これは高校生の時の話だ。
当時、着々とハゲになりつつある私が、友達と自転車で下校していた時だった。
すれ違った他校の女子高生二人組に、「きもっ、なにあれ!」そう言われた。
聞き間違えであればよかったが、彼女達の顔が歪んでいたので、間違っていなかったと思う。
気分が悪くなり、すぐに友達と別れた。
友達は何も言わなかったし、僕も何も言わなかった。
別れた後、僕は泣いた。
なんでこんな髪なのか。
いくら何でも早すぎやしないか。
好きでハゲたわけじゃないのに。
手足が不自由。目が見えない。耳が聞こえない。
これらと同等とは勿論言わない。
だが、『髪がない』ことはそれでもきつい。
ひとつちがうことはある。
今の日本に、目が見えない人を笑う人は恐らくいないだろう。
常識があればそうなるだろう。
だが、そのような常識のある人でさえ、身体的特徴を笑うことがある。
それがハゲだ。
何が違うのだろう。
同じじゃないか?
何故、身体的特徴を笑うことを良しとしない道徳を教える先生が、ハゲを笑うのだろう?
何故、それを教わった生徒は疑問に思わないのだろう?
テレビ、その他のメディアでもそうだ。
潜在意識を植え付けている。
ある程度年齢を重ねたハゲならまだいい。
だが、当時の僕は高校生だ。
正直言って、辛い。
辛いなんて生半可な言葉では伝えることが出来ないほどきつい。
安易に、人に悲しい言葉を投げ掛けないで欲しい。
言葉は凶器だ。
時として、ナイフよりも鋭い切れ味となって、人を刺してくる。
それで死ぬ人もいる。
僕は当時死にはしなかったが、大きな深手を受けた。
まさに通り魔だ。
心が弱いと思うのであれば、僕の人生を生きてみればわかる。
これでも強く生きている方だ。
バイト先で、聞こえる声で悪口を言われてもやりきる力がある。
ただ、ひとつ言えることがある。
『若いうちの容姿に対する比重は高い。』
話すことなく、嫌われるなんてざらだ
嫌われるというよりは、避けられるが正しいのかもしれないが。
日常生活は出来るが、日常的な生活は出来ない。
最近、風が強い日が多くて、このようなことを思い出してしまった。
それだけの話だ。