それでいいさ。
憎みたくない。
と思っても自分にとって嫌な事を言われたら腹も立つし、かっかするさ。
でもキレなかったよ。
笑ってごまかすしかなかった自分にかっか来たけど、キレなかっただけましかな。
それに嫌だなって気持ちを直ぐに、ちょこっとだけだけど感じれるようになった。
(以前は真っ白になっちゃう感じ)
あー嫌だな-と感じながら流しました。やった。
少しだけ進歩。
それでいいさ。
憎みたくない。
と思っても自分にとって嫌な事を言われたら腹も立つし、かっかするさ。
でもキレなかったよ。
笑ってごまかすしかなかった自分にかっか来たけど、キレなかっただけましかな。
それに嫌だなって気持ちを直ぐに、ちょこっとだけだけど感じれるようになった。
(以前は真っ白になっちゃう感じ)
あー嫌だな-と感じながら流しました。やった。
少しだけ進歩。
そうしたら、出てきた言葉は。
もう誰も責めたくない。
でした。
家族も、自分も。これまですれ違っていった人たち。
ぜんぶぜんぶ。
もう責めるのはたくさん。
まかせなさい。
とか言っておいて、大切な試験前日にカウンセリング忘れてて、めちゃくちゃにしたあのカウンセラーも。
正直うらんだよ。プロの癖にってあきれてものが言えなかった。
本人からも謝罪が何度かきたけど、すっきりしない。
でも責めてもね、すっきりしないのわかっちゃった。
それは終わりの無いスパイラルなんだ。
たくさんムカついて、文章にして、もんどりうって、問いかけ続けた末、寧ろ今は囚われたくないって思うよ。
そのひとを責めても責めても、きっと満足することはない。
望む言葉と心は返ってることは無いのだから。
ひとが反省する時、それは内観して受け止めた時だから。
外からの声ではなくて内からの声に耳を傾けたときだから。
(それが外からの声がきっかけだとしても)
思い知らしめたいとか。
そういう片思いはもういらない。
ぽいぽいのぽーい!
あっちこっちで喧々囂々。
ちょっと前々までは、どっちが正しいのかな?
と考えてたけれど、ふと、どっちも間違いではないのかな、と思えてきた。
どちらもそのひとが生きてきて感じて導き出したものだ。
正解ではない。でも間違いでもない。
いまはそう思う。