順序よく物事をこなしていくことって

社会人として・・・というか人として大切な事だと思うけど

これが一番苦手

カッコ付けてスケジュール帳に書きこんでみるものの

書いただけで満足してることが多い

パソコンとかiPadとか使って

きっちりスケジュール立ててやればいいんだろうけど

機械を使いこなすことに終始して

当初の目的を忘れてしまう(笑)


ちゃんと予定を立てないとクリア出来ないことが

消化不良を起こすほど出てきたので

頑張ってスケジュールを組んでいきます^^



モテるのはどっち? 「よくしゃべる男性」VS「無口な男性」
たくさんある会話の引き出しを使い、いつも楽しい話で盛り上げてくれる男性って、魅力的ですよね。でも、重..........≪続きを読む≫


おしゃべりな男性と無口な男性という分け方をされたら

オレは絶対おしゃべり男性になるなぁガーン

会話の引き出しは少なくないと思うけど

そんなに話うまくないから、いつも楽しい話で盛り上げることはできないかもしれないあせる

間があくとちょっと不安になるから

みんなといるといろいろな話題を振ってみたり

質問して茶化してみたりしてきたけど

最近は慣れてきたのか、疲れてきたのか(笑)

話してない時間も大切な時間だし

静かな時間にイロイロ考えることも出来る^^

(*-ω-*)んー…

でもオレはしゃべらないと死んじゃいそうになるのでww

楽しくしゃべってたいな(*^_^*)
photo:01



iPhone用にいろいろなイヤホン、ヘッドフォンを使って来たけど
これが一番のお気に入り(⌒▽⌒)

プラグが巻きとり式で、長さの調節ができる

ワイヤレスもいいんだけど、充電させたり、シンクさせたりで
手軽さに欠けるから
最近はもっぱらワイヤード( ´ ▽ ` )ノ

使いやすくて長い時間使えるワイヤレスヘッドフォンがあるとうれしいけど

結構高かったり、デザインが微妙だったりでなかなか手が出ない(´・_・`)

こいつは1300円くらいで買えたので
使い続けて壊れても
どこかでなくしてしまっても
悔しさが小さくてすみそうでいい( ̄▽ ̄)



iPhoneからの投稿
「いい子でいなさい」

そう言われて育った

「いい子」がどういうものかよく分からなくて

1.いやでも言うことを聞く

2.学校の勉強を頑張る

それが「いい子」だと思っていた。


小学校の先生が言った

「何でも積極的に立候補しなさい」

それがいいことだと思って

部活の部長に立候補したり

子ども会の会長に立候補したり

委員長に立候補したりした。


忍耐力があると褒められ

我慢することが美徳だと教えられ

自らを犠牲にすることを課された。


ものごころのつき始めた頃から

「お前は後継ぎだ」

そう言い聞かせられて来たために

幼稚園、小学校と

将来の夢に「後継ぎ」

意味もわからずそう書いてきた。


本に書いてあることや

大人が教えてくれること

そういうコトのすべてを信じていた。


与えられる物に対して受動的で

抵抗することもなく受け入れていた。


そうやっているうちに

自分の頭で考えるということが出来なくなっていた。


いい子を演じてきた

大人にいい子に見てもらえるように

そのために考えることが苦手になって

うまくなったのは嘘を付くこと。


ちょっぴり激しい反抗期が終わった頃

いい子でもないし

学校の成績も悪い

でも考える頭がなかった。

つまり自分で考えていなかった。


何も考えず進学した大学の頃に受けた

友人の厳しい言葉

働き出した頃に掛けられた

先輩のキツイ言葉

それを否定し、見返すために

ない頭を絞って考えるようになった。


猿がやっとヒトに進化したという表現が一番しっくり来るかもしれない。


考えることが出来るようになると

何に対しても疑問が生まれ

否定肯定の両面から捉えるようになり

自分がどれほど頭が悪いのかを知った。


いろんなコトを知るにつけ

自分が信じていたこと

また信じていることにも

相対的な世界があって

何が本当に正しいのかは分からないと思うようになった。


だからこそ

自分の考え方や正しいと思っていることが

間違っていたり、そう言い切れないと思ったら

自分の中も改めるようにしてきた。


そうしながらも反骨精神むき出しだった蒼さを

いい意味で狡賢く立ち回れるようにしてみたりした。


考える

考えるなと言われても考える

考えて考えて考え続けた先に

まだ考えることがある


与えられるだけでなく

無闇に批判するでもなく

考えることをやめることはない。

思うことをやめることはない。


トラウマを抜け出し

まとわりついた垢を拭い去り

その先へ進むために

考えることを続けていこうと思う。
小さいころの楽しいことを思い浮かべようとすると

小さいころの嫌なことが一緒によみがえる

むしろ嫌な事のほうがふと思い出される

楽しいことは意識しないと現れてこない




蒙を啓くというが

盲は開かれないほうがいいこともたくさんある

半端に知るということが一番恐ろしい



恐怖は知っておかなければならないが

知れば知るほど恐怖が増す



見たくないと目をそらさず

深くまで見続けたら

本当に直視できなくなったりする



大学生になったばかりの子によく言う

授業で教えられたくらいの知識で判断をするなと



私は正直、頭の出来はよくない

同級生には腐るほど優秀なヤツがいたりする

頭の回転の早いヤツなんて山ほどいる

そういう奴らへのコンプレックスで

モノの考え方や判断の仕方を学び、工夫してきた



いろいろなことを調べ、見たり聞いたりしてインして

それを自分の言葉としてアウトして

間違ったことを言ってしまったら

一人の時に調べる



そうこうしているうちに

知らなければ楽しかったことや

知らないほうが幸せに暮らせたことも出てくるようになった


人の噂や悪口なんかも

知らなければ、今までのように良い面だけを見るようにできたのに

聞いてもいないのに耳に流れこんでくる



私もそうだが

人は自分の考え方を肯定するための行動をとる

そのためにいらぬ情報を流したり

誰かを攻撃したりするための説を立てる

こちらに正義があると言わんばかりに



私には正義はない

あるのは誰かの喜ぶ顔を見たいという気持ち

出来ない正義よりも

してあげられる人になりたい


誰にでも平等になんて出来ない

平等にすることは内面的な区別を必要とする

不平等でいい



知らなくてもいいことは不平等の方がいいような気もする

知ることで生まれる不平等もある

情報を平等に得たいなんてなぜ言えるのだろうか



以前勤めていた会社は

労働基準法なんてほとんど無視

今で言う『ブラック会社』

忙しい時は毎日のように夜12時まで仕事をしていた

ある時から新人を二人、設計事務を一人、事務員を一人

同時に面倒みるようになって忙しすぎる毎日になった

直属の上司である設計課長は私よりも多忙だった

そのため精神的におかしくなってきたのか

10人程度の事務所内の会話や電話の通話内容を聞き取れるようになってしまい

事務所内の人のつぶやきまで聞き取れるようになってしまった

部長と課長の電話の内容を把握しスケジュールを知らせ

後輩たちや事務員の仕事の段取りをして

作業を一人でさせつつも見守り

圧倒的な情報量を得て膨大な作業量をこなせているつもりになっていた

1日の定時内の労働時間と残業時間数が同じになって来た頃

体調を大きく崩してドロップアウト

しばらくの休養後、転職をしたのだが

本当に怖かったのはここから

転職後の会社では、労働時間数は程々の残業をするくらいでよくなり

情報量も極端に少なくて済んだ

だが、数ヶ月で自律神経がイかれてしまった

神経が研ぎ澄まされたままの状態が続いていたためか

情報量が少なくなったので

感覚が情報を急激に集め始めたのだろう

人のちょっとした表情や場の雰囲気

人の何気ない言葉

取るに足らないミス

そういうものを人の何倍も拾うようになってしまった

感度のよすぎるアンテナを立ててしまったのだろうか

精神バランスを崩してしまったのだ




この私の経験は『分からなくてよかったこと』とは少し話が遠い気もするが

たくさんのことを知るということは

感度のよすぎるアンテナをたてることになる

分からなければその情報を処理する必要がないのに

たくさんの情報が集まってきてしまうのだ



私は頭の出来が悪いために

集めた情報を分析し、判断する能力が不足していたのかもしれない



しかし、知らなければよかったと思うことは多い

分からなければせずに済んだことがたくさんある



知り続けることが悪いわけじゃない

分からなくてよかったことだと

それを切り捨てることさえ出来ればいいのだろう



それでも知ることをやめることができない

知ることで身を守ることも出来るから

知ることで幸せに暮らせるかもしれないから


知ることは諸刃の剣

分からなくてよかったと

目をそらさないようにしよう
まず『自粛』の意味から考えてみたい。

goo辞書調べ
>>自分から進んで、行いや態度を慎むこと

広辞林調べ
>>自分から進んで自分の言動を慎むこと

この意味からすると

自分で考えて

なぜ、何を、いつ(いつからいつまで)、どうやって慎むのか

ということだと思うが

社会の一員として情報を得るためには

他者の意見を聞き、判断することが必要となる



報道などから情報を集めたり

ネットを利用して知人や著名人などのブログやつぶやきから判断したりする


気をつけたいのは

自分としては不本意ながらも

同じ情報を目にする機会が多ければ多いほど

少しずつ、または多大な影響を受けていくのです。


そうこうしているうちに

自分がそれを発信する側になってしまう

発信をしだすと、それを是として推し進めて行くようにもなります

朱に交われば赤くなる


例えば、たまに見かけるのだが

被災地以外の方で

「私たちは食欲を抑えないとね」
とか
「寒くても我慢して」

などと平気で発言をする人がいるが

これは自粛を押し付けている部分であると思う。


ACの宣伝では協力を訴えかけているのであって

『こうしないといけない』とは言っていない。


生存に関してのことは自粛する必要を感じない

情報を収集するためのことには自粛はいらないだろう

何かを守るための行動を自粛する必要はない



自粛すべきは

人を(自分を)傷つけたりする行為

何もかも自粛しなければいけないような雰囲気をつくること


自粛したほうがいいだろうと思われるものは

過度な娯楽

不用意な発言

無駄遣い



でもこれも

それぞれが考え、自ら何を慎むかを選択すればいい

制限の多い生活はこころを病んでしまうことがある

自分の出来ることを選べばいいということだ


カラオケに行きたければ行けばいい

映画を見たければ見ればいい

たらふく食べたければ食べたらいい

それは選択だ


食欲をガマンしろというような発言や

娯楽を不謹慎だという発言は

ご自分でやればいいだけのこと

自分がガマンしているのにお前はガマンしないのか

というような理屈で簡単に発言するのはよくないと思う


自粛は自分が自分で決めて取り組むべきだ

もし人に進める場合も

強制すべきではないと思う

論拠を示し、協力を求めるという姿勢が必要ではないか?


なぜ?なにを?どうやって?いつ?

それは選択すればいいのだ。

あまり自粛を呼びかけると

自分のクビが締められることを忘れないで欲しい。






iPhoneで撮影したムービーだから

画質はヒドイもんだけど

図書館そばにある岡崎公園の桜を見てきたので

酔わないように気をつけて見てください^^

一つ目は5分ぐらいのムービーで

岡崎城の正門(?)の方からです。




二つ目は小川の上にかかる橋を渡り

岡崎公園に入ったところのムービー(約1分半)



桜の花びらが舞っているんだけど

iPhoneのカメラでは追いきれてない・・・www

こう見ると画像が粗い粗い(TдT)


三つ目が一番最初に撮ったもので6分ちょっと

自転車に乗りながら(途中で係のオジサンに注意されて降りてる)

カメラ片手に撮影しているので揺れる揺れる(〃^∇^)o_彡☆ァハハハッ!!

映像見てて酔いそうになるwww

しかし・・・解像度低すぎて桜がよくわからんなぁ(;´Д`)



ってな感じで花見は終わりです。

今日は遅くまで図書館にいたので

夜桜と洒落こもうかと思ったのですが

iPhoneではただの真っ暗なムービー&写メになりそうだったので

行けたら明日・・・

(*-ω-*)んー…

たぶん行かないかな・・・(〃^∇^)o_彡☆ァハハハッ!!
以前は、笑ってさえいれば何でも乗り越えられると思ってた。

嫌なことがあっても、辛くても、泣いたあとでも

笑っていればいいと思っていた。

そんなことをしていたら

裏と表が出来てきて

心が二つに割れてしまった。



今も笑う

前よりも笑っている

強く笑う

それが力になる



芸人じゃないけど

人の笑顔が作れるのなら

いつだって強く笑う

やさしく微笑む

いたずらぽくニヤリ



人の笑顔の源でありたい

そう決意した

薄っぺらい笑いじゃなく

深く強い笑いを

SMAP×SMAPを見ながら書いています。

とても考えさせられます。

その中に

「買いだめをしちゃったから、
そのことを反省して、
自分たちに必要な分だけとって
あとは被災地に送りたいと思います」

と仰っている方がいた。

私自身もなぜか雰囲気に飲まれて

感情的になって

買いだめをしちゃダメだとか

節電をしなくちゃダメだとか

日本人の良い心が失われたとか

そういうことを思い

強く発信してしまった。



3、4日前から自分の考え方が大きく変わってきて

冷静になるといままでの言動がバカみたいに見えた。


ここからは書くことは

誤解や批判を恐れずかきたいと思います。


最初に、私の失敗だったと思う発言だったことから始めたい。

一つは、買いだめをしちゃいけないと言ったことです。

買いだめは必要です。

私自身、平時から買いだめをするタイプなのです。

阪神淡路大震災のあと

小心者の私は、少しずつ少しずつ防災グッズを買い続け

今では大きめのリュックに2つ分くらいの食糧やタオル、濾過器などが入っている。

ライトもソーラー充電タイプのものがいくつかある

充電池もたくさん持っている

飲料水なんて必要以上にたくさん買ってある。

年に10回くらいは地震があった時のためにと

飯ごうやアウトドアグッズを確認する。

もう恥ずかしいくらいビビリだ。

よく言えば、用意周到だ。

自分でよく言ってしまうところがまた恥ずかしいが(笑)


平時の買いだめは大いに結構

そして、被災地以外のところでの買いだめについては

これまでかなり批判的になって発言をしたが

それは撤回します。

地震や原発事故の不安、それにこの先の日本はどうなってしまうのだというばく然とした不安

その解消をするために起こした行動であったり

家族や近しい人たちを守ろうとした行動だったのだと思う。

もちろん自分を守るのも大切だ。

自分を守るのは究極は自分だけだとも思う。



被災地の方には本当に申し訳ない言い方だが

そして物資も届かずに亡くなられた方もいるというのに

本当に申し訳ないことだが

被災地以外の人にとっては

身を守り、力を蓄えることも義務なのだ。

失われた命を無駄にしないように

これから失われてしまうかもしれない方もいるかもしれないが

いま日本は限界まで、いや限界を超えて

被災地の皆さんを助けようとしている。



買いだめをしたことや買い占めをしたことに

憤りを感じているかもしれません。

こんなときに自分のために大きなお金を使っている人に対して

おかしいんじゃないかという思いがあるかもしれません。

それを長い目で見るといいんじゃないでしょうか?

たくさんのお金を使ってくれた人は

経済活動をしたのであり

そのお金は周りまわって被災地にいくのです。

寛容すぎるのか、間違っているのかわかりませんが

自分勝手にいろいろ買い込んだ人も

その経済活動をしてくれたのです。



私は感情に流されるように

稚拙な正義感を振りかざし

デマを信じて流してみたり

根拠のないことを言ってしまったことに

本当に申し訳なさを感じると共に

さまざまな捉え方をする必要があるのだと

たくさんの人の叫びのようなつぶやきや

多くの熱いメッセージや

悲観的な訴え

不安に駆られてこぼれた言葉に

皆さんの心を感じました。


日本人の心も荒んでしまったなとつぶやいたとを

こころの底から恥じたいと思う


行き交う言葉は

誰かを思うあまり発したものだったり

人々を鼓舞するものだったり

不安をぬぐい去るためのものだったり

みんな人間の心だった

メッセージを発しない人は

それがまた大きな愛なのかもしれない


買いだめも買い占めも奨励するわけじゃないが

愛からくる行動は否定し切れないし

その形もありだと思う

もちろん例外はある


でも

日本人はその日本人らしい良い面を失ったわけじゃない

たくさんの人の救出を祈り

被災地の方の無事を祈り

支援できる方法を模索し

声を掛け合い

現場で動く人たちを応援し、讃え、ねぎらう

日本人の心はここに来て

より美しく

より輝きを増したのだと思う

もし、周りにワガママで独善的な事をしている人がいても

見守り、叱り、励まし、共に立つための手を差し伸べることのできる人が多くいる

私が感情的になって起こした行動も

しっかり嗜めてくれた



いろんな意見があって当たり前だ

人それぞれ考え方や捉え方も違う

学んだことも違う

育ち方も違う

否定し合うのではなく

意見をぶつけ合う相手だと思って

そしてぶつけた後に残るのは

いままでよりも一歩進んだものかもしれない。

また先に立つものは

後ろからくるものの進むべき道を指し示すことも必要だ。

わたしたちはインターネットを手にして

いままでよりも深い関わりを持てる世界に来た

お互いにリードし合い、学び合い、愛し合う方法を追求している最中だと思う

そしてより進んだ形を作り上げていくのだと思う



誤解を恐れず言わせていただけば

大きな意味で天罰なのかもしれない

石原知事は出すタイミングが早かったのかもしれないが

この言葉の指し示すところは

被災した人たちに向けられたものではないことはもうお分かりだろう

わたしたち人類すべてに向けての天罰であり

そして大いなる学びの場であるのだと思う

このようなことを書くと被災された方達には申し訳なく思いますが

私たちみんなが乗り越えるべき大きな壁なのだと思います。



小学校のときの校長が卒業生にむけて書いてくれた色紙を思い出します

「我以外、みな我が師なり」

自分の師たり得るものは、自分以外のすべてである

それは自然もそうだし、災害もそう

人の心を大切にして

より高度な

より進んだ社会を作り上げていくための

大きな先生であるのではないでしょうか?

悲しいことや、嫌なこと、絶望したこと

嬉しいことや、笑いあえたことや、励ましあったこと

そのことを胸に

わたしたちは行きつ戻りつ

前向いたり後ろ向いたり

それでも前に進んでいくのでしょう



これだけ熱い思いを持った人たちの多い日本は

とてもステキなところだと気づかされました。

いままだ救援活動されている方達や、原発の処理に当たる方たち、

また支援物資を運ぶ方達

ニュースなどで情報を発信してくれる人達

多くの方が身を削って頑張ってくれています

そこに私たちの祈りを集め

心を寄せて

力を尽くしていきましょう。



まだまとまりを持たない気持ちですが

生のまま書いてみました。

よろしければご批判をいただければと思います。

まだ及んでいない気がします。

よろしくお願いします。



長々と駄文を読んで下さりありがとうございました。

今回の災害における一連の騒動で

私自身反省し、見直すべき部分が多いと思い

独善に陥りがちな私地震の考え方を変えようと

マイ・パラダイムシフトが自発的かつ強制的に行われています。

簡単にいえば、見方や考え方、捉え方の根本を組み直すような感じでしょうか。



私は若い頃は激しやすく

考えるよりもまず行動・・・

いや、よく言いすぎか

言葉よりも先に手が出るというのが常でした。


その根本的なものはなかなかおさまらずにいましたが

小さい頃はおとなしくやさしい子だと言われていたので

年を経て、自分を出せるようになると

本来の好戦的ではない自分に帰りつつありました。


しかし、一旦身についてしまったものは

なかなかすべてを拭い去ることが難しく

どうしても感情先行型の表現をすることが多いのです。


はずかしながら

今回twitterやブログやなうなどで

よく考えもせず、感情に流されたため

デマ情報や、いらぬことを流してしまいました。


本来は情報の出どころがつかめないと

怖くて人に紹介できないし

裏付けがないと簡単には口に出せない方でした。


今回のような受け止めきれないような惨事に

ある意味、第三者的に接していたつもりが

判断力と思考能力を欠如したままの状態が続きました。


そのため非常なご迷惑をかけたことは

本当に申し訳ないことと痛感しているところです。


そんな中、自分の書いたものを

反省の意味も込めて読んでいく中で

パラダイムシフト(内部的変革)が起きたのです。


その一端が前回の記事なのです。
参考:「名もない勇者達

それまでの記事と大して変わっていないと言われればそれまでですが

いろいろなことに様々な面があることを認識しながら書いたつもりです。

同じ事柄でもたくさんの受け取り方があるということを忘れないように

そして、判断するときには冷えた頭で

どんなにつらいことがあっても

冷静に考えることができるようになりたいという決意で

まだ中途半端ですが、表現してみました。


本来自分の中に持っているものが

割とどろどろした物であることもあって

まだ味噌臭い感じがするかもしれませんが

もっと突っ込んだ形のものを

冷静に書いていきたいと思います。


その他では

どうでもいい、他愛ないことを書き綴ります(笑)

ちゃんとしたことを書くときには

しっかり頭冷やして出直すくらいの気持ちで

書いていきます。


懲りずに読んでくださっている方たちも

初めて読んでくださった方たちも

駄文満載ですが、また読んでやってください。

これからもよろしくお願いします。





でおん