スピリタンZのブログ

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スピリチュアル及び様々な事項と個人的見解を述べるだけのブログ

自分は大分その考え方が薄れはしましたが、やはり根強く持っているのが「先を見通す力」が欲しい。自分の人生は当然全てのものが見えて理解できて分かればどんなに素晴らしいだろうと。また失敗しないだろうと思うんです。

 

ですが、以前書いた記事での「自分に教えてくれた事項」がありまして、それが「ドラクエ」でした。自分はゲ―ムはあまりたしま無いのでプレイするジャンルがすごく少なくて、ドラクエと上手じゃないがぷよぷよとかぐらいでしょうかね。だからせっかく買った「PS5」も、もはやタンスの肥やしになるかも状態です。

 

そして数年前にドラクエ11を買って何年かぶりにプレイしたんですが、やはり攻略本を持っててもなかなかうまく行きません。やはり一回も死なずには無理で、記憶していた箇所から始めますか、を結構やっちゃっています。

 

そこで一通りプレイした後は、また最初からやれば良い結果が得られる、と考えて「今度こそは」とやったんですね、最初から。

ところが半分くらい来たところで「やめた」となっちゃったんです。

 

なんでかというとやはり考えの通りで、よほどのことが無い限り失敗はしません。メモもしている箇所もあり早々敵キャラにやられ鵜恐れもないし、地雷みたいなイベントも回避している(絶対避けられないのは別)だから快適そのもので、また「この後はこうなる」とか「この選択にはこっちがベスト」というように、ほぼ上手くいってたんです。

 

ですが、やる気が失せて途中でやらなくなった。何で?自分の事ですから自分が理由もわかっている。理由は

 

「面白くないから」なんです。

 

ミスがほとんどなく、全てを知っていればほぼ無敵ですし、メリットばかりです。ですが、例えですが開ける前のプレゼントを知っていたら「胸のときめきも喜びも無い」のと同じで、ゲームとはいえ、中身を知っていたら「全然面白くない」のを知らされたんですね。

 

だからつい人生で「先が見えないから困る」と言うのはあり得ます。ですが、逆に「わかっていたら楽しくない」のもわかった。そうすると総じて考えれば「人生は先が見えない・わからないから”面白い”」という事になりますね。

 

またガイドブック(攻略本)を買っても100%内容を知らせてくれないのは、逆親切であってそれが正しいのです。自分は過去「何でガイドブックでここがこうなるぞ、と言わないのだ」と怒ってたことがあります。違うんです。それで「正しいのです」映画などで言えば「ネタバレ」を避けていることと同じで、お楽しみは「隠していた方・言わない方が良いのです」

 

だからスピリでは「人生は高性能な3D技術でもたらされた世界」といいますが、まさにそれです。そして自分らがゲーム機でプレイするゲームは「疑似体験」なわけですね。ドラクエなどは人生の一部をゲーム化したようなものですね。

だから覚醒してある程度世の中を見る事・知ることができれば「ああ、この世は高性能なリアル3Dだったんだ」と気がつくわけです。

 

今自分は今までと違うものに触れています。過去触れる機会がなかった事項に触れて「こういう経験を今頃するんだな」と思いながら進んでいます。

 

自分は今ハーブファスティングの世界へ踏み込んだわけですが、自分は過去サプリやら栄養について若干ですが学んだことがあります。またその後「マクロビオティック」をする方との縁があり、深く踏み込まなかったものの概要としては触れたことはあります。ですが両者も超えた世界が今回の世界でして、だから「こういう経験を今頃するんだな」と思ったわけです。

 

それこそハーブティーなんて「おしゃれで貴族がたしなむようなものだ」と言う概念がありましたが、全然違う。むしろ概念の悪さに愕然としている次第です。

 

それこそ格好つけて、気取って「お茶を楽しんでいますのよ、おほほほほ」じゃないんですよ。悪いが自分はそういう概念をもっていたんですよね。(非常に申し訳ない)

 

そういう考えを持っているんで、ハーブの世界を自分がやるなんて思いもしなかった。意味や価値さえわからなかった。いわゆる「目から鱗」ですよ。本当にそう。やはり世界は広いなあ、と感じている最中です。

 

まだ入り口の時点でこうですから、今後どうなってゆくんだろう、という思いです。本当に学びと言うか勉強は楽しい。こういうジジイになってから、学ぶとは本当に予想もしなかった。

 

ですが、学べることや実践して良くなる・変わることができるのなら、こんなありがたいことはない。そう思っています。

 

今後この辺りの事も自分流ですが含めて、語ってゆきたいと思っています。プロの観点では無くて素人の「やってみた」みたいな感じですがね。リアルでの語りもしてみたいと。そう思っています。

 

今日はここまで。

バシャールは有名な存在ですが、その中にこういうのがあります。

 

リラックス・エンジョイ・アクション この3つですね。この基軸は簡素でありながら大事な事柄ですね。自分も過去知った際に「ああ、なんて短くて簡単で分かりやすいが奥が深いのだろう」と感嘆したものです。

 

ですが、ずっと続けているうちに「物足りなくなった」

自分が異端児と言うのはここにも現れているんですが、自分はこういう「可変」をする癖がありますね。

 

それは決して変にいじるとか壊す、ではなく、自分流ではどうかな?こうかな?とかをしているだけで悪意は無いです。

では、何をするかを見て行きましょう。

 

自分はこの3つの法則を5つにしたんです。プラスした感じですね。では、それを述べます。

 

①リラックス

②エンジョイ

③方向性を考え・決める

④アクション

⑤回顧、修正、改善

 

つまり③と⑤をプラスしたのが「自分流」です。

 

何でかと言うと基本系の3つでも十分だと思ってましたし、実そのようにやっていた。だが、人生で必ず起きるのが「イレギュラーな事項」だったり「自分のミス」も出てくるわけです。するとこの3つでは「不足ではないか」と思うようになったのが理由です。

 

③はどういうことかというと①と②で整える。自分を高める訳です。そして④に行く前に考えなしで行くと高確率で「ミスやトラブルに遭う」ので③を考えたわけです。実際に④をする前に計画やら内容を決めてから④へ行く。物事によっては③を省き④をやることもありますが、時にはやる前に考えて決めないと「何をやるかさえ決まらないでやってしまう」こともあって、それが原因でミスに繋がる場合があるのです。それを避けるためにも③を入れた感じですね。

 

そして⑤は実際④をして行動をするが、考えてやったにしても「芳しくない結果」であることもあるし、もっといい方法があったかも、という事もありうる。だから、実際に④でやった結果や内容を精査する如くの行為らをやることで未来へつながる。次へつなげよう、ということで⑤を入れた感じですね。

 

だからこの5つのモノを自分は頭に入れてやるようにしています。本当は古来からの3つの方が楽ですよ。パターン的には非常の簡素で負荷が少なくて凄く楽。

 

ですが、いざ実際に物事を、となると簡単に行かないのが「現実世界」なわけです。下手をすればやったこと自体に責任を取らなければいけない事さえある。

 

だから自アレンジであり、プラスものではありますが、そうしようと。そういう感じですね。

 

決してこれは真似しろ、とかやりなさいではありません。そんな権限など自分にはありません。

ただ、実際人生を生きる上で「どうすれば良いかな」という事に役に立つのであれば、幸いだと。その程度な感じですね。

 

以上、バシャールにプラスしてみた、でした。

自分では「普通」が他には「異常」に映るというのがあって、それ故に「変人」と呼ばれたこと、数あります。

あまり良い内容ではないので呼ばれた方はムカつくものですが、そういう人生を送ってきたわけです。

この辺りは過去記事でも書いたので詳細は省きますが、変人を別に変換すれば「異端児」とも読めるな。そう思ったわけです。

 

こちらとすれば別に異端児になりたいとか、自覚があるわけでは無くて「ただ自分に素直に生きているだけ」とその様子を表現しているだけなんですがね。日本人の性質としては「右に倣え」が主ですから、異端に映るんでしょうね。

 

さて、スピリでは今後の世界をこう言っているのがあります。それは

 

「今までは長いものに巻かれろ、や従うことが生き方の主であったが、今後は一人一人の考えや個性が活きてくる世の中になる」と言っている方が居ます。それが本当かどうかは今後実際になってみないと判りませんが、その「異端児」である自分でさえもさすがに「自由で良いがピンと来ないな」というのはあります。

 

何故なら今までは構成が「管理社会」および「奴隷社会」だったので、そこの影響や力が無くなり「今後は自分たちでどうぞ」とやられたら、途端に困るのは大いに考えられるからです。

 

それこそうちの長男がそうですが、自分でやることがほとんどない。それは妻がほとんどやるからです。生活の中の事項の大半が「妻ありき」なので、自分で考え自分で行うというのがほぼできない。服の着替えや排せつ後の尻の様子や風呂の作法や食事の作法までは面倒は見ませんが、それ以外は「自分でできない」のが大半で、それこそ妻が死んだり入院でもしたら、何もできないに等しい。そういう有様です。

 

自分は注意をするのですが妻は言うことを聞きません。あまり強く言うと「強制執行もどき」になるんで、言うのも自分が動くのもやめていますが、本当に程度があるとは思っています。

 

なんでこう言うことを出したか、というと社会構造がこれに似ているからです。確かに世の中は妻程「あれこれ見てくれる」ことはしません。ですが、管理や制御されている面は大きい。そうしないと今の社会は成り立たないからです。

 

ただ、それは「自由」と言うものは無く、いきなりそれを外されたら「さあ後は自分で」となれば、できるものではない。そういう世界も経験もほとんどないからです。つまり私たちはある種「私の長男のようにされていた」とも言えるということです。考えなくてもいい。奥の奥まで動かなくていい。動きはほとんどなくて済むようにできている。だが、その反面操作されていて、楽なようで実は「苦が満載」であった。

 

これが今度は苦がない代わりに「自分でやれ」ですから、それが逆に「苦になる」「苦を感じること」になるかもしれない。ですが、悪側の操作や管理によって成されるものが無くなるなら、自分はその方が良いとは思う。

 

これもまた「異端な考え方」なのでしょうね、きっと。

 

だからどんな事を言っても「慣れ」が肝心かなと。慣れないうちは大変であるが、慣れればそれが「当たり前」になる。普通の子供であれば高校を卒業したら親元を出る~家から離れ社会へ出て何事も自分でやらねばならない&覚えないといけないのが常です。そういうのと同じように自分らも「自分でやる時代」が来たら、面倒でもやらねばいけないのでしょう。

 

でもそういう傍ら「操作・管理されている世界のほうが良い」と言う人も出るのは予想できます。スピリでいう所の住み分けや分離のある世界がそこなのでしょう。管理を望む側と抜けたがる側。どっちを選ぶかはその人次第ですが、自分は「管理されるのが嫌」なので、自由な世界を選びますね。

 

自由は一見、良いように映るし素晴らしいだろうと思う。だが、実際は厳しいと思う。何故ならほとんどが自己責任だからです。

人や周りに依存して生きてきた者にはこの自由と言う世界は「ただ厳しいだけ」に映るでしょう。

 

動物を見れば分かりやすい。自由な世界の動物は「基本自由」であり、管理されずに生きれるが生きる面での不自由さはかなりのものです。まず住む家や場所がない。自分で住環境を作るか探すしかない。そして食事の問題もそうです。自分で食べ物を探し得なければいけない。

 

これが動物園の動物であれば、自由は無いです。その代わり人間が面倒を見てくれます。住む場所、寝る場所、食べ物や排せつ物の処理も温度管理もほとんどやってくれる。無いのは「自由だけ」です。病気になっても面倒見てくれますしね。

 

だから人間世界でこの現象と選択が出てくると自分は見ています。野生の動物のように「自己責任多め」で生きるか、又は動物園の中の動物のように「管理されるか」ですね。各々がどっちを選ぶか、です。

 

まあ極端な物言いをしましたが、実際は野生生活を実際にするわけではないので、例えほどそこまで過酷ではない。人間と言うものはある程度のルールや仕組みがあってそこで生きるのが基本的には必要ですからね。

 

ただ、肝心なのが何でもかんでも管理、と言うのが無くなるという事。管理されるという事は「管理する側」もいるという事で、その管理する側が大抵は「苦労する側・負担する側」なんです。先に述べた「動物園」でなら、餌を作り食べさせる。排泄物を処理する。環境の全てを整える、などをする職員さんらがそうです。動物のために世話をやく人たちそのものです。

 

その人たちはいわば職種と仕事ということでそれを業務とし働くことで給料をもらっているわけです。大変であっても辛くても収入を得るために頑張っている。もちろん動物を愛する心や気持ちがある方もいるでしょうが、全員がそうだとは限らない。やはりその人の人生上で仕事として割り切って生きている人も居る。そこには「自由」は無いはずです。自由があって職種を選べるなら、とっくに別な仕事で生活しているはずです。

 

だから今後は嫌々ながら生活する世界ではなく、まずは自分で選び行う。その上でやれる職に着くことがメインになってくるでしょう。だから極端に廃れる職業も出てくるはずです。AIとロボットやマシンがほとんどをやってくれる世界が来ますからね。人間は豊かな環境の中で「何をどうやるか・選ぶか」が鍵となってくる。それができない人は「旧式・旧然たる世界」か新しい世界の中にいても「隅っこの方で暮らす」ことになるでしょう。

 

実際長年続いた老舗やでかい企業でも簡単に廃業や倒産する時代が数年前から現れています。時代に合わせることが絶対必須とは言いませんが、変化に対応できるとかしてゆく姿勢を持たないものは「淘汰される場合もある」のを覚悟しないといけない。

 

特に人生100年も生きれない肉体を持つ我々は、どうあがいても100年前後で交代せねばならない。それがあるからです。1000年も生きれるとか続けられる環境や肉体を持てば別ですが、それは無理。そうなったら余程の技術か伝統系でない限り、続かない。どこかで世代交代や継承面で「変わらざるを得ない」のが出て来ます。

 

だから進化変化を要求された場合に於いて、続けられるものでない限り衰退はあり得るのです。そしてそれが「変化」というものです。

 

例えば太平洋戦争後の「焼野原」だった世界から、今の世界をみたらきっと昔の人は「夢を見ているのか」と感じるでしょう。それだけ変化も進化もしたのが「現代」なわけです。

 

テレビ電話なんて言うと「時代遅れ」と言われて笑われるように、今やテレビ電話は「当たり前のようになっている」わけです。それこそ自分がその時代の人間だからよくわかりますが、鉄腕アトムの世界の多くがもう現代で実現しているものもある。夢や想像で描いたものが「実現化する」というのはそれだけセンセーショナルなんです。

 

電話だってかなり進化した。初期は「ダイヤルさえなかった」時代から始まり、ダイヤルへ移行し、その後プッシュホンへ。そしてPHSなどのモノへ行きガラケーへ。そこから今の携帯の形に移行しスマホは当たり前ですよね。たった100年でエライ変わりようと進化です。だからドラえもんや鉄腕アトムの世界は「漫画」でありましたが、もう一部は「現実化」されているんです。そうなるともう「漫画の世界」を馬鹿にはできないわけです。

 

そこに人間だけ古いままも「おかしい」わけです。人間も変化し進化せねばおかしいとも言えます。確かに古き良きものもありますから、全てを更新や刷新するとはいいませんが、対応できるようにならねば、取り残されてしまう事にもつながる。実際電話でスマホを使えない人も居るではないですか。

 

使えないことが悪ではないですが、使えないと大変苦労するのはあるわけです。そういう風に時代が変わっている。それを嫌ってアナログで徹するなら、無人島にでも暮らすしかないでしょう。

 

ただ自分も思うのはアナログの良さもあるし、素晴らしいものもある。それも活かしながら新しい技術も使えるようになる。そういう時代が今後の時代かな、と思います。頑固すぎてもダメだし、長いものに巻かれっぱなしもダメ。智慧と順応性が求められるかなと思いますね。

 

今日はここまで。

昨日は一歩も家から出ず、部屋にいて作業や雑事に専念していました。間中暇なのでバシャールの動画の音声を聞きながら作業していたところ、自分の気になっていたところに該当することを述べていました。

 

自分は傾向としてわかるものは率先して。わからない物などは後回しにして、という事をやっていますが、その中の数種類のうちいくつかを「ああ、そうだったのか」と知ることになり、思わず感謝しました。さすがはバシャール。素晴らしいですね。

 

まずは人生上で起きる「お試し」と言うやつがあるんですが、自分はあれが理解できないのと好きでなくて、ですね。いつも訝しく思っていたんです。

 

そんなね、お試しが来ればその後良いことが起きるとか奇跡が起きるとかは学んで知りましたが、自分からすれば「意地悪だな」と。そういう風に捉えていた。何もわざわざそういうことをしなくても、授ければ良いでしょうよ、幸せを。それを何で天邪鬼でも起きたかのように、良くないことを起こしそれに遭遇させるという「お試し」なんてのをするかなあ、とマジで嫌だった。

 

ですが、昨日それが「意地悪でもなく理由があってやっている行為」と言うのを知り、マジ?と驚愕。無知って怖いですね。

 

お試し、というのはあくまで人間的に見た・映る表現と名称であって、実はそうではない。言い換えればその当事者に「テスト」をしているということだったのです。

 

それはその人が持っている観念や意識。特に苦手意識の方が大きいかな。そういうのがその人を本当にクリアしたかという「テスト」が入るわけです。それがいわゆる「お試し」というやつです。

 

例えるならば、自分はあることが恐怖だとします。その恐怖を克服しないといつまでもそのテストをしてきて「クリアできたか」をやらされる、ということです。いや、むしろテストと言うよりは「自分がつかんで離さない事項のために自分でヒイヒイ言う羽目になっている」を繰り返している感じですか。だから、いつまでもその事項が起きるのがそこです。

 

そしてその事項がクリアできると、もうその事項は「卒業した」と判断され、起きなくなると。起きなくなると「多幸感」が出ますので、それで「良いことが起きた」とか「良い状態になった」と人間側は思うので、良い事がある前に「お試し」が来る、というのは比喩であって、実際には「自分が起こしているもの」であり「自分が自分でテストしているようなもの」なんです。

 

だから自分の心や意識の中に誰もが「苦手な面」や「嫌がる事項」はあるものです。そこを反映されるんで「嫌気が差す」わけです。これをどうにかして行けば、クリアできるわけで、そうなるともうその事項は「苦手克服」をしたようなものです。そうするともう気にもならないし、そういう事項が起きない。起きたとしても対処ができるので難なくクリアできる。だから、人生は「経験をするためにある」と言うのは基本ですが、その中に良いものや喜びもあれば、苦しみや嫌なものもある。良いものはただ受け取るか感じれば良いが、嫌な方はそうはいかない。なのでどうやってクリアするか、が要となる。その現われなんだというんですね。

 

それこそスピリでよく言う「人生は映画のようなもので現実はスクリーンに映された画像なんだ」と言うのがありますが、それを知れば、内容としてのモノは把握できます。怖いシーンや哀しいシーンなどは「自分が映しているもの」であって、現実ではない。ドラマなどを見るとつい没頭して感情移入してしまうことがありますが、あれの「リアル版」です。

 

この世はかなりの高精度の3D世界ですから、如何にスクリーンで映像だ、と言っても、怪我のシーンでは本当に怪我をします。痛みもその他知覚もある。だから、映画だという感覚よりも「マジ現実」と感じるし、受け取ってしまう。

 

実際の3Dならゴーグルを外せば「ああ、映像だったか」と気がつくことは容易ですが、人生の3Dは本当に高性能なので、かなりの錯誤をします。ですが、これも突き詰めれば「高性能の映画」だったと理解できます。そこまで行くのが大変なんですがね。

 

だからどんなことも「これが自分の考えや観念を映している世界だ」と理解することです。そしてその概念で如何様にも可変することを可能にしたメソッドが「タフティ」なわけです。

 

だから、もう仕組みがわかって可変方法がわかれば、怖いものは無いのです。

なのでどんな「お試し」も「ああ、これは自分に対するテストなんだな」「反応を見られているんだな」と理解しクリアできるようになることが要なんだと知りました。

 

だからどんなことが起きても「そうですか」と往なす。タフになる、ということ。意に関せず「動揺しない」ように自分を訓練するということですね。これができるようになると如何に不幸が襲おうとも、困難に遭おうとも「はいはい」で往なせる。理論で言うことそう言うことですね。

 

完全にそこまで行くとなると聖者の世界ですが、まあせめて自分たちは何かあってもそれに翻弄されず心と精神を一定に保つように心がける。訓練しておくという事ですね。

 

後は「毎秒ごとに新しい自分であり、過去の自分とは別である」と言う概念も理解しがたかったし、人は過去に囚われることが多い、のもありますね。それも説明があって昨日はいい勉強になりました。

 

こうやって後回しにしていたことを解明してゆく。又は理解してゆくのは楽しく嬉しいものです。ぜひ、今後もそういう機会を得れるように精進します。

 

今日はここまで。

前回の記事で「サードアイ」の事を文字に出しました。この事項に詳しい方や知っている方には自分の知識は及びませんが、少し触れたいと思います。

 

日本語では第三の目と言われ、脳の中の「視床下部」と言う箇所のことを指し、第六チャクラの部位とも言われています。ここが若いうちは多少機能している人も居るが、段々と大人になるにつれ機能しなくなると言われています。特にこの部位は霊的なものを感知したり把握するのにも関わっているとされます。

 

ただ、現代はこの部位の活動が鈍くても生活できるようになっている傾向があるのと、特にこの部位をどのようにして活性化する、などを講じることはありませんので、意味も価値も名称すらさえも知らないまま過ごすのがほとんどです。

 

自分の場合は若い頃に雑誌「ムー」やら、その他いろんな本で知り、尚且つ18歳頃に存在を知った「偽仏教教団」でその辺りのことを言っていたので関心はあったのと、できれば開発して人生の役に立てたい、と思ってはいました。ですが、その教団は実際詐欺宗教ですから嘘を教えるわけです。開発などできないまま今に至ります。

 

せいぜい有ったのは2025年中で額の辺りがピクピク痙攣する挙動があったぐらいですか。数か月その事項はありましたが、これもまた消えましたね。今では全く「シーン」状態です(笑

 

そして今、体の事を勉強する講座を受けて学んでいる最中ですが、そこで分かったことがあります。決してそこは超能力開発やら宗教を推奨することをしていませんが、そこで出てきたのが「サードアイ」の存在。

 

ふうん、何か望んでないというか諦めていた頃にこう来るか、と人生の妙さを感じていますが、その方曰く「石灰化しているのを改善するべき」と言っているんですね。

 

石灰化の事はyoutube動画などでも知ることもでき、存じてはいますがではその「石灰化を改善する方法は?」というと自分は全く知らないわけです。というかむしろ「訓練しないと石灰化を防げない」と思っていたわけです。また世に出ている動画でもそのような示唆が多い。石灰化を改善してから開発に挑む、という動画はほとんど見ません。だから開発を講じる人が石灰化してない状態を前提に開発や示唆ばかり動画でうんちくを垂れているのが大半、となります。

 

ですが、実際石灰化が酷い人なら、開発はほとんど奇跡でもない限り無理ですね。それこそ例えですが、どこかの山とかから「宝石の原石」を発掘したとします。ですが、その宝石の周りには色んな石などが付着している。汚れも同様です。

 

ではどうするかと言えば、汚れ及び要らない付着している石などを取り除く作業が必要になります。いわゆる「洗浄と研磨」ですね。そうして原石自体(本体)がようやく出てくる。その後も形状を整えたりをして一般的に見られる状態~宝石~になるわけです。

 

サードアイもいわばそういうことをする必要があるという事ですね。ちなみに講師の方はこう言うことは言っていません。自分の今までの人生経験で言っています。ですが把握として間違ってないと思います。

 

だから開発が「自分のせいだ」ではなく、無知であったという事と正しい方法や示唆が必要だ、という事ですね。それこそ石灰化したままで動かせた人の方が「奇跡」に近いですし、本当に動いているかもわからない。

 

では、何で自分はこうも「サードアイ」にこだわるか、と言えば、こだわるのは「過去のこと」であり、もうこだわりはあまり無い感じです。実際今まで開発できないで終わっていますし、自分も若くも無い。

 

その講師の方も超能力開発を主で言っているわけではなく、今後人生を素晴らしいものにするためと健康で生きるために必要な事項を述べているに過ぎなくて、その中の1つの事項として講義している感じです。つまり、体をいたわり大事にする生活をしていたら体が健康になり、その人が持つ能力などを活かせることで人生が豊かになる。そういうのが核で趣旨で講義しているのが素晴らしいですね。

 

だからサードアイがどうの、と言うよりは、体の健康と元々人間が持つ機能性を活かす・高めることを栄養学などの方面からいざなう。その結果、身体の機能を活かせて健康と共に「身体の良い部分を駆使できる」ということですね。誠に素晴らしい。

 

そしてそれだけかと普通は思いますが、自分は人生で「回り道」をした分、気がついた。ああ、そうかと。この方の講義は他にもメリットがあるなと。

 

それは別な機会と項目で話そうかな、と思ってたんですが、メッチャ長くなるんで「前振り」というか「序章的な感じ」で述べましょうかね。

 

陰謀論として挙げられている項目の1つですが、今後世界は「食糧危機」に瀕するとあります。この事項を目にしたことや何かで知っている方もいると思います。答えを先に言いますが、そうです。嘘です。危機感を煽り実際にそういう事項を起こして、世界を混乱や争いと不安に陥れるための「策と案」です。ちゃんとやれば食糧危機は防げます。

 

だがそれをやると「だれも困らない」わけですし平和ですから、やらない。悪党は「平和が嫌い」なのですからやるはずがない。むしろ自分たちを困らせて世を支配したいのですからね。

 

なので、残念ながらこの策は行われる可能性が高いです。そうすると「食べ物に困る状況が来る」わけです。なので、普通の考えで行くと「備蓄をする」とか「何か対策を」となる。ですが、その対策にしても短期間なら良いですが、長期間になれば対策は尽きる、か対応できなくなってきます。

 

そうすると「できるだけ対策できうる方法」が必要になります。自分はそこを案じていましたが、キタ!

ああ、この方の講義自体が「対策になる」んだなあと。

 

例えると、太平洋戦争の最中や後で自分たちの先祖は「食うに困る目に遭った」わけです。一部の国や人などは食うに困らなかったようですが、世界の大半の人は食うに大変。生きるのがやっとでした。

 

そういうサバイバルな状態になったのが「再来」するとなると、現代ではどうするか、です。その智慧と対策を持っているのがこの講義をしている方、なのです。自分がいつも言う「合致した」というやつです。

 

だから自分が今後受ける講義の数々が「サバイバルな世界を生き抜くための智慧」なんですね。これには驚いた。また、その講義の方は自分が分かったことをほとんど述べてはいません。だって、サバイバル教室ではないので当然ですよね。

 

それこそそういう方向性の人は「ライフハック」とか「サバイバル技術」の方面の方が適しており多いです。その講義の方はどちらかと言うと「自然を愛し自然と触れて治癒力や生命力を高めて健康に生きる」をしている方ですからね。結果としての「生きのこり術」としてのもの(要素)はあるが、メイン趣旨ではない、ということです。

 

ちなみに自分も「ライフハック」とか「サバイバル技術」の知識は疎いです。必要だろうな、とは思いますが、自分はどっちかと言うと「インドア派」なので、アウトドアは下戸です。

 

それこそサバイバルを疑似体験したければ平素「キャンプ」などをやっている方の方が優位です。自分もキャンプは嫌いではないですが、できれば「ひねれば火が付き、水が出る世界」の方が良い。電気で何でも済ませれる方が好き、です。アナログを好んでやろうとか進もうとは思わない。だから当然下戸になりがちです。

 

だが、実際電気は止まる。水道もさて、ガスもさて、となったら、もう一気に「アナログで活きなければいけない世界」です。そうなるとさすがの自分も困る困る。

 

だから今のうちに練習と言うか慣れておくとか対策をとる。または必要な事項を覚えておいた方が良いかなとは思いますけどね。それが中々・・・・。

 

まあ、この辺りの深い事は機会があったら書きます。概要で言えばそういうことです。自分はただ「不定愁訴」が多いのでそれを治したいから講義に入っただけなんですけどね。だから「人生は妙だ」と言ったのがそこです。

 

だからサードアイについては希望を抱くものの、固執ではない。でも、無関係に放置もしない、と言う感じかな。メインは不定愁訴を改善することなんでね。

 

そして不定主訴の原因は「食べ物の摂り方や選び方」に問題があると。そこを今後学んで行く感じですね。

 

では、今日はここまで。