じいちゃんが死んだ日

6年前の夏、このブログを書いた5ヶ月後に、祖父がなくなった。

今でも鮮明に覚えている。

時間は早朝6時。

母の携帯に入った祖父の病院からの連絡。

「もう時間がありません。ご家族で至急お越しください」

ふと聞こえた、電話越しのお医者さんの声はとても重いものだった。


その声で僕と家族が全て悟るには、十分すぎた。


急いで来た病院の病棟で、けたたましくなるサイレンのような音。


見ると、ある一室のランプのようなものが赤くピカピカと点滅していた。


その時不意に僕は「あの病室が祖父の病室でありませんように」と、刹那そう願ってしまった。


だが、その願い虚しく、看護師さんが案内したのはそのランプの光る病室だった。


中にみんなで急いで駆け寄ると、既に祖父は旅立った後だった。


間に合わなかった。


泣き崩れる祖母、母、妹の横で僕は泣くことができなかった。

人は悲しすぎると泣けなくなると聞いたことがあるが、まさか自分がそんな状態になるとは…思いもしなかった。


それくらい、実感がなかった。


祖父の蒼白になった姿を見ても、棺に入ったところを見ても、本当にお別れするその瞬間まで。

僕は一度も、泣けなかった。


そして、何もかも終わり、祖父がいた場所に残ってたのは、祖父が交通事故で腰の骨を折って以来手術で入れていた焼け焦げた矯正器具だった。

見ると太いボルトが6本もあった。


ああ…こんなもん背骨に入れてたのか。

おんぶして連れてく時、もっとゆっくり連れて行けば良かった…痛かったろうな…


そう思いながら、御骨を納めて下さってた方に僕は「あの…その器具も取って頂いてよろしいですか?」と尋ね、回収して頂いた。


器具を妹のハンカチに包み、僕と妹で交互に預かりながら持ち帰った。


その後、その矯正器具は祖父のお墓に静かに納めた。

生前祖父が桜島がよく見えるから…と選んだ場所だった。



未だに、祖父のことを話しても実感が湧かない…だが、もっとああしとけばよかった…と思っては、

寂しくなる。


亡くなった人のことは声から忘れると言うが、

未だに祖父が僕を呼ぶ声が聞こえるような気がしては振り返ってしまうこともある。



なんだかんだ喧嘩してても、僕は改めて祖父が大好きだったんだ…と今更気付いて、初めて泣けた。


父が出ていき、僕らを受け入れてくれた祖父。

大人になった今だからこそそれがどんなに優しい行動で、不器用な祖父なりの愛情だったか。


今更だけど、ありがとうじいちゃん。

僕もあなたみたいな厳しくも優しい男になれるよう、頑張ってみるよ。