悲しみのなかにいても
喜びは存在しうるもの
影あるところ光はあり
陰りの美しさをうつす
不完全さのなかにあり
満ちることを知るとき
痛みはあなたを癒やし
恵みに変わりさえする
*
進まないように見えて
時はあなたを運びゆく
見たことのない景色に
聞いたことのない音色
悲しみを知る者にしか
開かれることのない扉
全てを生きる糧にして
喜びは息を吹きかえす
ーーー
悲しみのなかでも神を思い起こすなら
私たちは喜びを感じずにはいられない
悲しみが取り除かれることはなくとも
悲しみと喜びは同時に存在しうるもの
祈りをとおして神を思い起こすときに
私たちは両者を受け入れられるだろう
主よ、あなたがどのような方であるか
常に思い出せるように助けてください
悲しみや苦しみのときも私と共に歩み
共にいてくださるあなたに感謝します
(わたしの自由訳)
“In lamenting, if we call to mind
the truth of Christ’s character
and the goodness
that we have experienced with Him,
we can’t help but experience joy.
This doesn’t always remove grief, but
joy and grief can exist simultaneously.
We can embrace them both
as we pause, pray, and regularly
“call to mind” who we know God to be.
Father, help me to call to mind
who You are, Your character,
and all of Your goodness
as a daily practice in my life.
Lord, thank You for walking with me
through grief and suffering,
showing me that You are with me.”
Jennifer Lucy Tyler
ーーー
しかし、わたしはこの事を心に思い起す。
それゆえ、わたしは望みをいだく。
主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、
あなたの真実は大きい。
哀歌 3:21-23