学校の気持ちの悪い話

 言えない事や言いにくい事があるのは、鬱陶しい話である。確かに行われているのに、隠されている。誰かがやっているのに、記録や映像に残らず何の証拠もないが、出会った者の記憶には残っている。怒りと憤慨を持って、確かに記憶されている。

 それをした者は、どこに証拠があるのかと、ほくそ笑んでいる。しらっとして、何事もなかったかのように嘯いている。その心の汚さに、ただならぬ気持ちの悪さを感じてしまう。それが、どこの誰か分からない為に、その団体の全員が気持ち悪いものとして感じてしまう。

それだけ悪意があるなら、正面切って言えばいいではないかと思う。しかし、あんな事を何時でも平然と行うのは、管理職の無能さを表している。それで、被害を受けた者に支障が出て休んでしまうと、結局管理職が補填しなければならなくなるものだ。

 相手は、分からないようにしたと思っているのだが、こいつだろうと思えてくるのは、状況から何気なく感じてしまう。そいつは、常に拙者を気にかけて見ている。さて、今生きているのかどうかさえ分からないのだが。拙者を見ていて、時に珍しく話しかけてきた者は、そう多くなく、記憶に残っている。そいつだよ。その時の嘘くさい表情を見れば想像出来た。

 新任の頃に、職員室で脚の折れた椅子を与えてきたのは職員室全体の意思だったのか、だとすれば物凄い気持ちの悪い学校だったと言う事になる。誰か個人だったのか。椅子を皆で持つ事など出来ない。1人で持ってきて、1人でどこかへ持ち去って終わりにしたのだ。そんな事を職員室の皆で合意した等は考えられない。許されない事を平気で内密で自分でやっていたのだ。一体、学校で遊んでいるのか。何をしているのだ。学校に蝕む屑・カスだったのだ。

(4月19日 追記)

京都南丹市での子供殺害事件で、容疑者である父親・安達優季は、殺害の後自分で警察に電話している。犯罪者は、常に犠牲者にまとわりつく習性がある。事態を進めようとしたり、後を観察しようとする。

この田中という教員がそうだった。何度も拙者に接触してきたり、顔の表情を観察しに来ていた。他にそういう教員はいなかったのだ。後に、田中という女教員と結婚したが、女の方が校長になっていた。あいつ、本名は何と言ったか・・・。もう忘れたな。あいつは、何か事あるごとに教頭や主任の悪口や事情を言っていた事覚えている。隠しても、状況や気配で分かるんだよなあ。

 

特に関西で知られるB。民間にも公務員の中にも、入り込んでいるB。事あるごとに、それは差別だとねじ込んできて、金銭を掠め取ろうとする。一度関わると、とことん付きまとってきて、とにかく金にしようとする。相手個人に無ければ、所属団体から盗ろうとする。

 昔、拙者が若い頃に言われてきた。車で、あそこの猫を誤って轢き殺したら、その猫は血統書つきだと言って来る者が出て来る。と笑い話で聞いた。今は、そういう事を言う者はいなくなった。

 そんな事が許されているのかと思うような事をする。市役所のどこか小さな一室に10人ほどが2段の椅子に座って、閻魔みたいに上から偉そうにする等のマンガみたいな奴らなのだ。あれを、当時の市町とか責任者は知っていたのかと思ってしまう。現況の一部を我が物のように弄んで、自らの意思や欲望を通そうとする邪悪な輩なのだ。ユダのモサドと似たようなもので、怪しく危ない事を平気で行う。知らなければ幸いで、知るような展開は甚だ危うい事であるが、言葉を誤ると誰でもそういう目にあうだろう。こういう奴らは今すぐにでも排除しないといけない。

 市役所に、そういう部署でもあるのかと思われるが、構成員は一定程度いるだろう。こいつらに関わると、人生はお終いになってしまう。暗黙の規約や組織でもあるのかと、思ってしまう。

誰も差別なんかしていないが、差別がある事によって行政から皆の税金を獲る傾向がある。だから無理やりにでも、誰かを差別する者として晒上げるような事をする。穢く汚らわしい生き物なのである。そういう者達と、職場の中で誰かを排除しようとする悪質な者が結びついて、あらぬ事が起こってしまう。

江戸時代と同じようなもので、権力を持つとか強くなりたいと思えば、そこで勢力のある何者かと接していく。それがBだったと思うが、今でもその構図は変わらない。騒ぎ立てるBは非常に厄介な存在なのだ。自宅の前に来られて騒がられたら警察沙汰にも出来ないものだ。

あいつらは、誰かを悪者にして、散々悪口を浴びせて排除しようとする。それが、拙者の経験した学校での出来事だった。女や女みたいな男と関わってはいけないのだ。女のいる職場を選んだ事を後悔している。女は、本能的に強そうな者を感じ取って、その周りに居座る。ある学校のある女が何時も一緒にいた男がBそのものだったので唖然とする。女は、それが何者か分かっていなかったのではないかと思う。

学校は、B差別に反対しているように見えて、その実態や歴史を知って、自分達でも誰かを貶めて誰かにしわ寄せしようとするものだ。注意を誰かに集めておくと、自分達が利益を受けられる構図が学校にはある。校長は、校長会で職員の誰かの悪口を言い広めているのだ。

 そういう者が数多く存在する所では、どうしても己の所在を隠そうとする。所在を隠している人がいるのは、そういう事なのだと思う。それで、拙者も最近引っ越した場所を誰にも言わない。だから、以前から民間の私書箱を利用している。

 忌まわしく呪わしい所にいたものだ。今は教員不足で結構な事だと思う。正常でまともなら、学校なんかに勤めない方がいいと思います。

 

 朝、買い物のついでに競馬エイトと日刊スポーツを買う。帰宅して高村プロの予想を見たら、阪神9レースの安いレースを予想していた。的中が欲しいのだろうと思った。

 

中山8レース

ここまで基底人気は1・2・3・4番人気で、5~7レースの3つの結果は同じような結果で推移していた。

5レース;1-2-10番人気

6レース;1-2-18番人気

7レース;1-7-11番人気

1番人気は1着で3着目に10番人気以下が入る所が似ている。それで、8レースは同じ形で荒れるのかどうかが問題だった。3連単のパターンに当てはめると、4回目は決してない訳ではないと判断した。

基底人気の4頭を見ていると、1番人気は固そうで、同時に2番人気にも1着の可能性があるとみた。Ⅱグループの候補は2・3・4番人気である。

1・2⇒1・2・3・4⇒9~16番人気で3連系馬券を考える。

2-1-12番人気と入ってきて3連複10,240円を的中した。

 

中山10レース

1・2⇒1・2・3・4⇒8~12番人気で3連系馬券を考える。

4-1-9番人気で入ってきて、3連複を獲ったと思ったが、4番人気がオッズ変動前の馬番で入力していて書き間違いのミスを犯していた。今日は、この間違いが全てだった。

 

 

中山12レース

Ⅰ={1・2番人気}

Ⅱ={1・2・3・4番人気}

Ⅲ={11・12・10・14・6・9番人気(2456枠の内)}

しかし、結果は7-8-13番人気で全く違っていた。

実は、3連単のパターンを見ていて、悩んでいた。

 

パターンは、上の数字・因数で区別している。5-6と5-6-7で傾向が全く違っていた。

 

 

6-14-1番人気の21年の大阪杯と

4-8-12番人気の18年のセントライトがヒントであった。これらと結果の

5-8-14番人気の間に共通事項を見ないといけない。これらは11レースとセットで考える。

赤い括弧で囲んだ所Bは、1・4・6・8番人気で共通している。そこから12レースは12人気以下下位人気に連体する。今日12レースの5番人気というのは当初7番人気であって、直前に6番人気であった時がある。

データはかなり収集しているが、これを見ても分かるようにサンプルは3個以上無いと断言するのは難しい。これが有意の研究だと分かっているが、中々時間を取りにくい。

 仕事をすると言うのは、身体を使って何時も何時間も仕事すると言う事である。清掃・片付け・運搬色々行っていくと、それがやがて金になっていく。仕事をしない者は、そういう肉体労働を嫌う。目の前に財産が転がっているのに、手を出そうとしない。安易に得られる障害手当なんか当てにして、労働をしない者に大きな収入は入って来ない。周りに、そういう手合いを数多く見てきた。

 絵の色紙をコピーして、まるで描いたようにして販売するなどは悪質である。ああいう事をする奴は、結局誰からも無視されている。また、お願いされたり誘われて無碍に断る等も、相手に対して非礼である。何かを貰っても、お礼をしないとか非礼な者は、以後何も貰えないのは当たり前である。何もしないで、大金を貰える等と思っているのは馬鹿者か泥棒である。

 家族がいなくなった実家の片づけに、40~50日も片付けして、実家を売却した。近くの親戚で、家を引き取る者がいなかったのは、そういう手間を惜しんだからだった。

 また、ビルの事についても売却を目的にしていたので、どこもかしこも修理や清掃をしていた。その時の管理人が分からない爺で、面倒くさがったり、やらない理由ばかり探していた。そのくせ、毎月給金を取っていたのだが、その爺が失敗したのを見て、こういう能無し・馬鹿野郎は遠慮なく首を切った。馬鹿ばかりだった。馬鹿はタヒななければ、直らない。

 拙者は、どこにいても何をしても、身体を動かして仕事をしていた。怠け者は、生活保護・障碍者手当等と不当に搾取しようとする。生活保護を貰いながら、他に収入を得るという悪事を平気で行う爺がいるのだ。本当に気の毒な人に対して失礼な事である。ちゃんとした仕事についていても、不当に金銭をかすめ取る輩も、本質は怠け者である。そういう輩ばかりだったと覚えている。金を取れなければ、相手の評判を落とそうとするのも同質の人間だと思うが、教委や学校にそういう輩が一杯いた。

 お金が少なく、お金が欲しいと思わなければ競馬は勝てないように思える。そんなではいけないが、今の財布に満足して渇望が無いと、勝てる機会が少ないように思う。お金に困っていないと、欲しいとは思わないものだから、大切な事が欠けていく。お金があると、気が大きくなって間違う事がある。と言いつつ、中々余裕のある生活は誰でも出来るものではない事は分かる。

 それでは、どうすればいいだろうか。エアで予想して、観戦して楽しむだけでいいのだと思う。勝つ為の猥雑な事は一切避ける方がいい。3競馬場で、競馬があっても1場所だけの調査・予想に制限する。煩雑さで入力間違いが起こらないようにする。予想や入力に必死にならないようにする。他の用事があるなら、あえて競馬に固執しない方がいい。勝とうと思って、数多くの事を調べていると、それだけで疲れてしまって力を出せない時があるはずだ。勝とう等と思わない方がいい。

 一体、パチンコで負けて競馬で取り返そう等という馬鹿野郎はいるのか。いるんだよ、そういう馬鹿野郎が。

 

 仕事は一杯するもので、一杯する方がお金になる。競馬とかギャンブルは、しない方がいいもので、しない方が金は残って当たり前である。競馬みたいなもので生活しよう等と思わない方がいい。

 お金を稼ごうとするなら、本業とか見込みのあるもので稼ぐ方がいい。

 競馬は胴元が14%だったか取っているので、明らかに割が悪い。日常生活の中で、競馬より大切重要な事が無いだろうか。怠って損をするようなものがあるなら、競馬よりも優先する方がいい。一つの事に拘って、馬鹿の一つ覚えみたいに他の事が出来なくなるのは、何事においても誰であっても、決して宜しいとは言えない。大事な事を忘れてしまって、手につかなければ、少しだけでもやってみる事なのだ。きっかけさえ行えば、元へ戻って行くだろう。

 拙者にとって、競馬予想はエロと同じものである。それらは、共に快楽を感じられるもので、楽しい事なのだ。誰でも、苦しい事よりも楽しい事をやっていたいと思うものだ。楽しむだけでは、お金は減るだろうし、大事な事が疎かになる。競馬もエロも、あまり多くやっていると、よからぬ病気になるのではないか。

 

 

 狭い小さな職場の中で、あくせく動いていても引退したりタヒんだりすると、何事も無かったかのように全て消え失せる。そんな事あるんかいと思う程偉そうにしていても、タヒんでしまうと何もかも明らかになって、誰も覚えていないし記録にさえ残ってないだろう。

 だったら、何も偉そうにしたり他人に悪態をつく必要は無かったのではないかと思ってしまう。全て消え去ってしまって、もう違う世界になっている。意地を張っていたような事は全て消え去ってしまって、只悪い印象と誤魔化し・虚偽だけを覚えている事になる。

 他人を批判したり、愚弄していても、自分の事については結局何も残せていないか、如何わしい事だけが残されていないかと思う。他人を批判していれば、自分の事は忘れるものだが、相手を否定しても己は肯定されない。自分に何かがありそうな気配を見せても、実際何も無いのは虚しい事である。役職についた事だけが自慢だと言っても、誰に頭を下げて役職をもらったと言うのか。

 徒党を組んで、大きな声で威圧的に憤慨して喋るような教員輩が多かったと覚えている。大人しい人は、極めて勤務しにくい所だった。嫌な事や気持ちの悪い記憶が一杯残っているが、もう大概名前も忘れている。

 激しく大声を出す事に抵抗があった拙者には、ちょっと耐え難い職場であった。その当時は、まさか内臓に問題があった等というのは分からなかった。

 

埼玉県の教員募集

 一般社会で3年以上働けば、免許状無しでも教員試験を受けられると言う。試験自体は倍率が下がっているので、今は望めば誰でも学校に勤める事が出来る。しかし、何年かの内に通信教育で免許状を取って来ないといけない。この単位履修がかなり困難で、数多くのレポートを執筆して、試験を受けて合格していかないといけない。

 これは、戦前戦後の昔から使われていた緊急措置であった。特に、戦後は教育が重視されながら、教員不足で誰でも直ぐに教員になれていた。なった後に、皆免許状を取って行ったのである。聞く所によると、田舎の駅前にも大学があって、そこで簡単に理科の免許状を取っていたというが、今は廃校して跡形も残っていない。

 拙者は凄く懸念している事が一杯ある。まず、教員団体・組織というのは、たえず教員相互を比較して己の位置を確かめる為に模索している。下だと思った相手に対しては、とことん虐めるという悪習・悪弊が存在している。また、保護者も子息の担任になった教員を鵜の目鷹の目で見ている。そして、評価しようとして、最後に外れか当たりかを話し合って、皆で決定している。教員に対して面と向かって、お前は外れだと言ったりする。

 いくら教員不足だと言っても、教員に求められるレベルは高すぎるものがある。他に仕事ができるなら、誰も火中の栗を拾うような事はしないだろう。

 だから、高いレベルを求めるなら、高い学費を払って私学へ行かせればいいのである。安い給料で激務に心身をすり減らしている教員に無理を言う事はないのだ。

 今は数合わせで、無理にでも歓迎されて学校へ入れるが、やがてメッキが剥げてきて、間に合わせで教員になった事を後悔するでしょう。前からいる教員集団は、決して歓迎していません。保護者もまた、そういう間に合わせの教員を外れとして迫害する事は間違いありません。教員になりたいのなら、今の仕事を大切にしながら、先に免許状を取ってくる方がいいです。臨時的採用ではなく、正式に試験を受けて合格して入る方がいいのです。臨時で、免許状を取れなければ、追い出されてしまいます。今時、そんな苦労をしてまで、教員になる人はいないと思います。保護者はクソだと思うのですが。

 就職して、色々嫌な事を我慢しながら苦労して、お金を貯めていたが、それを毒母がネコババする。問いただすと、基地外みたいに激高した。 

 絵を描いていると、中学校の時の美術教員(恩師?!)が、事有るごとに拙者から金をくすねていく。そいつが、結婚祝い金をネコババする。絵を描いていると、女教員が絵を無料で持って行こうとするし、絵具をくれと言う女もいた。

 最初に見た美術教員は絵を描かなかったが、他の同僚の美術教員が絵を描こうものなら虐めにかかってくる。ある事無い事を言いふらして、立場を苦しくしてくる。その美術教員だけではない。学校で、立派な教員とか指導者に出会う等は、全くの幻想である。そこに居るのは、人間の屑ばかりである。誰も、己の立場や存在を認めてもらう為に、方々に頭を下げている。周りの承認が無ければ生きていけないのだ。拙者は、そんな事はせず、外部の気の合う連中と麻雀をして遊んでいた。初めから学校現場には、受け入れられていなかった。職員室では最初、脚の折れた椅子をあてがわれていた。それで、何故職員室に来ないのかと言う無茶苦茶な事を言うボケばかりだった。加古川の山手中学校だ。大体、立派な公務員というのは、仕事をせず金だけ貰うというのが本性である。

 拙者だけではなかっただろう。学校の職場と言うのは、程度が低くて虐めがはびこっている。それで、気落ちして若い時に辞めていった人は少なくない。新人を育てるという職場ではないので、人は徐々に減っていくし、少子化で閉鎖していく学校もあった。特定の学校が威張っているので、片方では苦しくなって行く学校もある。最近は、目立たない私学の大学が、かなり廃校になると聞いている。

 つくづく、選んだ道が失敗だったと後悔する事が多い。いい加減な者の少しの姿を見て、全てを判断するべきであった。金に汚い事をする奴は、それ以降も永遠に駄目な奴である。当然の報酬や負担を渡さず、己だけ上手い酒を飲もう等と考える奴は屑なのだ。

 師事していく指導者は立派な人でないといけない。カス・屑みたいな人間の下につくと、人生を誤る事になる。

 そんな所で頑張る事が馬鹿馬鹿しく思えたので、競馬研究をするようになった。求めただけのものが得られるし、及ばなければ当然の報いがある。

 この世界は決して楽なものではない。努力や素質が無ければ、良い結果は得られない。WIN5なんか見向きもしない方がいいと思うし、出来る事だけしていればいいのだが、

魅力は否定出来ない。学校・教委の馬鹿馬鹿しい連中を思い出せば、頃しに行ったろかと思ったりするが、競馬研究でもしていれば夢や希望も湧いてくる。あいつらは、競馬以上に清々しい人間ではなく、鬱陶しいのだ。そうだ。競馬の方が清々しく綺麗である。それは、否定出来ないと思うぞ。カスとボケばかりの世の中では、一服の清涼剤になる。