亡くなったひとはいなくなっても
いつまでもいると感じられるのは
ないものは始まりのときからなく
在ったものは在りつづけるからだ
感じとれるのはほんとうのことで
そのひとはわたしと生きつづける
わたしたちの終わりなきいのちを
ふかく受けいれるこころのふしぎ
ーーー
“「存在論」は知識ではない。
哀しみであり神秘である
内なる「無限」を魂深く感受したとき、
それは誰の意識にも、
懐かしく知られている
あの生活感情として甦る。
たとえば私たちは言ってきたではないか。
「あの人は死んだけれども、
私のこころのなかで、
いつまでも生きている」と。
素直に、あるいは、
最後に手に入れた結晶のような想いとして。
そして、既にない人に向けて、
ことばを紡ぎ続けるではないか。
私たちの、このこころの形式は、
いったい何だろう。”
池田晶子『事象そのものへ!』より