セオル号事件の対応は聞くに堪えない。被害者が高校生であったことがさらにその思いを強くする。この事件の影響で大統領の支持率が下がったという。正直、一国の大統領がどうにもしようにないレベルの話ではないか。海上警察の日々の練度、危機対応の専門官による対応など、残念ながら韓国は世界最高の水準になかったということだ。このような危機的事態に誰かを悪者にして心の平穏を求めたい気持ちは分からないでもないが。
田中真紀子が大学の認可申請を却下した。その理由は少子化なのに大学の数が多すぎる、質が低下している。審議会が大学関係者のみで身内の身びいきになっているなどである。

日本の高等教育を覆う課題に対する問題意識は間違っていない。しかしその問題意識と今回の判断は全く連動していない。大学が多くなりすぎるのは今回の3つ大学が増えることを拒否することで解決する問題ではない。新規参入の道を閉ざすことは、競争の観点からも好ましいことではない。

審議会に大学関係者が多いというのは法令に規定されていることである。そして何よりも今回の3大学の認可申請のプロセスは民主党政権下で粛々と進められてきた話である。文科省の指導のもと、教員も用意し、学生募集の広告も準備させ、校舎も作らせておいて、認可しないとは、言語道断である。

一方で高等教育の質の改善が必要という意識は間違っていない。なぜ学生集めに汲々とする大学が潰れずに残っているのか、適正な競争の導入、競争の結果、淘汰される大学のセーフティネットのあり方、設置認可のプロセスの見直しはすべて正論で、ぜひとも進めてもらいたい。

問題意識と乖離した今回の判断は撤回すべきである。撤回しないのであれば、更迭されるべきであろう。
地方自治体の長としては、出色の実績を残したと言える石原慎太郎。ディーゼルエンジンの規制、震災瓦礫の受け入れ、東京マラソンなどの活性化策、羽田の拡張など、日本が沈没しつつある中で、東京都を鼓舞し続けてきたことは評価に値する。

その石原慎太郎が齡い80にして、第三極結集に動くと言う。石原新党が国会で多数を占めることになるかというとそのようにはならないだろうし、そのことは彼自身も分かっていることだろう。むしろ彼は自分の動きをきっかけに中央政界の再編を狙っているのだろう。それは消費税がどうとか、細かな政策の軸ではなく、国家観(特に安全保障と教育)に基づく、大きなグループ分けになれば、大成功だと思う。

正直、橋下市長率いる日本維新の会はブームで終わると思う。彼と取り巻きは国家について深く考えたことがない。思いつきと直感がたまに正解することもあるが、そうでない時も多く、非常に危うい。むしろ彼らは地方の活性化に力を注いで欲しい。国家を率いるべき人間は、やはり中央政界に多い。その意味で石原慎太郎が維新の会と連携を選択肢として残していることが何を意図しているのか。結構したたかに考えているのではないかと推察する。

小沢一郎のなんとかが一番とかいう党は問題外。みんなの党も期待はずれだった。一方、最近できた少数政党には、知名度こそないが、なかなかの人材がいる。

来年は保守合同以来の再編の時代になるかもしれない。暴走老人の最後の賭けは見ものである。
mixi, twitter, facebookなどと一周してみてもう飽きてきたので、やはりまとまった文章を書くこのような場もいいかなと思い始めてきました。主にTVドキュメンタリーの感想文を書きためる備忘録として、引き続き使って行ってもいいかなというところです。
小沢一郎の新党結成は4回目。これはもう病気だろう。増税反対、原発反対という主張自体が国民をバカにしているが、ならばどのようにして財政再建を図るのか、成長戦略は何のかということがセットでなければ説得力が全くない。加えて、経済成長策をなぜ政権獲得後の民主党でできなかったのか、新党を作ればどうしてできると言えるのかなどにも答えなければならない。

反原発も同様だ。新エネルギーで一時期3割近い電力をまかなっていた原発をどのようなタイムスケジュールで代替させていくのかということについて、誰からもアイディアがない。突然すべての原発を停止し、変動幅の大きい化石燃料に切り替えれば、電力料金が上がることは分かっている。しかも原発は止めた状態でもカネはかかり続けることも分かっている。日本の原発は、福島のような老朽化した原子炉ばかりではないはずだ。すべて同列で議論することは誤りではないか。誰もが納得できる安全基準をクリアした原発は廃炉まで運用すべきである。が、一方で新エネルギーへはかつての原子力ほどに国富を投入すべきである。

同時に核燃料サイクルについての議論も結論を出さなければならない。私見では核燃料サイクルはあまりにコストに見合わない。ウランの可採年数もそれほど長いわけではない。いずれ反原発しなければいけないのだ。

感情に流され、空気で物事が動いていく。コレが世論操作の手法なのかもしれないが、もっと地に足のついた議論ができないものか。
最近は更新が面倒なので、アメーバなうとかTwitter(http://twitter.com/ixd_blogger)でのつぶやきに移行中。ここは消してしまおうとも思ったが、今までも少し載せていたTVドキュメンタリー鑑賞の備忘録として残すことに。
民主党代表選は野田氏が決選投票を制する形で決着した。野田氏は、民主党にいる数少ないまともな政治家であるので、使い捨てにされるのがもったいない人物であるので、残念である。

ほかに代表選で好印象だったのは馬渕氏である。勝ち馬に乗るのではなく、自分の主張により近い候補ということで、海江田氏に投票した決選投票での投票行動は、筋が通っていて気持ちがいい。

印象がなかったのは鹿野氏。推薦人が集まるのだからそれなりの人物なのだろうが、目玉となるメッセージがなかった。

評価を(さらに)落としたのは前原氏。野田氏を裏切ってまで出馬したのに、2位にも入れず。そもそも最初は出ないと言いながら、周りに流され考えを変えていることがリーダーの資質を欠いている。総理ともなれば、もっと厳しい判断を求められる場面が続く。周りが出馬を支援してくれるという順風の、いわばプレッシャーの殆ど無い状態にもかかわらず、状況判断を誤るとは話にならない。

代表時代には偽メール事件、国土交通相時代には八ッ場ダム、外務大臣のときには尖閣海保衝突事件、邦人保護に動かないなどの失態を続けてきた。今回の代表選挙では、外国人からの献金問題がネックとなったが、その取扱いを今回も致命的に誤った。出馬することを明らかにしてから、外務大臣辞任につながった事例に加えて、ほかに数人の外国籍の団体、人物から献金を受けたことを明らかにしたのである。なぜ前回問題になったときにすぐに全て調べて、外務大臣辞任時に発表することでダメージコントロールをしなかったのだろうか。ここまで状況を正確に判断し、実行する能力に欠けている政治家に、まだついていく人がいるのが信じられない。

海江田氏は論外。彼に投票した連中はもっと許せない。

一連のテレビの報道姿勢にも違和感あり。どうして親小沢、反小沢としてしか描けないのか。永田町が其の論理で動いているのだとしても、政策論争をさせるように誘導する報道姿勢があってよいはずだ。財務省の言いなり、小沢の傀儡などとつまらない視点から代表選を報道するのはやめてもらいたい。
リビアの最高指導者カダフィ大佐の命運も尽きたようである。すでに首都トリポリはほぼ制圧されている模様である。

しかし言うまでもなく、反政府勢力は反カダフィという一事しか共通点はない。仮に政権を握ったとしても、ほぼ間違いなくまとまらないだろう。まとまらないというのは、議場で意見が対立するという意味ではない。内戦状態になるという意味である。

このリビア作戦を主導した英仏米は、アフガニスタンでタリバンを放逐したり、イラクでフセインを失脚させ、国内を大混乱に陥れたことをすっかり忘れてしまったのだろう。もう観光客がリビアを訪れることはできなくなるだろう。トリポリ市民も数週間前まで、特に気にもせずにできた買い物に出かけたり、子供を学校に通わせるのも命がけになることだろう。そんなことをリビアの国民は望んでいるのだろうか。そうなったときに英仏米はどう責任を取るのだろうか。またリビアに民主主義をもたらしたとでもいって、どこか次の標的を探すのだろう。野蛮な奴らだ。
なぜ総理大臣が辞めなければいけないのか分からないままに、またも1年少しで総理大臣が引きずり降ろされ、新しい代表=総理を選ぶらしい。

争点は原発と財政問題などと誰が総理でも取り組まなければならないことしか聞こえてこない。なぜ菅総理のままではダメなのか分からないし、大きな方針転換を掲げている候補もいない。出ないと一度言ったにもかかわらず、もう一度熟慮している前外務大臣までいる始末(前言を翻した段階でこの政治家はダメだと分かる)。新代表の任期は来年の9月までしかなく、また来年代表選挙があることも決まっている。

総理大臣として1年という時間は、仮に斬新な政策を打ったとしても効果が出てくるには短すぎ、国民の飽きも出てくるため、支持率が下がりに下がる時期であって、再選を果たすには著しく困難な状況である。来年の春頃には、必ず「この総理では次期総選挙が戦えない」、「やはり選挙に強い小沢先生の出番では」などと言い出し、引きずり降ろされるに決まっているだろう。あえてこの困難な任務に名乗りを上げる政治家には頭がさがるばかりである。