う無観客の取組みだが、作品作りに挑戦する様にと、去年の年末にお師匠さんに頂いた課題だ。出演はもちろん、脚本から演出、衣装や小道具まで、全て自分で準備するのだ。

 

「ぢゃんがらで春を表現したい。」

それだけはわりと早いうちに決まったが、台本は、発表まで1ヶ月を切っても一向に進まなかった。

「これだ!」と思って書き始めても、話が複雑になりすぎたり、方向を見失ったり、何度も何度もストーリーを変えるうちに、

「あ〜あ、表現者になりたい、とか言いながら、私は言いたい事、表現したい事なんか何にも無いんだ…」

と、自分の空っぽさに絶望を感じ始めた。

ようやく最後まで書けた物語は、どうしてもつまらない。ただの出来事の進行を説明している文章で、セリフや場面は愚か、登場人物の心境や悩み、決断など、物語のキモの部分が完全に抜けていた。

 

「自分でもこの話の意味が見えません。これ以上何も思いつきません。」

そんな様な事をお師匠さんに言うと、

「ちゃんと向き合って書き続ければ必ず出てくる。何を言いたいのか登場人物が教えてくれるから。とにかくちゃんと向き合って、書き続けなきゃいけないんだ」と。

 

その時解ったのは、自分でも「頑張って書いてる」と思っていたけれど、実は全く向き合っていなかったと言う事。私は話の筋ばかりをいじくり回しながら、自分の中から「伝えたい事」を掘り出す作業から逃げていたのだ。

 

5日後に迫る締め切りとお師匠さんのアドバイスに背中を押され、その晩、新しい白紙を用意した。ナレーションは厳禁とし、セリフだけで二人の登場人物に会話をさせてみた。

 

すると、それまでなかった様なスムーズな流れで言葉が湧き上がってきた。

書けば書くほど登場人物の考えている事や感じている事、何が悲しくて何に希望を感じるのかが、理解できてきた。

絵でも歌でも物語でも、何か作品を造り出す時は意図しなくても、自分の中にあるストーリーが描かれるのだと思うが、一通り書き終えてから読み返すと、

「こんな事を話したかったんだ…」

と、自分でも第三者として発見している様だった。

 

そこからは物凄い勢いで発表に駆け込み、ハラハラしながらも何とか最後まで通す事ができた。

そして発表後、収録された作品を観てみると…

 

「面白い!」

とは、残念ながら言えないし、自分が表したかった事をちゃんと伝えられたかと言うと、そんな上手くいくわけもない。

改善したい点は山ほどある。

 

でも、今回は観る人には上手く伝わらなったとしても、

少なくとも今まで見てきた事、経験してきた事の中に感じたことや伝えたい事があり、自分の中には景色やストーリー、キャラクターがちゃんと生きている、という事だけは確認できた。


 

次の作品発表は半年後の秋。

その時は、どんな事を話したくなるんだろう。

どうしたらもう少し伝わる様に出せるんだろう。