あれは、いまでも、はっきりと覚えているのです。
中学校の頃、私の級友に、一人の少年がおりました。彼は、『人間失格』の葉蔵にそっくりな、つまり、あまりに露骨な「道化」を演じている男の子でした。
周囲の者たちは、彼の滑稽な仕草に何の疑いも持たず、ただただ面白がっておりました。担任の教師もまた、彼をひどく愛でていたようです。クラス一番の問題児というものは、得てして教師の「可愛がり」の対象になるものですから。
当時、私は生徒会長などという、およそ不似合いな役職を押し付けられておりました。内実は彼よりもよっぽど不真面目な魂を隠し持っていたのですが、外側だけは清廉を装っていたのです。
ある時、教師から、その少年の面倒を見てやってくれと頼まれました。しかし、私には、彼の犯す一つ一つの失敗が、すべて計算し尽くされた「作り物」にしか見えなかった。私の平穏をかき乱す彼の拙い演技が、不快で、不快で、たまらなかったのです。
あの竹一のように、彼の耳元で「ワザ、ワザ」と囁いてやりたい。
そんな衝動に駆られもしましたが、私とて当時は思春期の娘でした。同い年の異性の耳元に唇を寄せるなど、気恥ずかしく到底できませんでした。
そこで私は、ある日、教師と彼と私の三人きりになった折、努めて平静を装い、こう切り出したのです。
「先生、この方は、太宰の『人間失格』の主人公の葉蔵という男に、本当によく似ているのですよ。いえ、この方が失格だというわけではなく、ただ、あの頃の葉蔵にそっくりなのです。先生もぜひ、お読みになってみてください。」
ただし、私がそう告げた瞬間も、彼はいつものようなひらりと身をかわすような、相変わらずのふざけた態度を貫き通していたのです。
ところが、翌日のことです。
彼は、私と一対一になるや、昨日までのあの不快な道化を、まるで脱ぎ捨てるようにピタリと止めてしまいました。私に対してだけは、驚くほどに「聞き分けのいい子」になったのです。
それは優等生といった立派なものではなく、ただ、誰よりも私の言うことを聞く、無害な存在への変貌でした。私には、彼が別の新しい仮面を選んだように見えて、そのあまりに鮮やかな、そして徹底した道化にある種の底知れぬ不気味さを感じずにはいられませんでした。
ところが、奇妙な後日談がございます。
卒業してから後、ふとした縁で彼と一緒にゲームを興じる機会がありました。そこで私は、確信したのです。
ああ、この人も、本当に、神様みたいないい子だ。
それは皮肉でも何でもなく、彼は私などよりもずっと純粋で、ずっと真面目な魂を持った人間だったのでございます。