先般知り合いから「ある日見た動画でスピリでは”感謝は必ず必須ではない”と言うのを見た」というのでそこで意見を交わしましたが、どうも世の中には定説を返したいのか「逆説を好む人」がいますね。

 

自分は批判するつもりはないですが、じゃあどっち派なんだ?と言われたら「肯定派」です。何でかと言うと過去に経験した苦難を超えてきた際に得たのが「反省と感謝」でしたのでその影響というのもあるんで、自然と肯定になった感じです。

 

これがもし、自分が感謝をしても報われないなら、きっと「否定派」になっていたでしょうね。だから自分的に言えば「どっちもどっちで利点はあるし、その人が良ければ「それでいいじゃない」と言う感じですね。

 

おお、今書きながら背後がアドバイスを。

 

比率もあるんじゃね?と言ってきた。なるほど。自分の場合は概ね「肯定」だが、「否定も混じっているよ」と背後。

 

考えてみたらそうですね。まずは反省と感謝をして乗り越えてきた。それは事実です。ですが、それをやってある程度まで良くはなったが、行き詰まったこともあった。いつもの「反省と感謝」をやるのだが、うまく行かない。また、結果が出ない。

 

無い頭で考えて考えて挑むがダメ。その際に来たのが「否定方法」ですね。いわゆる「逆切れ」です。

 

この辺りは過去の散々話しているので詳細は省きますが、まあキレたわけですよ。そうしたら「うまく行った」思わず自分で「あれれ?」と思って苦笑いしたものです。ああ、時には正攻法でもダメな場合は、キレるのもありか、と。

 

これが実は「感謝だけではダメ」という人の意見であり考えです。比率で言えば自分では「感謝が90%、キレるのが10%」ていう感じですかね? 時には比率が変わる事項もあるでしょうが、キレるのはあくまで最終手段ですよ。いつも出さない。ただ、キレやすくなる傾向は自分にはあるんで、キレた後は直すのが大変ですが。

 

なので、普段は感謝の自分でも「感謝無し」の時もあるという事ですね。そこを「勘違いしてはいけない」です。

 

例えば悪い奴らに絡まれた、なんて時にあまりへりくだると相手の良いようにされる場合があります。そういう時は加減も必要ですが「怒るぐらいも必要」です。ヘラヘラしてたら、ダメです。

 

ただ逆もまたしかりで、良い事があっても感謝ができないようではこれは本末転倒です。あまりにも怒りや憎しみが強くなりすぎて「バカヤロー」はある種のエネルギーになりますが、そればかりだと負のエネルギーを纏ってしまう。

 

特に自分の場合は若い頃と違ってエネルギーが大分下がってきていますので、怒りを活動エネルギーにしないと動けない時もあるんです。そういう場合が以前も説明しましたが「アントニオ猪木さん」の活用ですね。理不尽さや不幸に負けてたまるか。そういう意思と力を生むには若い頃は怒りよりも「我慢的姿勢」がまだ通じた。

 

だが、元々自分は我慢が苦手なのと、運が悪いのはしょうがないよと、どこか諦めモードがあった。そしてそれで良い事なんかあるはずがない。だから過去は泣きながら生きていた時期がある程度あったもんです。

 

ですが、その時期があまりにも長いとね、今度は切れますって。そこで「バカヤロー」とやりだしたら、爽快でね。

あ、これも悪くないなと味を占めたわけではないが、たまにはいいかと。そしてそれを何度か人生上でやったことはあります。

 

そして猪木さんを見ていると判りますが、いつもキレているわけではない。穏やかで優しい面もあります。ただ、非常識な面もあるので、側近の方々は大変だったでしょうけどね。

 

だから猪木さんが燃えるというか怒る時は「馬鹿な事を言う人の前」だったり、試合時だったり、元気がなくて泣き言を言っている人などの前とかだけです。いつも怒っているわけではない。

 

自分もそうでして、平時はアホだったりバカやっていますよ。本当にダメだなあと。特に妻は自分と長く一緒ですから、ほぼ毎日「呆れられている」それこそ必殺仕事人の「中村主水」みたいな感じと思えばいい。そして自分は「昼行燈」だとも思っている。

 

自分的には「リラックマ」が好きなんですよ。あの「だらーん」としたのが良くて。まるで自分をみているようでね。

ほっこり、ゆったり、まったり、だららん、とね。平和が一番。そんな感じですよ。デフォルトはね。

 

だけどやる時は「元気ですかー」の如く動く時もある。そう言う感じかな。だから否定はしないです。時には「怒り」も悪くはない。ただ、そればっかりとか負になるなら「考えないといけないでしょう」と言うだけ。

 

だから動画でも本でも「その人が何を言っているかをちゃんと理解できる」ことが重要かなと思いますね。

 

以上、感謝アリが良いか、ナシが良いか、で話した内容に触れての解説でした。それでは。

 

 

 

 

今回の話は2つありますので、2種類話したいと思います。

 

1つ目は、先般ある動画で「今後の未来を考える」についてある政治団体に関わっている有名な方へのライブ動画なんですが、それを見たんです。結構長く2時間ものでしたが倍速などしてみました。その際にある年配者の方の発言時に、年配者の発言へ向けたある方のコメントを見ながら動画を見てましたら、こう言うのが。

 

「若者に期待する」と言う事を年配者の方が言ってたのですが、それに対し「世の中をこんなに悪くしたのは貴方達世代ではないか」と言うような内容を言っていました。補足説明をすると「これからの未来は若者が作ってゆくわけだから、若者がもっと意識を持って世の中を変えようとしてゆく動きが出ないとダメだ」ということを言われたんです。それに対してある方。つまりその年配者よりは若い方でしょう。その方が「若者がどうの、というよりもここまで世の中を悪くしてきたのは貴方達じゃないか。それを若者を集まれ、とか若者が気づき今後の未来や社会を変えるというのはどうか」と言う意見だったわけです。

 

なるほど。両者の意見は判りますね。年配者は今の世界や世の中を見て、未来に期待を持てないさまを嘆いていて、ただそれだけでは世は変わらないから、まずは年配者である自分たちが老体に鞭打って動くし知恵と経験があるからそれを伝えたいし、自分らも若い人の考えや他の方の意見も取り入れ、共に未来を築こうじゃないか。そのように言われている。素晴らしい姿勢と考えです。

 

一方、反対意見を言っている人は「歴史的経過」や「経緯」を見て「意見している」面もあるわけです。そういう考えや意見があるのに「若者よ集え」とは何事かと。若者に負荷をかけてどうするのか。また期待を寄せてどうするのか。貴方達が体たらくだったから、このように世の中が悪くなってしまったじゃないか。その責任も果たさないで、且つ今まで時間もあったのに何でもっと努力して世の中を良い方向に持って行かなかったのか。それではあまりにも無責任ではないか。確かにその意味は分かります。

 

ですが、そこは突っ込むところではないでしょうよ、と自分は思う。ツッコミどころが違うし観点も悪い。

 

言っていることは確かにそういう面はあります。それを無視してその年配者の意見だけを聞け、などとは自分は言いません。だが、問題なのは「年配者の言っている中身と姿勢」そこですよ。そこをどうするか。どうやるべきかを論じないと「ただの批判とあげ足取りで終わるだけ」です。

 

じゃあ、言いますがその反対意見を言った人は何か策があるのでしょうか?又は「自分ならこうする」とか案があって言っているのでしょうか?もしかしてですが、まさか「論破したくて相手だけを責めているのではないのでしょうね?」と言いたいです。

 

いいですか。その年配者は端折っていますが過去の自分たちの努力の不足・不十分だったことは「十分わかっているし認識もしています」だからこそ「老体に鞭打って動き・意見をしている」のでしょう。また実際に集まりを作って同じ考えがある方と一緒に行動をしている。その一辺を取りあげて「批判だけするのはさてどうか」と思います。

 

また話を良く聞けば判ってきます。決してその年配者は「若者に何でもやらせて自分らは楽をする」なんて微塵も言ってません。むしろ責任や自分たちが至らなかったからこそこうやって今世の中が悪くなったので、その贖罪というか、罪を感じて「老人でも立つぞ」といって頑張って行動を起こしているわけです。

 

実際その集まった仲間同士でも「必ず意見が合っている」とは限りません。その動画を見て自分も判りましたよ。それこそどこかの宗教のように「皆中心人物と同じ考え」そして皆全員「100%同じだ」なんてのはない。でも、それでいいと。何故なら「根底が同じ考えであればそれでいい」と言うのがあるからです。個人個人の考えは多少異があっても「構わない」そういう集まりです。これは良いなと思いますね。

 

そしてその中の一人が言っていましたが、こうやって仲間同士でも意見が合うものがあれば、違うこともある。だから、何でもかんでも「一緒の考えが正しい」とか「そうなるべき」ではなくて、人の意見を聞きながら「自分の考えも持つ」自分で考えることが大事なんだ、と言ってましたが、その通りです。

 

普通は集団となれば必ず問題が起きます。だから今言ったような「個としての自分」を持つと逆に集団としては「まずい」んですよ。何故かと言うとそれが「解体」「破綻」「分裂」「消滅」の原因になるからです。だからこそ昔は良く「皆が同意すること」を求められた。

 

だが今は時代も代わり、核(芯)さえあれば、意見は意見として認められる時代になった。これはある種「革命」だと思っています。昔はこう言うのは「タブー」でしたからね。

 

そしてその年配者が言ったのは、端的に見れば「若い人は寿命が長い」わけです。これからの未来はどうしても寿命上「若者らが構成するもの」です。いくら頑張ったところで年配者は「先に死ぬ」のが常です。

 

ただ、そうなると年配者の動ける範囲は少ない。だから年配者は若者へ情報を伝える義務がある。そして意味も。若者は情報や経験が少ない。だが、寿命とパワーがある。今の時代の若者は頭は良いし、勉強もできるが「意志の強さや粘りがない」点です。どこかふにゃふにゃしている。または変な方法へ逸れたり、無関心になりやすい。

 

そういうままでは世の中を変えるなど「できない」といっているわけです。だから、昔ながらの日本人としてのプライドと沢山の経験をしてきた人の知恵と、若者が今失っているものが「昔の人は持っている」わけです。それらを継承して後につなぐ事が「大事なの」です。そのための集まりであり、そのための集団的組織なのですね。

 

そこを批判だけしているから私は「言っていることは判るしその通りだが、じゃあその後は貴方の意見や考えは何だ」と言いたい。実際自分が見た動画は「録画されたやつ」だったんで意見できなかったが、もしもリアルで参加してたら、自分は直接言ってますよその方にね。

 

確かにその人の言う通り、自分たちや自分以前より生きている方々。いわゆる年配者ですね。この方たちが放置したわけではないが、ちゃんとやれてたら世の中は「こうも悪くなってなかった」のは事実です。そこは弁解のしようがない。

 

だけど、じゃあそれをやれなかったから「何も言うな」又は「若者よ集え」というのが「そんなに気に食わないのか」です。

余りにも浅い考えでこっちの方ががっくり来ます。じゃあ、自分ら年配者が責任とって後処理やるんで、若者よ見ててくださいとか、これから動いて責任とるんで許してください、と言えば気が済むのか?

 

最近の若い人のダメな点がかなり浮き出ていますね。こういう事ばかり覚えてきたんで、それしか能がない。そういう事を言っても良いが、その代わり「自分の意見」がないとダメです。今時の人はこの批判することを「自分の意見だ」と勘違いしている。この時点でもアウトです。意見と批判を混同している。その差も違いも「分からないで生きている」のが問題だと気がついてないのです。TVなどでのコメンテーターも同様で、話にならない人が多すぎる。だから国民も「皆それを真似る」のです。

 

だから批判しても良いが、自分はこう言う考えです。この方が良いと思います、と言えば相手も考えて良ければきっとまともな人であれば「反対意見の人を認める」でしょう。意見と言うのはそういうものです。

 

そして自分も「その年配者が言っている中」で「間違っているな」と言う点がありました。少ないですがありました。特に歴史的ないち部分と仏教の面で「ああ、間違った歴史解釈を信じているな」とすぐわかった。このまま行くと必ずどこかで頓挫します。又は理論破綻します。そこをこの年配者は判ってないんです。その最たるものが「法華経が仏教の最高の経典」と言っていますからね。ああ、墓穴掘っているなとすぐわかった。

 

良い事は言うんですよ。でも、嘘の歴史や真実を知らないとどこかで躓く。この方はそれを知らないんでしょうね。経験してない。自分はそれを経験したんでまるで「浮き出る汚れのように見える」洗濯をすれば汚れが洗剤で分解され浮き出るでしょう?あのような感じです。そしてかつての過去の自分も「それをした」んですよ。だからわかる。

 

これも録画ですから言えないんでブログだから言いましたが、そういうことです。そして意見するときは「あなたのここ間違ってますよ」と言わないで疑問点を優しく問う。そうすると必ずどこかで「気づきます」そうするとそこから真実を伝えれば相手も間違いを認めるんです。これが建設的な言い方と接し方です。批判をした人はこれも無かったよね。

 

だから物事と言うのは深いし、話し合うというのは大事なんですよ。気づきを得れますからね。それが大事なんです。だから何もどのように話すか。また内容はどうか。そこをちゃんとしないと「喧嘩や物別れ」で終わるのが常です。

 

さて、もう1つは「歴史的真実を知る事」です。先ほど言った「正しい仏教の歴史や内容」を知らない人が多いのと同じく、世界の歴史も「嘘を教えられているという事実」です。その年配者が動画の中で言っていた事項の1つですが、この事は結構重要で、それこそ「参政党」もここを良く言います。

 

何でかと言うと嘘を教えられていたら、将来や未来も狂います。だから当然道が逸れるのは「当たり前」です。

 

先にも言いましたが批判者が「世の中が悪くなったのはあんたら年配者のせいだ」と言いましたが、ここです。ここが重要。つまり、間違った歴史を教えられているから、間違いに気づかない。また本当の事項を知られたら悪党の仕組みがバレるんで、困るわけです。だから「嘘をつく」わけです。そして騙されている自分らは「悪党のいいようにやられる」わけです。

 

本当は説明する事項は一杯あるんですが、何カ月も話さないといけないのでやりませんが、批判者の言った事項に沿って説明すれば理解が早い。

 

世の中が悪くなったのは年配者のせいだと言っていますが、これは歴史を知らないから言った間違いの理論です。

 

いいですか?歴史を見れば、日本が何で世界大戦に入ったか・参加したか、です。そこも学校や世間で習う歴史では「こういう理由だ」と説明されますが、それがまさかの「嘘」だったらどうか?

 

正しい事を知れば、なぜ日本が戦争に参加したか。また世界で何で戦争が起きたか。そういう広範囲の事項が理由や仕組みが「わかってくるのです」そうしたら、その批判者が「世の中が悪くなったのは年配者のせい」は違っていて、実は「悪の組織(悪党)のプランに世界中の人が沿わされたから」だというのが判ったらどうか?

 

そう。年配者が悪いのでもなく、実は悪いのは「悪党らだった」ということです。しかも、これはかなり長い歴史の中でやられているので、つい2000年前とかでは済まない。最低でも25万年前まで遡らないといけなくなる。

 

何でこう言う事を言うかというとそれは「スピリ」で知ったからです。かなり長い年月物はスピリ系でないと知れません。まあ、そんな長いものはあれだとしても、せめて地球上での歴史である2000年前辺りからでも正しい歴史を知れば、まるで生き方や考え方が変わる程「嘘を教えられている」のに気づく。しかも全地球上の人類の大半が、です。

 

だから正しい歴史を知る人は「地球上でも僅かな人」だけなのですよ。ここが自分が言う「嘘を教えられれば未来まで狂う」というのがそこです。

 

そしてあまりにも歴史は長く広大なので、参政党も動画の中で言っていた年配者も方も言ってたのが「せめて江戸時代辺り」つまり「明治維新の前辺り」までと言うのが良く言われますね。そしてそこも符合している。

 

ちなみにその年配者の方は「参政党の関係者」ではありませんので、ご了承を。

 

そして自分が先ほど言った「今どきの若い人はふにゃふにゃで」というのは、これも見えてきます。実は悪党らは「日本人を抹殺か日本人全員を奴隷化して征服したいのです」だからその一環として弱体化させ無力化させて、それから支配する計画を行われているからです。だから、今時の人の大半は「弱体化」され、若い人だけでなく中年も老人も「弱体」子供は出生率が下がり、新生児は減っている一方。段々と弱くなっているのです。

 

そして病気も多い事。特にガンで亡くなる人が世界一です。そしてワク〇ンのせいで「急死・突然死」する人が増加の傾向です。

 

だから正しい歴史を教えられないだけに留まらず、実際的に「日本を乗っ取ろうとしている」から、日本は体たらくにならざるを得ないし、おかしくなっているわけです。また世界中で今色々起きているのも「世界を征服従っている輩の企み」で動いているからです。そしてこれは25万年前から「やられている」のです。

 

だから動画の中で年配者が「歴史を学べ。知るんだ」と言ったのがそこです。だから、自分のように「にわか知識」でもある程度分かれば「ああ、この人何を言っているか」とか「良いか悪いかぐらい」は判ってくるものです、そして滅多やたらに「批判などできなくなる」ものです。

 

だから参政党を自分が好きなのは、神谷さんが「正しい歴史を知らないと騙されて馬鹿を見ますよ」という点です。自分らは利権や勢力を持つ「悪党ら」に騙されて生きている面が大きい。だから、イランの事でも「どれがウソか本当か判らない状態」にされています。これが悪党の「やりかた」です。

 

だから悪党は自分らが「賢いとダメ」なんですよ。いつまでも家畜のように大人しく言うことを聞く存在でないとダメなんですよ。それこそ例えですが、家畜がもし「人間のような知能を持ったらどうか?」です。

 

それは牛でも馬でも羊でも豚でも鶏でもいいです。もし知能を持ったら「人間のいうことを聞きません」

そして実際的に人間を攻撃して逆らうとかをして人間を懲らしめるでしょう。

 

例として牛などをみると判りますが、大人しく言うことを聞くから「成立する」のです。これがもし、人間の言うことを聞いたら「殺される」と判ったらどうします?人間を攻撃して「自由をよこせ」とやるでしょう?

 

そして集団で襲い掛かったら人間も最初のうちは良いけど、途中で降参するはずです。多勢に無勢で、人間がギブアップするしかない。そうなります。

 

別な例で示しましょう。外国のどこかですが、ある道路に羊が沢山横断していたやつです。

 

車が道路を走っていたら羊がやってきた。しかも集団です。最初は数が少なかったが、まさか車と人間を「優先させろ」とは出来ないので、停車して羊が過ぎるのを待っていて、という動画か何かだったです。

 

ですが、これがもし羊が車に対し「どけどけ」とやったらどうなるか? そう。車はボコボコにされ、乗っている人も危ない。だから自分が言うのはそこですね。羊は本来は大人しく人間の言う事を聞くのが普通です。また実際羊追いを犬も参加させて「羊舎」に収めるために、人間と犬との共同作戦で、牧草地から羊舎へ移動と言うのをやるのも見たことがあります。普通はそういうものです。

 

これが人間に対して攻撃してこないから良いものの、もしも攻撃されたらひとたまりもありませんし、制御できません。

これが悪党が人間を操作することの流れと同じです。人間が羊で悪党が「人間」と言うだけです。

 

だから自分らは悪党からすれば「家畜同然」なんですよ。でも、動物は字も読めないし集団で立ち上がろうとしません。だからまだいい。これが人間が「馬鹿にするな」とか「黙っていればいい気になりやがって」と悪党に逆らったらどうか?

 

そう。悪党は降参しますよね。それを今後自分らは「やろう」と言っていることなのです。年配者が正しい知識や歴史をと言うものを学んで自分たちが本当の自由を得るために立ち上がるんだ」と言ったのはそこで、それを自分が言ったのが「核(芯)」と言う事だったのです。

 

長くなってしまいましたが、自分たちはもう悪の支配から「抜け出す」または「抗う必要」があるんです。日本の政治もそうです。今の政治家の大半は「悪党の側」の存在です。片棒と言ってもいい。だからこうも日本は疲弊しておかしくなっている。そこに気づき皆が決起して悪と戦わないと「良い政治はできない」のです。苦しみから脱出できないのです。

 

なのでそうことを知らないで批判した方は批判しましたが、これで「お門違いだ」と自分が言ったのが良くわかりますね?

なので、皆自分たちが「何をしてどうすべきか」を考え判断して正しく進む・行動する。これが世の中を変える方法なのです。

 

ぜひ、自分も老体に鞭打って頑張りたいと思います。それでは。

昨日夕方、小の方でトイレに入った際、いきなり「来た」

 

それは強くなく、かつ気持ち悪いものでもなく、極自然に湧き上がってきた伝達でしたね。

と言うか、「人生初なんですが」

 

それは「今後”良し”で行きなさい」という内容の意思伝達でした。

 

最初は「何で今時?この場所で?」と思ったんですが、排尿の際だと「素」になりやすいんでしょうね、恐らく。

 

それこそ自分の部屋で居る際などに来るものだとか、そういうこともあったんですが、まさかの「トイレ」とはね。

場所が場所なだけにさすがに「邪霊じゃないの?」と疑った。

 

だけど、内容は悪くないし悪寒もしない。嫌気も無し。しかも短いし。

 

その後分析してみたんですが、どうも自分はまだ「外の要素」に影響される面が多く、正直「修行がまだ足りない」わけです。

だから、自分の背後にいる存在が「どうすれば私が良い方向へ向かいやすいか」を考えてくれたんだと思います。

そこは正直ありがたいですが、まさかのトイレでなくても良かろうと(しつこい)

 

で、意味分析をするとスピリに沿ってはいますね。物事の事象はどうしても考えが浅い・レベルが低いと、起きている事象に「あれこれ文句を言います」それはあまりヨロしくないようですね。

 

一見不幸に見えることも、一見損をしたという事項も、後から「ああ、あれは意味があったんだな」とか「自分の勉強のためだったんだな」とかあるわけです。もちろんそれに気がつかないで行く人もいますが。

 

だから今一度自分に対して「良い事も悪い事も皆、糧なんだから”良し”といって受け止める。または往なすような姿勢を取れよ」と言う事だったんだと思います。

 

確かに理屈はそうでしょうね。良い事は自惚れないで居ながら「良し」とする。または「言う」

 

ただ、出来づらいのが「悪い事などの事項」で「良し」といったら、何か変じゃない?

 

それこそマゾかよ?と思っちゃいますよね。又は「不幸大好き」というような基地外か。

 

いやいや、そうでなくて例え不幸ごとであっても「良し。これに意味があるんだ。学べ。進め」と言う風にやれ、ということなんでしょうね、きっと。

 

だからそこの塩梅を「慣れる」というか、自分に覚えさせる。そういう事ではないかな、と解釈しましたね。

そうでないと、理論崩壊ですよ(笑

 

それこそ自己啓発の世界では「悪い事があっても笑え」と言うのがありますが、なかなかね・・・・それはキツイ。

ですが、それが平気でできるように成れば「無敵」でしょうね、きっと。何が起きても笑えるその心はマジに強い。

 

そう成れればいいんですがね・・・。

 

まあ、背後の存在も暇で言っているわけではないと思うので、受け止めてやってみますよ。その「笑い飛ばす心意気」と言うやつをですね。訓練かよ、と言う感じでね。

 

まあ100歩譲って「笑えない」としても負けないぞ。そういう気持ちで行こう。そう思います。

 

そういう何気ないお示しを自分がトイレでいただいた、という事でした。それでは。

コラボ企画 ~ 都市伝説の夜会、他3チャンネル より

2026年は境目…日月神示が示す“大峠後半戦”が怖いほど当たる【 都市伝説 予言 ミステリー 予知 オカルト 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=cGULhFLmND8&t=1660s

 

この動画は「日月神示」を現代における「スピリ」的に解釈・把握した内容となっている点です。
これは「物事は取り様によっては”如何様にでも取れる”」を体現したものとなっています。

 

拝見して思ったのは、やはり「こういう解釈だと怖さは消え、神示が持つ意味が理解しやすい」ですね。見事です。

こういう風に解釈。又は説明をする人が少ないので、新しさもあり古さもあるが「重要な内容を説いている」のが判ります。

 

この神示は知っている人は承知の事実ですが、まずは日本人向けに降ろされた経緯があります。原文は「文字と数字の羅列」の自動書記により、書いた当人でさえ「意味が分らない」と言う奇妙さでしたが、その後解読され現在に至ります。そしてその内容は「グローバル的なものではない」風に受け取れて、伝わったのもあります。それ故に誤解も生じる面はあったとは思います。

 

真意を解く面ではこの動画が最適かもしれませんね。ただ、受け取る側の方にもキャパ的問題があるので、こう言う解説をもっと以前から説いていれば、まだ伝わり方も違ったかも、と思ったが、物事には経緯と言うのがあります。あまり早い時期から易しい解説があったとしても、受け入れられずに廃る場合もあります。一方「今時これですか?」という「リバイバル的な事項」で重用される・注目される、と言ったこともあります。

 

要は「真意が伝わって活かされれば良い」ということですから、やはり時代背景や経緯があろうとも「自分たちが真意を理解し、実践することが重要」となれば、それに勝るものは無い、と言えましょう。

 

そしてこれは神示としては日本に降ろされたものではあるが、世界いや地球全部”人類に説かれたもの”でしょう。ただ、日本に降ろされたのは「日本から世直しが始まる」つまり動画の中の言葉を借りると「リボーン」を成すには「まずは日本人から」「日本に鍵がある」と言う意味と位置づけと、スピリや科学的に言えば「YAP遺伝子を持つのが日本人を始め少数民族」「昔から日本人が持つ特有の精神や習慣」などがあるので、そこがキーポイントとなる。そしてそこから派生して世界へ広がる、と言うのは神的存在が知っていて、それを教えるために「神示」と言うもので降ろした、と言う事ですね。

 

さあ、後はどうすればいいかは「動画で言われたことを核に行う」ことでしょうね。特別な資格や能力、技術なども要らないという。また年齢や性別、国籍やその他何とか、と言うものも要らない。真意を理解する心と精神があれば可能なわけで、これをも拒否する・講じない人も恐らくいるでしょう。旧来の「支配力やよろしくないもの」を好む。又はそれを選ぶ人と言うのはどうしてもいるでしょう。そういう方は「自然と淘汰される」もしくは「居られなくなる」と言う事でしょう。スピ的に言えば「そうなりますね」神が何の権力があって裁きをし、制裁を加えるか、などは、今や「ナンセンス」な時代に入っている。

 

ただ、これを別な解釈や捉え方ですれば「裁かれた」とか「選別された」と言う風に映るでしょう。自分も恥ずかしいが「そういう考え方に近かった」輩ではあります。そしてそう成るものだとも思ってはいた。

 

だが、よく考えればそういうことではなく、スピリでよく言う「波動と周波数」なもので、合う同士が作られる世界というのは今の時代にも昔からも実際にあって、ただその認識が「多くなかっただけ」なのかもしれません。

 

何でそう言えるかというと、世界中で見れば本当にそういうエリアは少ないでしょうが、まるで別次元かのような世界があったとします。そこは争いも無く平和な世界だったとします。

 

ですが、実際に地球を覆う「混沌とした世界」や「悪の仕組みが蔓延った世界」は多岐に渡り広範囲にあります。だからこそ世界大戦も昔はあったわけですし、世界大戦まで行かなくても「よろしくない世界模様」は実際世界のあちこちであったわけです。

 

じゃあ、それが地球上で100%だったか?というと「そうは言いきれない」わけです。少ないけどどこか「平和的で世俗とは関係ないエリア」はあったはずです。又は隠されていたか、多くの人が知らないだけだったか。

 

ただそういう「大半の穢れた世界」というのはスピリを深く学んだ方なら承知の事実ですが、今まで25万年前から「悪党らが地球と人類を支配する考え」により、実行されてそれが今の今まで。つまり、ごく最近まで展開されていたわけです。そのために非常によろしくない世界観が長年展開されて多くの方が「嫌な目に遭ってきた」ということです。

 

今後はその悪い影響の根源が無くなりましたので、後は残滓(影響の余波のような後々まで続く状態)だけがある状態ですから、そこを乗り越える。そして残滓が無くなって「未来ある世界」「本当の皆が持つ素晴らしき世界」に移行するわけです。

 

そこへついてゆけないのが「旧然たる世界が好きな人」です。これは今までの逆になるわけで、滅茶苦茶な悪の勢力下ではその波動と周波数で満たされて、遍満する世界でしたからそれが通用したわけです。むしろ、そういう人間らが多いのが「当たり前」であったわけです。オセロで言えば「黒」だとしましょうか。

 

それがこの度「白側」へ変換されることとなった。いわゆる黒から白への「リバース状態」が成される、ということです。

 

そうなると、今度は悪側が「居たくても居られない状態」になるわけです。支配力や影響力が持てなくなったらそこにはいられない。そうなれば黒の側は「どこかへ行かねばならない」と言った感じです。

 

だからここで問われるのは「あなたは白か黒か」を選ぶとすれば「どっちですか?」と言われているようなものです。これからの地球は「白世界」に変わるわけです。だから悪の行為や性格のものたちは「いれなくなる」または居たとしても「過去のように勝手気ままや自由にはできない」ということですね。

 

それは裁きでも分け隔てでもなく、今まで黒側が黒い行動をするために「自由にやってきたこと」が反転するだけです。今度はそれが「白側へ移る」又は「白勢力が優勢になる時代」だよ、というだけです。

 

それこそ宇宙から見れば、白も黒も色の違いだけで別に意味があるんで成立しているわけです。宇宙の源である「ソース」は陰陽のマークである「タイチー(太極)」でこの世を作られた。そしてそこから色々派生し、いろんなことが起きた。そして地球に於いて「悪の行動を考え行うものが成してしまったこと」が地球での悪の歴史になったわけです。ここをスピリでは教えているわけですね。

 

今度はそれが逆になるだけ。だからそれを比喩として分かりやすく例えたのが自分の「オセロ理論」です。元々はどっちもどっちでしょうし、同じ比率であったわけです。

 

これが地球上で先に「黒が多くなっただけ」であるし、今度(今後)は「白が多くなるだけ」です。こういうせめぎ合いというか勢力図と言うか変化と言うか、そういう感じだという事です。そして今自分らが遭遇している時期や時代が「転換期」または「切り替えの時期」だ、ということです。

 

これが自分は分かりやすいので「オセロ」で言っているだけで、これが「将棋」であろうが「チェス」であろうが差は無いわけです。太極ですからね。

 

男が正しいとか女が正しいとか無いのと同じです。特に子供からすれば「お父さんもお母さんもどっちも大事」なように、どっちが良いとかそういうのはない。ただあるのは性的な違いや肉体的な違いなどだけです。精子と卵子があって体をなすように、どっちが優勢か、なんてのはない。

 

どっちが欠けてもダメだが、どっちかの偏るのも良くない。宇宙は皆意味があって均衡が取れてなんぼ、なんです。

ただ敢えて言えば「黒が多かったから、今度は白が多めでいくよ」だけです。またどうせ長い年月が過ぎれば「黒が優勢になる時代も来るかもしれないし」ね。

 

そういうことで、今日はこの辺で。

大気圏外の白龍チャンネル さん

スピリチュアルブームの終焉とふわスピの依存人化🧟‍♀️経験の伴わない空虚な言葉 #スピリチュアル
 

https://www.youtube.com/watch?v=RtkyQkS93-Q

 

動画を見て、なるほどと。自分も確かに心当たりがあることを言われていたので、気を付けないといけないと思いました。

 

動画内にあるスケッチブックにて主さんが掛かれた絵にもありますが、現実(生の人生)とスピリでは隔たりがあります。主さんはスピリを「攻略本」とし、人生は「具体的な人生は流動的」と書かれていますが、まさにそうですね。抽象度も表していますがその通りで、唯一「ん?」と思うのが「人生は哲学の中にない」と言う点ぐらいでしょうか。

 

この「ん?」の点について語れば論になり、長くなるので今回は深く触れませんが、自分は「活学」までは判りますが、哲学の中には無い、は違うと思います。そこだけ言っておきます。(自分は人生は哲学の部分もあると思う輩なので)

 

さて、その点以外はほぼ同意で、特に今回の動画の内容で結構頷けるのは「スピリが抽象的な世界で止まっている」ということと、10分半くらい言った辺りで話された事項もかなり「良い所を突いているなあ」と。

 

自分も言っていますが、いい話を聞いて感動しても人は「すぐ忘れる」とか「感動以降の事をしない」のが多い。又は「実行しない」んですよね。いわゆる「話を聞いて満足してしまう」わけです。又は動画で言われている「自分で動こうとしない」これも結構多い。後これは自分もやりがちなんですが、本なら「つんどく(積読)」何かの道具やアイテムなどは「買ってそのまま」と言うこともある。これも先の「話を聞いて満足」に類します。これはいけないですね。

 

その後からも続く説明も重要で、やはり実際に動く。自分が動くことが重要ですね。

 

そういうと「あれ?他人様は良いの?」と言う意見を言う人がいますが、そうです。他人は「いいのです」

何が良いのかと言うと「やる・やらないは自分の意思」だからです。

 

ぶっちゃけると、如何にいい話を聞いてもやらなければ「ただの鑑賞」です。見て終わり。そういうものですし、動かない人は悪いが「そこまでの人」「そういうレベルの人」もしくは「本気で挑んでない・考えてない・向き合ってない人」でもある。だから、如何にいい話を聞いても「やらない」又は自分が動かないで「人を動かそうとする」わけです。

 

だから自分も嫌いな言葉ですが「人に言うなら自分でやれよ」と言うやつがまさにそれで、それこそちゃんとやる人は誰に言われないでも「やります」し、良い内容の話を聞いたらすぐに取り掛かるものです。また人の動向など「どうでもいい」という姿勢。つまり、自分をどこまでも鍛え成長させ進化するか。それがちゃんとある人は「やる」のですね。

 

そしてこの度は「スピリ」特に「ふわスピ」のことですから、それも同様で「ふわスピ」は軽い分受け入れられやすい面があります。そして「それに甘える」=やらない。

 

これが厳しい修行のようなものだったり鍛錬ものだったら、恐らくほとんどの人はやらないでしょうね。食いつきすらしないかも。それ故「流行らない=廃れる」のも当然出てきます。

 

だから良くない傾向である「ふわスピ」は今の世の中を反映しているものでもあるかと。即席で手早くて簡単で、というように、まるで何か軽く買い物でもするかのような感じであります。そしてそういうものがウケて流行もする。

 

ですが、そういうのは「身につかない」真剣に覚えるとか挑まないと物事と言うのはそう簡単にはできないし、取得できない。これは昔から物事と言うものはそういうものではあるんですが、今時の人は哀しいが歳を取った方でさえ「そういう傾向を好む」ので呆れます。インスタントで何でもやれる世の中にしたからでしょうかね。そういうのが横行している。

 

だからそういう流れで「スピリ」も軽視されているか、適当にあしらわれているものはありますね。そして果てには「まがい物」扱いをされるという。本当によろしくないですね。

 

このブログでは自分はこのように言っています。宗教に拠らず変な概念を持たず、個人の自由意志を尊重し個人個人で考えながら挑む世界である。そういう風に自分は思っているし、やってもいる。

 

それは自分が過去宗教を講じてロスとミスを犯した経緯によるものです。だから無宗教になった。でも、無宗教はどこかの宗旨・宗派に属す、と言う事をしていないというだけで、別に仏教だろうがキリスト教だろうが、良い部分を活かし倣うのが自分の言う「理想的なスタイル」であります。だから、無宗教で居ながらも良いものは取り入れ、活用しつつスピリも良いものを倣い講じて行く、と言う事ですね。

 

確かにふわスピは簡単でやりやすく導入の面で良い面はある。だが、深く講じるとか突き詰めて勉強する・考察するなどを行うには「浅すぎる」わけです。だから、ふわスピを導入面でやりながら、そこから深く学んでゆく。そういう姿勢が大事かな、と思いますね。

 

これがどこかの宗教に属せ、とか信者にならないとダメだなんて言ったら自分はやらないですよ。もう過去で懲りてますから。

無宗教でいながら宗教もかじる。又は活用する。ただし間違った教えはダメですよ。そこをちゃんとしないといけない。

 

スピリにしてもそうで、いつまでも「ふわスピ」ではダメです。あれは間違った教えも混ざっているし、変な解釈をしているものもある。やはり宗教同様「ちゃんとしないと危ない」です。そしていつまでも浅いままでは、自分も自家撞着もするし進歩や進化もできない。故に成長もできない。

 

また人にも語れないです。中途半端なままでは語れるわけがない。例えですがちゃんと鍛えた人でないと武道では負けるのと同じです。深く研鑽し取得した人がちゃんとできるように、ちゃんとやれないと語りもできない。語っても「中途半端なまま」です。

 

なので、やはりその道と言うか方向性を求めたら、深く入らざるを得ないという事でしょう。後は学問と勘違いしている方もいる。スピリは学問ではないです。それもありますね。

 

後は最後に主さんが言われたのが効きますね。

 

「人間と言うものは追い詰められないと気がつかないもので、世の中は辛くなってゆきます。辛くなって追い詰められることから気づくわけです。そういう風にならないうちに気づいてやれれば、辛くなるようなことなど起きなくて済むのですが、全ては学びのために起きている。」(自分意訳・要約)

 

本当にこれですね。過去の記事でも自分は同内容の事を言いましたが、同じ内容を別な方(主さん)も言われている。

 

気づいて直して成長できれば、大難は小難になり、果ては無難になる。

過ちに気がついて自らを修正し改善して行けば、大峠も要らんのです。

 

本当に気づきを与えてくれた主さんに感謝です。

 

今日はここまで。