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田楽座日記 旅の空から♪

本拠地がある伊那市富県から、全国に旅立つ田楽座のメンバー。西へ東へ今日は、どんな出会いがあったのかしら…。

2017年12月3日、亀有リリオホールにて田楽座公演 『日本まつり芸能絵巻』

いよいよ今週末に迫ってきました。

多方面で配っているチラシには、

 

「わらび座から根分けされて半世紀、こんな歌舞団が信州にあった!」


今回のブログでは、わらび座会長 小島克昭氏から頂いたエールの言葉を田楽座新聞からピックアップします!

 

 

【2016年6月 田楽座新聞 No517 】

 

 

現代の田楽法師たちへエールをおくりたい
小島 克昭
(わらび座 会長)

1月16日、群馬県前橋市での田楽座公演「まつり芸能楽信濃」を、 荒馬座の狩野氏と観た。

五十周年記念作品であり、また松田満夫氏 亡き後の舞台ということで 充実した舞台だった。

初期のころから独特の演技で舞台を守ってきた 松田氏から引き継がれたものは、

確かに舞台に息づいていた。

それは松田氏が大切にし、独自の芸として作り上げてきたものであると同時に

伊那の地に根付いて その風土の中で芸の精進を続けてきた 田楽座そのものの芸風なのだろう。

そしてそれを 新しい精神で受け継ごうとしている 再出発の田楽座なのではないか。

一緒に見ていた狩野氏は、まっちゃんの芸はあそこはこうであったナ、

などと思いながら見ていたかもしれない。しかしそこにはコピーではない新しい息吹がある。

芸とは幅の広い、奥の深いもの。

確かに身の内に受け継がれているものを信じて、「新しき珍しき花」を目指してほしい。

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現代の芸能文化は、マーケット性を重視するあまり 個性を失い画一化してきた。

受け手の方がそれに慣らされている以上、受け入れやすいものは同じものということになってしまう。

そして独自性を言いながら 何とも面白みのないものになってしまう。

能楽師である世阿弥は、当時しのぎを削り競い合っていた 田楽一座の一忠を

「その風体わが芸の師」といって尊敬している。

目標でありライバルであった田楽一座からも貪欲に学び、競い合いに勝とうとしている。

中世という歴史の大転換期に その風を受けた芸能集団の意気込みは 凄まじいものであっただろう。

600年を経た今の時代も何ら変わるところはない。

世阿弥は その著書「風姿花伝」 の中で、観阿弥の教えとして

 

「三十四、五までに芸をさとり堪能になれば世に認められるが、不充分であれば四十より芸は下がる」

 

まで言っている。

現代と年齢の意味するところは少し違うと思うが 「信濃の田楽法師」たちは丁度この年代ではないのか。


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田楽座五十年を基に、現代という時代の風にのって、

伊那の地から全国、いや世界を駆け巡ってほしい。

その基になるのは 五十年の確かな歴史と これからの「日々稽古」「生涯籍古」ではなかろうか。

若くはつらつとした舞台を見ながら 五十年の舞台を思った。



≪わらび座≫
「民族歌舞団わらび座」として1953年秋田県田沢湖町に定着。日本の民族歌舞団の草分けであり、ソーラン節などの「民族舞踊」を普及するなど、文化史に与えた影響は大きい。国内の劇団としては、劇団四季、宝塚歌劇団につぐ規模とも言われる。地域定着型の劇団として発展、劇場や温泉・旅館を備えた「たざわこ芸術村」は今年「あきた芸術村」と改称。

 

2016年6月 田楽座新聞 No517 より

 

 

田楽座公演 『日本まつり芸能絵巻』

2017/12/3(日)

亀有リリオホール(JR亀有駅前リリオ館9階)

開場 18:00 開演 18:30

 

チケット申し込みhttps://www.dengakuza.com/

 

たくさんのご来場、お待ちしてます(*^_^*)!

 

いよいよ今週末、11/12にせまってまいりました、

『まつり芸能楽信濃』塩尻公演!

信濃直前 ピックアップ企画第3回目は、

第二部の開幕演目≪千秋万歳≫(せんずまんざい)について!

 

なんと 塩尻公演では

ガラっと!

千秋万歳、変わります。お楽しみに~!

 

 

 

【2015年2月 田楽座新聞 No515 】

 

≪千秋万歳≫(せんずまんざい)

 

永遠を意味し長寿を祝う意味。

これを語源とした予祝を芸能としたもの。

                      ――辞典より

 

 

◆創作にあたって 

 

長野県の郷土史なんかを読むと、昭和40年頃までは「正月には三河から万歳が来た」と 書いてあります。
千秋も万歳も「長い年月」の意味。

太夫と才蔵の二人連れで家々を門付けして歩いて、こっけいなやり取りを交えながら、全国各地の神社や神様を数え上げるなど、めでたい歌詞をたくさん読んで、言祝ぐ。「言祝ぐ」とは「寿」の語源です。

そうやってまわっていった家々の、末永い繁栄を祈るものでした。


やがて時代とともに、門付けよりも舞台での上演が主になり、才蔵の人数も増えて、より賑やかな芸能になっていきました。

「信濃」では、各地に伝わる万歳の歌詞を参考に、「信州名物数え唄」をうたう万歳を創作しました。

 

ひとつとせ 広い日本に名だたる 名所 

高遠 桜の見事さよ

信州桜が日本一

 

ふたつとせ 富士の山にも数では負けぬ 

乗鞍 浅間に駒ケ岳 

高い山々日本一

という具合。
信州の芸能で構成した第1部に対し、創作芸能と全国の芸能をバラエティ豊かに見てもらう、という、第2部の狙いにピッタリの幕開けになりました。


創作の芸能ではあるけど、

「昔の人は、こんな感覚で万歳を聞いて楽しんでいたんじゃないか」

とか、妄想を膨らませながら歌詞や構成を考える作業は、楽しいものでした。

 

今も各地で引き継がれている伝統の万歳も、リズム感や表情などで充分楽しめます。ただ、言葉遣いが古かったり、意味が分からない部分もところどころあり、

 「意味が分かればもっと楽しめるのに、もったいないなあ」と思うこともよくありました。

聞く側にもそれなりの教養や歴史知識が必要となってしまう。
 

伝統芸能に取り組んでいる人たちは、誰もがこの悩みを抱えていると思います。ヘッドホンで音声解説をするとか、パンフレットに細かい注釈をつけるとか、いろいろ方法はあります。


でもやっぱり、田楽座の舞台は理性や知識じゃなく、感性に直接訴えたいと思うのです。

だからそういうときは大胆に創作をしてしまいます。

 

落語には、古典落語と新作落語というジャンルがあって、新作落語には現代を舞台にしたものも多くあります。

古典には古典ならではの、昔の時代や文化の濃厚な匂いを楽しめる良さがあるし、新作には、聞くほうが何の予備知識がなくても、等身大で楽しめる良さがあります。


「信濃」での千秋万歳は、新作落語的に解決したわけです。

 


さてさて、田楽座の創作した千秋万歳が、「信濃」公演で全国各地を門付けしてまわり、皆様 のご多幸と、末永いご繁栄をお祈りいたします。 千秋万歳楽までも...。

 

演出・中山洋介

 

 

田楽座新聞 No515(2015年2月)を加筆修正

 

 

はてさて、千秋楽に向けて、千秋万歳はじめ“信濃”はどのように進化しているのでしょうか?!乞うご期待。

 

11/12(日)

塩尻市分化会館・レザンホール大ホール

16時開演!

お待ちしています(*^^*)

https://www.dengakuza.com/

 

 

 

 

 

田楽座新聞ピックアップ企画・第2回目は、前回に引き続き

『まつり芸能楽 信濃』 作・演出の中山洋介が語る

“信濃への想い”第二部編!

このインタビューは、私たち田楽座の役者たちに向かっても、

信濃をどんな舞台作品にしていきたいかが語られています。

 

それではお飲み物などを用意して、じっくりお楽しみください♪

 

【2014年2月 田楽座新聞 No497 】

 

 

私たちの信濃  第二弾

 

《まつり芸能楽 信濃》

第2部 田楽法師 西へ東へ

【主な演目】

千秋万歳
八木節
田楽躍
東西太鼓芸能絵巻
とりさしまい
秩父屋台囃子
田遊び

 



――2部のサブタイトル「田楽法師 西へ東へ」について


田楽法師ってのは、平安時代から室町時代にかけて活躍したプロの芸人で、田楽座は「現代の田楽法師になろう」ということで田楽座を名乗ったそうです。


郷土芸能は一般民衆のものだけど、田楽座はプロの芸能集団。
プロにはやっぱりお客さんに期待されてることがあって、プロにしか出来ない表現をする義務があるよね。


お客さんが持つ「田楽座に対してのイメージ・夢」をかなえてあげること。そういう考えで創りたい。
2部は『プロのつくったエンターテイメント』としたいんだ。



――「太鼓芸能絵巻」はどんな演目?


田楽座の面白いところはね、目のつけどころがちょっとずれてるというか、独特というか…
そういうとこも、自分が見てきた田楽座の魅力のひとつだと思う。


「絵巻」は北は東北から南は九州までの、様々な太鼓を組み合わせたメドレー演目。
田楽座のお客さんは太鼓をやってる人がとても多いんだけど、
太鼓愛好家の皆さんの「太鼓とはこういうものである」という先入観を粉々に打ち砕くような、そんな太鼓が日本にはいっぱいあるんですね。
僕もさんざん打ち砕かれてきました。このあいだも九州へ「絵巻」で取り上げる太鼓を取材に行ったんだけど、打ち砕かれたなあ…。


でもやっぱりかっこいいんだよね!
一般に流布してる「太鼓ってこんなもの」というイメージからかけ離れているのに、純粋に「日本の太鼓」としてカッコいい。逆説的だけど。

2部のテーマは

「こんな日本見たことない!」「見たことないのに懐かしい!」
なんだけど、まさにそのテーマを地で行く太鼓メドレーにしたいと思ってます!



――「カッコイイ」ってどういうこと?


その九州の太鼓を教えてくれた人が言ってたじゃん。


「祭りが近づくと学校の机を太鼓に見立てて、練習してましたね、『女子が見てる』って意識しながら。後から思えば、女子は全然見てませんでしたけどね(笑)」

 

って。
この「女子が見てる」ってのが大事なんだよ! 

異性の目を意識する。
祭りや盆踊りの場って、日本人が一番かっこよくなる瞬間だと、自分は思うんだよね。男は男として、女は女として、最大の輝きを放ってる。
「異性にモテたい」なんて軽薄でナンパな動機を高らかに宣言するのは、チケット代をいただいている立場からすると気が引けるから、あまりメインに押し出したりはしないけど、祭りの現場のムンムンしたエネルギーのひとつではあると思う。


そして僕の見た田楽座のステージは、そこに正直だった。

だから「ここに入ろう」と自分も思ったし。


――舞台に立つ演技者に対してメッセージを。


「女子が見てる」と思ってやってください。
でも同時に郷土芸能には

「じいちゃんが見てる」「カミサマが見てる」「町のみんなが見てる」

っていうのを背負うカッコよさもあると思う。
地方であればあるほど若者はどんどん都会へ出ていくけれど、その中で地元に残って祭りを引き継いできた人間のかっこよさ、っていうのもある。
引き継ぐからこその面倒くささや、しんどさはもちろんあると思うけど、故郷を背負わせてもらえる嬉しさは、そこに生まれて暮らしている人だけに与えられる特権だと思う。


自分も祭りが好きだけど、どこへ行っても自分はよそ者で、ここは自分の「ホーム」じゃないんだ、という寂しさがある。

どんなに秩父屋台囃子を練習して、仮に屋台に乗って太鼓を叩かせてもらえたとしても、「ホームを背負う喜び」とは違う。


そういう生き様の魅力、みたいなカッコよさを舞台でどう表現できるか、そこを考えて演技をつくってほしい。
郷土芸能をやるからには、そういう質の「カッコよさ」にも魅力を感じて、板(舞台)に立ってほしい、と思ってるかな。
田楽座という「ホーム」を背負って、ね。

 

 

 

田楽座新聞 No497(2014年2月)を加筆修正

 

 

いかがでしたか?

信濃 初演前の特集記事第二弾 でした。

 

五〇周年記念作品 “まつり芸能楽 信濃” も、

2017年度で千秋楽を迎えます!

 

11/12 塩尻

1/22 奈良

3/17.18 長野

https://www.dengakuza.com/

 

ぜひぜひご予定くださいませ!