今日はわが家にとって、ささやかな記念日だ。
ささやかな、というのは、家族の誰かの誕生日とか結婚記念日というなものではないということで、わが家と関わりのない人にとっては全く意味はないけれども、わが家のメンバーにとっては多少なりとも意味がある。これまで、たびたび忘れてしまったが、数年前にGoogleカレンダーに書き込んで以来、その心配はなくなった。だから、今日もこうして無事、その日のことを思い出すことができた。
記念日というのは現在から振り返ってみて過去のある時点で起こったことを記憶に留めるためにあるものだ。そしてそれには歴史的な大イベントから、きわめて個人的なものまである。
たとえば、不肖コロ健、誕生日は終戦の日、ジョン・レノンの命日と同じ12月8日だ(『私にとっての12月8日(2011年12月08日 )』。私のほかにも多くの12月8日生まれがいて、12月8日が命日の人がいる。それぞれに意味があり、それぞれの人がその日を思い出す。
私という存在が、この時系列の中のある時点から存在しているのは紛れもない事実だが、それが暦の上でのどこかということにどれだけの意味があるのだろうか。
今日、私の勤め先の病院の手術室では幾人かの人が命をかけた手術に臨み、分娩室ではいくつかの新しい生命が誕生する。多くの人が出会い、そして別れを経験する。それぞれの人、家族にとって、今日という日はそれぞれの記念日になる。
ここまで考えてきたら、私がカラオケでほとんど毎回歌うTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」の歌詞を思い出した。
記念碑とか記念日とか。それらには、大きなものから小さなものまで区別のつけようなくある。だか、それらは暦とか地球上のどこかの場所いうものに関連づけられたある種の記号に過ぎない。
時間という、おそらく、唯一の流れの上で、過去という既に存在しない不確かなものより、今と、その先にあるであろう未来に向かって生きることが、人間の営みなのだろう。
記念日というものを不要なものとは思わない。
ただ、妻の要求通りすべての日を覚えるのは難しいということはたしかだ。
で、今日は何の日だったかな?
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