デンタアプローチの開発経緯を半生を振り返りながら記録していきます!
その頃義理の両親は当時うどん屋の一軒おいて隣に住んでおりましたが、
自身が商売をやっていたこともあり、私の事を気にかけてくれることはなく、
それどころか毎日うちにやってきては「なんかごはん作ってくれへん?」
と私がトイレで吐いてる後ろに立って言ってくるのでした。
つわりは結局産むまで続き、ようやく出産を終えて家に帰ると家の中が宴会の後のようにぐちゃぐちゃになっていたのです。
これは一体どういう状態だろう?私が首をかしげて立っていたところ
お義母さんがやってきて退院して一言目に言った言葉は
「昨日あんたの出産祝いしとったんや片付けといて」でした。
片付けをしながらこれから育児とお店を果たしてやっていけるのだろうかとても不安になりました。
でも義理のお母さんのお母さん主人にとってのおばあちゃんにあたる人が本当に家事育児に協力的で、
息子が産まれてから家事のほとんどをおばあちゃんがこなしてくれました。
おばあちゃんの口癖が「私がわがままに育てたばっかりにごめんな」とお義母さんが遊びに行ったり、
私に何かキツイことを言ってくると必ずこう言って励ましてくれるのでした。
おばあちゃんの協力もあり長男もすくすく育ちお店も日に日に忙しくなってきたころ、長女を妊娠しました。
ちょうどその頃、おばあちゃんが脳出血で倒れ寝たきり状態となってしまったのです。
それからは家事を手伝ってくれる人はなく、主人は当時忙しくなってきていたお店に手がいっぱい。
私も一日中子供をおんぶしながら店をし、おばあちゃんの洗濯物を病院に届け、
娘は夜泣きが酷かったせいで一睡もできずそのまま仕事という日も少なくありませんでした。
そんな生活が数年間続き、おばあちゃんはそのまま回復することなく亡くなってしまいました。
そしてついに私も倒れてしまったのです。原因は過労による肝炎でした。
病室にお見舞いに来たお義母さんが私に言いました。
「体の弱い嫁はいらんかったのに」そういって帰ってしまったのです。